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日本の人口ピラミッドはボンキュッボン

日本は超・超高齢社会

 65歳以上の高齢者の総人口に占める割合を高齢化率というのだけど、よく知られているように、日本はこの割合がすこぶる高い。WHO(世界保健機構)や国連の定義によると、高齢化率が7%を超えた社会を「高齢化社会」、14%を超えた社会を「高齢社会」、21%「超高齢社会」と言うのだが、2019年時点における日本の高齢化率は28.4%で、優に「超高齢社会」の定義を上回り、「超・超高齢社会」とも言える状況となっている。「超・超高齢社会」なんて言うと、なんだか「超サイヤ人ゴッド超サイヤ人」みたいでアレだけど、要するに想定の範疇を超えたヤバい状況にあると思ってもらったら良いかと思う。
 ちなみに、日本の高齢化率は、2位のイタリア(23.0%)を大きく突き放し、ぶっちぎりの世界一。そして、28.4%はあくまでの日本の平均値なので、もっと地域を限定して算出すれば、高齢化率が平均値を上回る地域はゴロゴロある。例えば、高齢化率が50%以上の集落を「限界集落」と呼ぶのだけど、そんな地域が日本には、2万以上あるとするデータ(令和元年度 過疎地域等における集落の状況に関する現況把握調査)もあって、消滅が危惧されていたりする。


日本の人口ピラミッドはボンキュッボン

 人口を構造的に捉える際には、「人口ピラミッド」が使われる。人口ピラミッドは縦軸の年齢ごとに人口を男女別の横棒グラフで表現したもので、小学校や中学校の社会でも習うと思うので、見たことがある人も多いはず。
 この人口ピラミッドは、形によって「富士山型」や「つりがね型」、「つぼ型」など、いくつかの型に分類されるのだが、出生率の低下や医療体制の充実など様々な要因が絡んでいるものの、社会が発展するにつれて、「富士山型」→「つりがね型」→「つぼ型」という具合に変遷していくとされている。日本も例にもれず、「富士山型」→「つりがね型」→「つぼ型」という変遷を辿ってきた。戦前は「富士山型」だった人口ピラミッドだが、戦後の高度経済成長期には「つりがね型」となり、現在は「つぼ型」となっている。

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 上図が2020年における日本の人口ピラミッド。パッと見ただけで、少子化・高齢化が進展してしていることが分かる。男女とも70歳前後と45歳前後が膨らんでいるが、この層がいわゆるベビーブーマーと言われる世代。70歳前後が「団塊の世代」で、45歳前後が「団塊ジュニア世代」だ。
 「つぼ型」とされる現在の日本の人口ピラミッドだが、よくよく見てみると、「つぼ」というより、土偶のようだ。おっぱいとおしりがふくよかで、それでいてウエストがくびれている。まさにボンキュッボンなグラマラス体型で、土偶を髣髴とさせる。一度、土偶に見えてしまうと、「これは『つぼ型』です」といくら言われたところで、到底、納得できるものではない。どこからどう見ても、「つぼ型」ではなく「土偶型」の方が的を射た表現だと言えるだろう。


日本の人口ピラミッドは「棺桶型」に

 加齢とともに体型が変化するのは免れない。日本の場合、出生率の低下はかなり前から問題視されていたものの、子どもを産み育てやすい社会に移行することができておらず、今なお出生率は低水準にある。2020年現在、グラマラスな「土偶型」の人口ピラミッドも、今後、その姿を変えていくこととなる。
 2020年に70歳前後の「団塊の世代」は2025年には75歳以上の後期高齢者となり、「2025年問題」が顕在化。そして、2020年に45歳前後の「団塊ジュニア世代」も2035~40年にかけて65歳以上の高齢者となり、「2040年問題」に発展することが予想されている。その時、人口ピラミッドはどうなっているのか。

