見出し画像

方言を忘れた子供たち。

方言についてまた考えたい。

いつだったろうか。母にこう言われた事がある。

「ちゃんと標準語で育てたつもりだったんだけど」と。

即ち何を言いたいのかと言うと"綺麗な標準語を喋れる方が良い"という考え方が、頑然として在るのである。

これは一定の年齢以下の秋田県人、のみならず東北全体さらには地方全体にあるのではと思っている。

私の親世代(60歳前後)は、出身地域や経歴にも左右されるが概ね標準語と方言の使い分けが出来る世代だ。

私の父の話をする。父は20代の頃10年程関東で過ごした為に、同年代と比べても殊更に使い分けが出来る。

そしておそらく母と同じような考えがあったようで、祖母や部落内の人間と話す時は秋田弁なのに、私や妹に話す時は完全なる標準語で話していた。

子供は標準語で育てなければいけないと思っていたのだろう。

だが結局のところ先日の記事で述べたような理由で、完全な方言話者に私は育ってしまった。

綺麗な標準語の話せる、地方人にとって理想的な大人にならなくて良かったなあと最近常々と思う。

別のところに話を持ってゆく。私はナチュラル方言話者である祖父母のいる環境下で育ったから、訛れる。

だが、この祖父母世代はこれからどんどん少なくなってゆく。即ち、祖父母世代が使い分けの世代となる。

そうなった際には、家の中で方言が出る機会が間違い無く極端に減る筈。

人口減少率ナンバーワン都道府県、秋田県。秋田弁は真っ先に消滅する方言だろう。

だから私は、秋田弁ブルースをちゃんと音として残しておきたい。そう思ってる。

私がやらなきゃ誰もやらない。いずれじっくりと音源化を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?