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ヨハネの第一の手紙2章12節ー14節

「神の家族」
ヨハネは教会を神の家族と考えています。だから教会のあらゆる世代に向けて、子たちよ、父たちよ、若者たちよと呼びかけます。まずは子どもに対してです。子どもである以上は親がいるわけです。神を父と呼べる交わりの中にいれられたのです。それは偏に主イエスの名で罪が赦されていることによるものです。主イエスによって父なる神を知ったと言っていいでしょう。この方のもとに神の子として成長していくのです。

さらに父たちに呼びかけます。実際の父親という以上に、ここでは信仰の先輩を指すのでしょう。父として重要なのは、初めから存在する方であるキリストを知っている点です。教会には新しく信仰の子どもが次々に与えられます。既に信仰を与えられた者にはその方々をケアし、成熟を助ける働きを担うのです。自分の信仰を守るだけで精一杯です。他人のことなど構う余裕はありませんという姿勢ではまずいでしょう。

但し、それは人生経験や能力によって果たすものではありません。養育とはあくまでもキリストとの交わりに生きていることを証しすることによってなされるものなのです。キリストは自分にこういうことをしてくださった。こういう恵みがあった。具体的にお伝えするのです。信仰持ちたての方はわからないことが多いのです。もしも教える立場の者がいないならどうやって信仰が育つことができるでしょうか。

第三に若者たちに呼びかけられています。これは信仰における戦いの側面を教えています。信仰者は単に安穏とした暮らしのために信仰に導かれたわけではありません。悪魔と罪の支配と戦うために召し出されました。実際に闇の中にいる方を救いの光の中に取り戻す伝道の働きです。私たちの場合も救いに導かれるために誰かが奉仕して下さったことでしょう。今度は私たちがその列に加わり、祈り、努めることが求められているのです。

この戦いは現在進行中なのです。苦戦を強いられているかのように思うこともあるでしょう。だからこそ、ヨハネは勝利はすでに決定していることを伝えて励ますのです。主イエスがすでに十字架の上で勝利して下さったからです。それは神の言葉によってわかることでしょう。従って神の言葉が心にある以上は人は強いのです。私たちの強さではなく、福音の強さを信じればいいのです。

私たちは、一つの立場だけに立つわけではありません。実際には誰もが子でもあり、親でもあり、若者でもある側面があることでしょう。ということはすべてのクリスチャンへの呼びかけと考えていいのです。これらは教会に課せられた使命とも関係するのです。キリストとの交わりにおいて成長する。他の人を助け、信仰の成熟のためのお手伝いをする。福音を伝えるために戦う。これらの点を自覚していくときに、神の栄光は現れるに違いありません。

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