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パリ逍遥③

 モンマルトルとモンパルナスについて、私は書けることはあまりない。まずモンマルトルだが、とにかく観光ツアーが凄い。どの坂を登って行って、どの路地へ入って行っても、旗をヒラヒラさせた引率者の後ろから、ガヤガヤした一陣が通り過ぎる。19世紀末に多くの画家がここで過ごしたという感慨に耽る間もなく、ヒラヒラとガヤガヤが続々とやって来るのであった。
 元はぶどう畑と風車の拡がるのどかな農村地帯だったこの丘も、1860年にパリ市に編入されると、多くの画家が家賃の安さから移住してくる。やがて家賃が高騰すると彼らの多くは、より家賃の安いモンパルナスへ移って行く。
 モンマルトルは、丘の下でぶらぶら歩いている時が一番いいように思う。南側一帯はそれなりに情趣は遺っていて、ユトリロの絵を思わせる通りが時々現れる。北側はいかにも裏町といった風情が漂うが、階段を登りきった後に不意に現れる箱庭のぶどう畑を目にすれば、モンマルトルに来た実感がひたひたとやってくる。どちらからでも、アプローチしている途中に、この街のよさがじわじわと感じられてくることだろう。
 一方のモンパルナスは逆に、観光地の雰囲気がほとんどない。だからいいという訳でもなく、感慨に耽るポイントが判らない。鹿島茂氏は「文学的パリガイド」で、モンパルナスにいながら、モンパルナスはどこですかという愚劣な問いを発しそうになったと書いているが、本当にその通りの実感のない街である。
 ここが1920年代の、芸術家が集った狂乱の時代の舞台と言われてもピンと来ない。「ロトンド」や「クーポール」などの伝説のカフェは現存する。私も「クーポール」には入ったが、丸天井のゆったりした空間であるという印象以外は、とりたてて何もない。少し雰囲気はあるが結局のところ、ただのカフェがただの街にあるに過ぎない。鹿島氏は最低でも一ヶ月は滞在しないと味わいが判らないと書いているが、当然一ヶ月もいられないので、味わうことなくモンパルナスは私の前から通り過ぎて行った。
 ただ一つ思ったのは、駅前からカフェのある雑然とした街区を抜けて裏路地へ入って行くと、微かながら情趣が感じられる時もあることである。実際にモンパルナスの墓地の周囲には、往時のアトリエがいくつか点在する。ということでモンマルトルは中心に向かっている時に、モンパルナスは逆に中心から外れて行く時に、その魅力の一端が、垣間見える時があるかも知れない。
 
 
 パリでは何度かメトロに乗った。車内でも、駅のホームや構内でも、日本との違いに驚かされることがよくある。
 まず、経路が入口と出口で違う。経路自体は狭く、混雑時はむんむんとしているが、全員が一方向に流れているので、意外とストレスはない。東京のように四方八方入り乱れた上に、歩きスマホのごとき手合いも少ない。日本において平気な顔で歩きスマホが横行するのは、日本人特有の依存心によるものだと私は思っていて、彼らが何となくまかり通りいつしか市民権を得てしまっているのは、何とかしたいものだと常々思っている。
 日本人の特徴としてよく言われるのは、よく教育されていて、秩序正しいということである。確かにその通りで、フランスでそれを期待することはできない。パリの駅や車内は、とにかく騒々しい。出る時に改札がないせいか、キセルなどの無法者も後を絶たない。何となく粗野で、周りを気にしない人も多い。軽犯罪は多発する。それに較べれば、日本人の所作は美しく見えるが、どこか歪に感じられなくもない。
 例えばホームで待つ人たちに、それは表れる。私などは列がある程度伸びていれば、後ろには並ばず、空いているスペースで待つ。通行人の妨げにもなるし、後ろの方に並んだところでどうせ座れはしない。ところが東京では、反対側の線路に落ちそうになってまでして列を連ねる。その光景には一種の狂気を覚える。パリでは列があったとしても並ぶ人は少ない。しかし乗る時でも座る時でも、必要な人に対しては進んで譲る人は多い。多少お行儀は悪くとも、そちらの方が自然に映る。
 つまるところ日本においては、周りに関係なく自分で考えるという習慣もなければ教育もない。フランスでは逆に、周りがどうあれまず自分が考えるというのが当然のこととして備わっている。
 秩序立って見えるものの混沌を内に宿す日本と、混沌としているようで実は合理的なフランス。メトロの風景は、そんな両国のお国柄の縮図と言えるかも知れない。
 
 
 私は新凱旋門の前にいた。軸線上の向こうには、凱旋門が見える。もっとも新凱旋門というのは別名で、グランダルシュという高層のオフィスビルである。幅も高さも110mくらいの四角い構造体の真ん中が大きくくり抜かれていて、近未来の凱旋門という感じがする。どこに窓があり、フロアがどうなっているのかも判らない。一見して、前衛的なモニュメントにしか見えないその中に、多くのビジネスマンが活動している。
 ここは凱旋門から5kmほど先のラ・デファンスという高層ビル街で、東京で言うなら新宿新都心といったところか。しかし実際に来てみると、中央の大きな通りは歩行者専用の広場のようになっていて、屋台村が出現している。どちらかというと印象としてはお台場の方が近い。
 私が行った16年夏はちょうどランチの時間で、各国料理の屋台村が展開されていた。溢れる陽光の下、私はビジネスマンに混じって、パエリアを頬張った。
 オスマン調の美しいパリの街とはまったく異質な空間が、郊外にさしかかるところでいきなり出現する。パリで高層ビル群といったらフロン・ド・セーヌやベルシー河岸のような、中心部から離れたところにしかない。例外としてモンパルナスタワーが聳えるのみで、それらは街の景観を損ねることなく、むしろアクセントにさえなっている。
 街の美観を重視するフランスにあっても、パリは世界的なビジネス都市でもある。その需要を見事に溶け込ませたモデルとして、ラ・デファンスはある。それぞれのビルは全体の調和の中で、それぞれのデザインを競っている。大変ユニークな景観である。
 オフィス街を廻るように環状道路を配し、中の道路は地下を通す。地上はオープンスペースが拡がり、オアシスのような空間が出現する。労働環境にもゆとりを与える。これが本当のゆとりである。ビジネスも労働も、人生の美しい時間に組み込ませるフランス人の叡智に、私は敬愛の念を持っている。

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