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おかえりモネ 11

2014年から始まった物語の時間軸は2019年に入っています。この年は物語の舞台のモデルとなった気仙沼大島に気仙沼大橋がかかった年。橋がなんらかのシンボルとして描かれると思われます。そもそも橋は川や海など水と関係の深い建築物。


フラグは前週から立っていました。主人公が恋人に放物線を描いて投げた鍵。バックは隅田川と勝鬨橋でした。橋の多くは放物線状のアーチを形成します。今までは投げられた大きな果物もキャッチできなかった反射神経の鈍い相手が小さい鍵をキャッチする。その上にあなたが投げたものはなんでも受け取りますというセリフ。


物理的には宮城と東京と離れる二人ですが、お互いの間に橋がかかったことを象徴するのでしょう。勝鬨橋は開閉型の橋ですが、1970年以来開かれたことがありません。二度と離れない橋。それはポスト3.11を生きる主人公が背を向けてきた故郷との間にも橋が架かり、繋がる暗示でもあるでしょうか。


タイトルと関係の深い印象派画家のクロード・モネも多くの橋の絵を描いてきました。そこで、もしかしてと思い至るのがシェアハウスの下宿人、宇田川氏。彼は江戸時代の浮世絵師、歌川広重と重ねられているのでは。名前の響きが似ていますし、美大の出身。


根拠は他にもあります。歌川広重の浮世絵は印象派モネの絵画に影響を与えている点。広重の実家は火消し。水を扱う仕事です。同じく宇田川氏も水を使って銭湯の風呂掃除だけは欠かしません。またこの浮世絵師も橋の絵を何枚も描いている。最大の根拠、宇田川氏の下の名前がわかっています。「ヒロ君」。つまり宇田川ヒロ某です。露骨なほどに歌川広重ではないのか。川や海、雨を愛した浮世絵師。


広重がモネに影響を与えたように、宇田川氏が主人公に、あるいは双方が影響を与え合う展開が待っているのかも。震災の火のトラウマを消す?友人の大家の菜津さんは数字だと72に置き換え可能。72はクロードモネが「印象・日の出」にしたサインと同じではないですか。偶然か。意図的だとしたなら、なんと緻密で計算されつくされた脚本でしょうか。


橋はある種の宗教性も帯びていてキリスト教とも関係あります。川や海に橋を渡すことは信仰的行為のひとつでした。異なる二地点を繋ぐ象徴的意味もありますし、此岸と彼岸を渡すこととも重なる。カトリックの教皇のラテン語ポンティフェクスももともと「橋を架ける人」の意味。物語はラストまで二か月切って後半へ。どういう結末に至るのか。屈指の名作になる予感です。

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