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死の防波堤

痒い、痒い、兎に角痒い。
この数日、顔を中心とした皮膚が只管に痒い。

昔から酷い痒みに襲われる日々が続く度に思うことがある。
死ねばこの"痒み"という感覚から解放されて、楽になるんじゃないかと。

------------------自分で命を絶つ検討を大真面目にした事が、人生で三度ある。

一つ目は、高校一年生の夏休みにアトピーの重症化で引き籠ってた時期。
二つ目は、社会人三年目に重度の鬱状態にも関わらず、休まず会社に通ってた時期。
三つ目は、上京して音楽を始めるもののバンドも辞め、一人で活動を始めたもののネットのアンチで病み、さらに誰からも音楽を理解して貰えず秋田へ帰ろうと考えてた時期。

が、何故にギリギリのところで堪えられたか、辛抱出来たかというのは母方の祖母の存在に尽きる。

所謂私の曲に出てくる"婆さん"は父方の祖母で、この婆さんの存在により未だに激烈に記憶から消えない幼少期の体験をしている。

幼い頃から両親の不和により、父方と母方の家庭が完全に分断しており、私は母方の家庭で育ったも同然だった。

故に母方の祖母の愛情を強く受けて育ち、闘病の夏休みもずっと母方の実家にいて色々と面倒を見て貰ったのである。料理もこの祖母の手料理ばかり食べていたため、おふくろの味というのも、私にとっては祖母の味だ。

然も、母は二人姉妹で姉に子供がいない為に私と妹が唯一の孫なのである。だから、祖母は悲しませられない。絶対に。

三の時期に考えた。

「いざ死ぬとなれば、東京のアパートでは後に色々と迷惑がかかる。畳んで秋田に帰ってからの方が良いだろう」
「両親も妹もネットに疎いから、楽器やら何やら私がメルカリで売って現金化しておいた方が良いな」

ただ色々と考えても、最終的に頭に浮かぶのは"祖母が悲しんでしまう事"で「死ぬとしても、祖母が生きているうちは駄目だ」と思い留まるのである。

だから母方の祖母は"死の防波堤"なのだ。昔からずっと。

病気になったりもしながらも今も元気でいるが、結構な高齢である為、いつ天寿を全うするかは本当に分からない。昨年、祖母の下の兄が亡くなり、一昨日は上の兄が亡くなった。

偶に不安になる事がある。
死の防波堤が決壊した後の、私自身が。

四回目の死の検討が発生しないように、元気に生きていきたい。
そのために私は今、歌っている。

●重症アトピーで精神疾患になる人は多く、以下記事に書いてある話は私には痛いほど分かる。

●アトピー性皮膚炎とうつ病


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