見出し画像

佐渡山豊を見た。(2023.12.08)

佐渡山豊を見た。
久しぶりに本当に感動した感覚がある。

体に穴が空いたんじゃ無いかと思う程、ザクザクと言葉が刺さってきた。

私はこれを浴びたいし、そして多分これをやりたいのだろう。

佐渡山さんは所謂フォーク世代のミュージャンで、郷里・沖縄をバックグラウンドとした歌を歌う方。

沖縄弁・標準語双方の曲があるが、いずれにしても土地の匂いが兎に角濃い。

私が初めて音源を聞いたのは恐らく半年くらい前だった気がするが、烏滸がましいが"スタンスとして"非常に近いものを感じ、一聴して心をうたれた。

少し前に岡林信康も見て、無論良かったのだが自分の心に直に染み入るという感覚では無く、やはり私は土地の匂いがする表現が好きなのだろう。今日改めて思った。

今年は自分のライブを只管に行ってるが、合間合間に色んなライブも見た。

素晴らしいライブというのは甲乙つけ難いものであるが、それでも今日のライブは間違い無く最上位に来る。

2月に見た友川カズキ氏のトリオのライブもこれに並ぶ。

結局のところ、人によってはアクが強すぎると思うくらいのが好みなのだ。
だから私自身もそうなる。

今日は色々な事を感じたのだが、特に印象に残った事の一つに"沖縄弁で歌われた時に全く理解が出来なかった"という点。

そう、私が秋田弁で歌っていて普段人から言われる事である。

私としては秋田弁も標準語も「分かる言葉」であり、分からない感覚が実感として掴めなかったのだが、それが漸く分かった。

実際に聴く側として分からない言葉を聴くと、その"分からない事"が大変に良く、その言語の持つ音的な響きやイントネーションに浸れるのが堪らぬと感じた。

私自身、言語的な理解は全く求めず秋田弁で歌っているが、やはりそれが良いのだと改めて思わされた次第。

日本という国において、未だに相互理解が不可能な言語があり、それを直に聴いてもらう事に意味があるのだ。
意味を分かろうとすることに、意味は無い。

閑話休題。

また佐渡山さんが標準語で歌い出すと、壮絶な内容ばかりなのが大変に良かった。

歴史を背景にした、戦争や差別の歌ばかりなのである。

重い世界に数時間浸って、私は得も言えぬ感慨に満ちている。
本当に素晴らしかった。

私も頑張ろう。
大変に良い刺激になった。

そして一つの気付きというか反省として、私は場所を選んで地獄系の歌を歌う事を辞めなければなと。

歌いたい事は、何処であろうと歌わなければと今日は思わされた。

・・東京の夜が、明るすぎる。東京の夜が、明るすぎる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?