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二秒後の自分〜『現在』と『未来』の境界線〜2022.6.19㈰ #6

誰だって、本業、副業、趣味、日課、などの事柄を日々継続しているはず。
しかし、何をやっても一向にやる気が出てこない日がある。

これは一体誰のせいなのでしょうか。

昨日の私のせい? それとも今の私? もしかしたら昨日あの人と会ってしまったから?

こんなことに明確な答えはないのだけれど、敢えて誰かのせいにするのなら、私は『二秒後の自分のせい』にするようにしています。

やる気が出ない責任を自分自身に探したとき、まず「『現在の私』が何も行動をおこしていないからやる気も出ないし行動も起こせないのだ」と考えました。
だから私は、『現在の私』『未来の私』、そのちょうど境界線を探すことにした。

今(0秒)の私。
さすがに0秒の内に、何かをはじめることやこれまで行っていた行動に終止符を打つことはできないと思った。
私が0秒の間にできることは、せいぜいこれまで頭の中で考え続けていたことを『整理する』までが限度だろう。
だから0秒は、まぎれもない『現在の私』だと判断する。

一秒後の私。
一秒後は未来であることには違いない。だけど、まだ頭の中では現在として認識している領域な気がする。

『整理されている頭の中から何か一つを選択する』までが、私が一秒の猶予で行えるギリギリ可能な思考だと思う。

自分の意志で、やる気ない身体を動かすことなんて一秒間では絶対にできないし、一秒の間に頭の中で新しい打開策を生み出すことも絶対に不可能だと考えた。

なので一秒後の私は、まだ『現在の私』であると判断した。
まだ実際に何も行動をはじめることができていないからだ。

そして二秒後の私。
二秒後の私が出来る事は考えてみた。
すると、答えは二つしかなかった。
それは、頭の中で選択した一つの事を
『やる』『やらないか』決定することだ。今の私の中にそれ以外の答えは見つからなかった。

『やる』を選択した場合の私の身体では、
何かを『やる』ための準備がはじまる。
すると三秒後。ようやく身体が動きだし、『未来の私』が誕生するわけだ。

なので私は、
「現在と未来の境界線はここだ」と結論した。

『現在』と『未来』の境目は
二秒後と三秒後の間にある。


一方、『やらない』を選択した場合の私は、また0秒に戻る。
そして、いつか何かを『やる』と選択するまで、0秒から二秒を延々と繰り返すのだ。
繰り返している間の私は、ずっと『現在の私』を引きずったまま呆然と生き続けている。

自分自身で『やらない』を選択した以上、それは『自分のせい』だと言わざるを得ないのである。

私は、『二秒後の自分』にはできるだけ『未来』を選択してほしいと願っている。

二秒後の自分が何かを『やる』と決定してさえいれば、結果や効果が出るか出ないかは置いといて、未来は必ず訪れる。

2022.6.19 サトー佐藤

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