見出し画像

理解の枠を超えて"あなたの私"の奥行きを知る。

今日は「自覚」について
触れていきたいと思います。

多くの人にとって、だいぶつまらない話になるかと思います。
何かを外側に観て満たされたい方は、
ここで折り返すことをお勧めします。


さて、自覚について触れると冒頭に書きましたが、
自覚とは何かということについて、
自覚人が語ることはまずありません。

もし、そのように語る方がいるのであれば、
自覚している気になっている人です。

「自覚とはコレです。」とか
「自覚とはこういうものです。」と言った時、
それは既に自覚ではありません。

自覚とは何かを規定した時、
既に自覚からはだいぶズレたところにいます。

理解の枠を超えたところで起こる理解。

「自覚」に限らず、物事を理解しようとする時、
多くの人が解ろうとします。

「解釈する」という行為自体がをつくります。
そして、その枠の中での理解を「掴む」ことによって
その枠を固定しています。

今、あなたが「信じていること」はそうしてつくられて
きたものかと思います。

様々な勉強や経験を通じて、
「そうに違いない!」と思っているものを掴み、
その枠を見て、世界を感じています。

そのあなたの枠によって閉じられた世界の中で
理解しようとすることが「解釈」です。

こちらのポストにも書きましたが、
解釈しようする時、今まで勉強してきた知識・経験則を総動員して、
その枠に当てはめて、解ろうとしています。

必然的に、その枠の外の話は、本質からはだいぶズレて伝わります。
「つまり、こういうことか!」となった時、だいたいズレています。

Xでのポストも、noteの記事も
解釈したい、解りたい私が読むなら、
ズレて届いているかと思います。

解釈するな!解ろうとするな!ということではありません。
解釈したい私、解ろうとする私を知っていく。
私を分析するのではなく、ただ知っていく。

そこで起こる広がりを感じてみてください。

そして、その広がりと共に、別の理解が起こっています。

その理解は、解釈という意味での理解の枠を既に超えていますので、
それを知覚していくには、その広さに慣れていくことです。

私自身、勉強して、経験して、掴んだものを活用して
企業のコンサルティングや、教育の仕事を生業としていましたので、
理解したい、解釈したいという動きがあることは重々承知しています。

ですが、枠の中で行動する「狭さ」や、
その時に「可能性を閉じている」ということを知ってからは、
顧客や課題への向き合い方も大きく変わってきています。

何に対しても、開いていることで
自由という言葉すら窮屈に感じるくらいの広がりがそこにあります。

可能性を広げるのではなく、
閉じている私から自由になっていく。

しかし、閉じないようにしたり、解釈しないようにするのは見当違いです。
前回記事参照

閉じたい私、枠の中で納得したい私、解釈したい私をも
蔑ろにすることなく、向き合っていきます。

自分自身ととことん向き合い、
あらゆる私から自由になっていった時、
本質的な理解が自然と起こります。

成ろうとせずに、成っている。
わかろうとせずに、わかる私になっている。

意図せずに自然とそうなっていく。

自覚は、対処法でも、メソッドでも、教えを学ぶものでもありません。
あらゆることから自由になっていきます。

本気で向き合いたい方は、いらしてください。

おまけ-1。

世間では「これが悟りだ」と言っている方もいらっしゃるようです。
そして、その話を信じて「そうに違いない」と信じて、握り込み、
そうなろうとする方もいらっしゃいます。

言ってる方も、聞いている方も、だいぶ閉じて見えますが、
その時、何が起きているかは、
ここまで読んだ方ならわかるかと思います。

悟りがどういうものか、気になる私から自由になった時、
その景色を垣間見るかもしれません。

おまけ-2。

マザーテレサの名言?
マザーテレサの言葉として有名なものとして以下があります。
誰もが一度は目にしたことはあるのではないでしょうか。

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

思考は既に咲いた花であり、外側の話です。
思考をあるようにする私に目を向けていく。


思考の出どころ、在り方が整っていれば、
気をつけないといけない思考は出てくることはありません。

あらゆることから自由になったとしても、
自覚人は傍若無人になることはありません。

思考をあるようにする私の在り方が整っているなら、

あいつをいじめてやろうとか、
嫌なことを言ってやろうとか、
自分だけが得してやろうとか、

そんな思考は出てきようがないからです。

一切唯心造。

全てのことは心持ち次第。
これが単なる正論や綺麗事に聞こえる人もいるかもしれませんが、
この言葉の本質を捉えられる私になった時、
「あぁ。」となるように思います。

「あなたの中の私」と向き合い続けるなら、
この在り方を整えるのではなく、自然と整っていきます。

在り方が整った自覚人が増えるなら、
個人も、家庭も、教育も、企業も、国も、世界も
意図せずとも、必然的に平和になっていきます。

それは、あなたの内側への一歩から始まります。


さて、ここまで読まれた方には、
自覚の奥行きが、あなたのどこかに伝わったのではないかと思います。
同時に「あなたの私」の奥行きを感じた方もいらっしゃるかもしれません。

最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。


「向き合う」というのは、
自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、
そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。

思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断もありません。

●自覚カウンセリング
自分自身と向き合うことに卓越した自覚カウンセラーがあなたの悩みに一緒に向き合います。ご自身では自覚していない私、自覚していない囚われを一緒に丁寧に向き合ってきます。どのような私も蔑ろにせずに向き合うことで、対処ではなく本質的な解消に踏み出していきませんか。

詳細はこちらをご覧ください 自覚カウンセリング

●自覚基礎コース
ご自身で自覚を実践されていきたい方は、
自覚基礎コースをご用意しています。
日常で自覚を実践しながら、定期的な面談で、
自覚の精度を上げていきます。
あらゆる囚われから自由になっていきたい方、
本気で自分自身と向き合っていきたい方是非お待ちしております。

詳細はこちらをご覧ください 自覚基礎コース

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?