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受験生だった頃の自分に、胸を張れるように

 やるだけ無駄なんてこと、人生にいっこもないと思うんだ。たとえ誰にも褒めてもらえなくても、認めてもらえなくても、できる限りのことは全力で全部したって思いたい。
地味にスゴイ!/河野悦子

「頑張れ」に対する抵抗感

 「頑張れ」という言葉を否定的にとらえる歌詞を、よく見るようになった気がする。そして、そんな歌詞に救われる時がある。かつては、ストレートに背中を押してくれる応援ソングが心に響いていたはずなのに。

頑張れなんて言うなよ クソが
死に物狂いで生きてんだ
そう簡単に言わないでおくれ
風のささやき/あいみょん
「大丈夫」や「頑張れ」って歌詞に
苛立ってしまった そんな夜もあった
宿命/Official髭男dism

 個人的な感覚だが、頑張れば何をやってもうまくいく、というのは中学生くらいまでだ。高校生になるあたりから、そうはいかなくなることがある。「頑張れ」というメッセージに抵抗感を抱くようになったのは、“頑張っても結果が出ない”という経験をしたからだと思う。自分の場合、それが大学受験だった。

 結果が出ないから「頑張れ」と言われる。でもそのたびに「いや、頑張ってないわけではないんだよなあ」とモヤモヤした気持ちになった。結果は出ていないけれど、頑張ってはいる。いま思うと少しわがままだが、そのことを肯定してほしかったし、肯定したかった。

報われない努力も肯定したい

 こういう話をする時、よく引き合いに出される格言がある。「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」というものだ。この言葉は、自分を奮い立たせるものとしては良いのかもしれないが、あまり真に受けたくはない。報われない努力も、努力だと認めてあげたい。

 先日閉幕した北京五輪。男子フィギュアスケートの羽生結弦選手は、前人未踏の4回転半ジャンプに挑戦したが、4位に終わり、惜しくもメダルを逃してしまった。彼はフリープログラム滑走後のインタビューで、次のように語っている。

 いや、もう、一生懸命頑張りました。正直、これ以上ないぐらい頑張ったと思います。まあ、報われない努力だったかもしれないですけど。でも、うん...。確かにショートからうまくいかないこともいっぱいありましたけど、むしろうまくいかなかったことしかないですけど、今回。でも、一生懸命頑張りました。
羽生結弦

 自らに言い聞かせるように「頑張った」という言葉を繰り返す羽生選手。自分と羽生選手はまったく違う次元にいるということは承知の上だが、たとえ結果が出なくても、報われなくても、自分がやってきた努力を肯定してもいいのではないか、と改めて思わせてくれた。

遅れて結果が出る努力もある

 そもそも、目指していた目標を達成できなかったからといって「結果が出なかった」「努力が報われなかった」と結論づけてしまうのは、気が早いのかもしれない。ドラマ「コントが始まる」の一節を思い出す。

すぐに結果に結びつかなくても
あとから遅れて結果が出る努力も
あると思います
コントが始まる/中浜里穂子
あとで振り返った時に
正解だったと思えるよう
生きていくしかないだろ
コントが始まる/高岩春斗

 2月25日、26日は、自分にとって忘れられない日だ。この日に行われる国立大学の前期試験を、僕は同じ大学で2年連続受験して、2回とも落ちた。

 その結果をなかなか受け入れられない時期もあった。でも今は、自分がやってきたことに誇りを持っている。他の人より努力は足りなかったのかもしれないけれど、その努力が無駄だったとは思わない。「あの時頑張った」という記憶が自分の支えになっているし、勉強で身に付けた知識や能力も、ふとした場面で役に立つ。

 努力がすぐに結果に結びつけば、それはそれで素晴らしいことだ。でも、たとえすぐに結果が出なかったとしても、いつどこで報われるか分からない。また、その努力が活かせるような生き方を、あとから選択することもできる。「あの時の努力は無駄じゃなかったぞ」と、受験生だった頃の自分に胸を張れるように、これからも生きていきたい。




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