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マルコによる福音書14章1節ー11節

「彼女を記念して」
主は重い皮膚病を患う病人の家で食卓を囲まれます。これが主イエスの地上での最後の日々の一コマです。主は地上の歩みの最初から最後まで社会が見捨てた者とともにおられたいと望まれます。主イエスだけは私たちを見放しも見捨てもされません。

それどころか主は愛する者に全てを捧げようとされます。女性が高額なナルドの香油を惜しげなく全て主に注ぐのも主の自分への愛に感動してです。1年分の給与に匹敵する香油です。無断な浪費と言うなら、その通りです。しかし主への愛は損得勘定の計算も超えてしまうものです。

実際、福音のために無数の人が無駄とも思える働きに身を粉にしてきました。ひとりの人の救いにどれほどの人が犠牲を惜しまなかったことでしょう。費用対効果で割り切るならこれほどコスパの悪い話はない。その愚直な行動の動機は自分にとって福音がどれほど価値を持つかに深く突き動かされてとしか言えません。

主のためにすることなら良いことなのです。主のために精一杯をなすことこそ良いことです。それは彼女の意図さえ離れて主の受難の葬りの備の記念となる。実際、香油の香りは裁判の席にもピラトの前でも十字架に向かう道でも香り続けます。主のためになすことは、どれほど拙く、小さなわざであろうとも本人の預かり知らないところまで大きく用いられるのです。

問題は主のために何をなすのかではありません。主の愛と恵みが自分の人生にどれほどの比重を占めるかです。福音の値打ちに気づく者は自分自身を主にお捧げすることも惜しまない。受難週です。十字架の値打ちに思いを向けるとき、彼女のような献身は次々起こされるのですから。

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