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 2040年の人口ピラミッドでは、2020年時点でふくよかだったバスト部分(団塊の世代)がほとんど姿を消し、腰の位置もかなり高くなっている。2060年には、ピラミッドを反転させたような逆さ富士状(あるいはすり鉢状)に。この型は俗に「棺桶型」と言われたりもするのだが、ブラックユーモアが効いていて笑えない。
 現段階で日本は世界一の高齢化社会なわけだが、おそらくこの先もその座を明け渡すことはないのだろう。日本は世界を見渡してみても、極度に高齢化が進んだ社会で、今後、世界の先進国が直面するであろう課題にいち早く直面していることから「課題先進国」と言われたりもしている。一方で、そうした課題に対しては、5Gを基盤としながら、第4次産業革命によって猛烈なスピードで発展を遂げているAIやIoT、ロボティックス、ブロックチェーンなどの技術を社会に実装していく、いわゆる「Society 5.0」の実現によって解決を図り、「課題解決先進国」になろうではないかと声高々に叫ばれているのだが、人口構造上の課題を解決することは、言うは易く行うは難しであることは明らかだ。


「負」の遺産騒動

 高齢化率が高まるということは、言ってみれば、それだけ現役世代の負担が大きくなるということでもある。そして、今の現役世代が負担しきれなかった分は、もれなく次世代の子ども世代、孫世代へと引き継がれていく。
 2060年の人口ピラミッドは、建物でいうところの基礎にあたる「年少人口」がすっかりやせ細ってしまっており、バランスが悪いということは一目瞭然だ。絶対数が少ない彼らには、上の世代に比べて、一人ひとりに負担がより重くのしかかる。そして、彼らがその負担に耐えられなくなった時、現在の社会システムは崩壊する。
 もちろん、そんなことはあってはならない。今の現役世代は、自分(たち)だけの利益を考えて行動し、そのツケは将来世代に払わせば良いというスタンスは一刻も早く改めるべきだし、政治家も票をたくさん持っている高齢者ばかりに目を向けるのではなく、将来世代にもっと目を向けるべきだろう。行政府においては、未だに「前例主義」「慣例主義」を重んじる風潮があるが、少子高齢化が世界最速で進んでいる「課題先進国」において、正解や最適解を過去にいくら探しても見つかるわけもない。向かいのホームや路地裏の窓を探したって、残念ながら欲しいものが見つからないし、そんなことは誰もが分かっているはずだ。
 これからは前例や慣例をアテにするのではなく、目指すべき未来を定め、そこから逆算的に何をすべきか良いのか考えるべきだろう。そして、その時には、前例も慣例もないのがあたりまえだ。前例も慣例もない課題に対して、ソリューションを持つことは困難を極める。そもそも解くべきイシューを設定するのも骨が折れる作業にはなるだろうし、正解かどうかが分かるのにも時間がかかる。それでも、僕たち現役世代は将来世代に引き継ぐ負担を、可能な限り軽減する責務がある。
 同じことは地球環境問題についても言える。2018年8月にスウェーデンの15歳のグレタ・トゥーンベリさんが、気候変動に対する大人たちの無策に対して抗議するため「気候のための学校ストライキ」を始めて、その活動は瞬く間に世界中に広がったのは周知の通りだ。彼女たちは「負」の遺産を押し付けるなと叫んでいる。「負」の遺産の相続を拒否しているのだ。相続を拒否されるような未来を将来世代に残すわけにはいかない。
 “パーソナルコンピュータの父”と呼ばれるアラン・ケイの有名な言葉にこんなものがある。 

未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。
The best way to predict the future is to invent it.

 日本の社会システムが崩壊し、日本社会そのものが「棺桶」に納まらないで良いように、また、地球環境の悪化によって地球そのものが「棺桶」に納まらないで良いように、僕たちは未来を発明しなければならない。そしてそれは、一握りの天才が起こす(かもしれない)革命的なイノベーションを待つということでは決してなく(もちろん、そんなイノベーションが起きるにこしたことはないのだが)、一人ひとりが日々、残すべき未来を目指し、目の前の課題をクリエイティブに解決することの連続によって成しえることができるのではないだろうか。未来は「今」の延長にあり、未来は「今」から創ることができるはずだ。


出典:国立社会保障・人口問題研究所ホームページ(http://www.ipss.go.jp/


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