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卓球を清算したい。

卓球を清算したい。文章を書くことで。

「音楽をやる」と決めて東京に出てくるまで、15年やっていた。
中・高・大・社会人と。だから音楽歴よりよっぽど長いのである。

そもそも何故に卓球を始めたのか、という理由にもアトピーが絡む。
小学校五年の時に発病し、入院するほどの重症状態に。

その後、中学に入るころには一旦落ち着くが"汗をかくと悪化する体質"な為に、極力汗をかかなそうな楽なイメージである卓球を選ぶ。部活が必須だったので。

が、ハマってしまった。それまで好きだった絵を放り出す程に。
相当に練習した事もあり若干の成績も残せたので、高校は卓球の前期入学で入った。

さあこれから練習に励むぞ、という矢先に発病時以来のアトピーの悪化。
高校一年生の夏休みは治療で引き籠って過ごす。

総じて高校時代は皮膚の調子が悪く、結局思うように練習が出来ず大した成績も残せず卒業する。

好きだったから、大学に入っても続けた。
でもってこの頃は体調が良く思うように練習でき、かつ良い師とも巡り合えたのでドンドンと上達した。

完全に自慢話だが、大学二年の時に県の大学生大会で優勝したり、県北部の総合大会で優勝したりした。以来、卓球で人から一目置かれるようになった。

常に上を目指していた。とにかく上達したかった。
社会人になっても続けた。

だが、だんだんと私は感じるようになる。自分の限界というものを。

スポーツの世界は完全に"技術が優れている者"が"是"である。
人間性がどうのみたいな話をよく聞くが、人間性に問題があっても強い者は尊重される。散々見てきた。

現に私も大学生になって成績を残すようになったら、手のひら返しの対応をされた経験がある。

そうゆう訳でずっと技術を求めて来たが、この技術には"越えられない壁"が存在するのだ。一定以上のレベルへ行こうとすると。

所謂、生まれ持った天賦の才を持っている人間にしか行けない世界がある。それに私はある時点で気付いてしまった。目標を見失った。

そして当然の如く、スポーツの種類にもよるが加齢と共に運動能力は落ちて必然的に技術は落ちる。もう、先が見えたのだ。自分の将来の姿が。

卓球を続けてどうなるかという姿が。

---------------同時に、趣味で弾いていたギターが段々と楽しくなって来た。コピーしかしていなかったけども。

会社の帰りが遅い時も、毎日5分だけでも弾いていた。

『表現の世界は技術が全てでは無い』事に憧れ始めた。ずっとスポーツをやってきたから余計に。

が、私は普通の人間だから普通に暮らさなければいけないとずっと考えていた。会社を辞める気などさらさら無かった。

しかし以前に書いた経緯により辞め、漸くに音楽を始めるに至る。

と共に、私はラケットを置いた。15年握っていたラケットを。

15年続けていたものを辞めてまで、音楽を始めた。
だから私にとって音楽をやるという事は、それだけの重みがあるのです。

もう、ラケットは握らない。卓球は清算した。
さようなら卓球台、さようなら青いネット。

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