菊地(昭和55年)

書籍編集者(昭和55年生まれ)。ノンフィクション担当にて単行本/新書/文庫の版型あんま…

菊地(昭和55年)

書籍編集者(昭和55年生まれ)。ノンフィクション担当にて単行本/新書/文庫の版型あんまり問わず。PRSJ認定PRプランナー。好きな画家はクリムト。道路が凍結する冬でも自転車通学する山形県出身です。コーヒーゼリーが好きです。

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『中小都市の「B級グルメ」戦略』(関満博・古川一郎編/新評論)を読んで ~ラーメン県ができるまで~

◤気になったポイント◢第3章 米沢ラーメン/「食」から地域経営を考える ・米沢の食の「ABC」ーA:アップル、B:ビーフ、C:カープ(鯉) ・特徴→麺:ちぢれ麺、スープ:鶏ガラ、煮干しのあっさり醤油が基本 ・大正時代に中国人によって米沢に広まった→1923年の関東大震災を契機に居を移した被災中国人と思われる ・築地の政養軒で修業した和洋中華なんでも作れた常松恒夫氏が米沢ではじめての日本人ラーメン職人 ◤本書内で紹介されている気になった文献◢『米沢ラーメンマップ 麺を楽しむ』

    • 『「ご当地ラーメン」の地域ブランド戦略』(関満博・古川一郎編/新評論)を読んで ~ラーメン県ができるまで~

      ◤気になったポイント◢・本書で取り上げた10のご当地ラーメン ①旭川ラーメン ②和歌山ラーメン ③熊本ラーメン ④上州藤岡ラーメン ⑤釜石ラーメン ⑥八王子ラーメン ⑦笠岡ラーメン ⑧伊那ローメン ⑨八幡浜ちゃんぽん ⑩沖縄そば ・1988年、旭川は地元の青年会議所がラーメンマップを作成、旭川中央郵便局主催のPT「レディースミーティング」も参加。95年に市民団体「ラーメンバーズ」が立ち上がり、夏祭り「ラー1グランプリ」開催からフードテーマパーク「あさひかわラーメン村」までつな

      • 『ラーメンの語られざる歴史』(ジョージ・ソルト/国書刊行会)を読んで ~ラーメン県ができるまで~

        ◤気になったポイント◢・19世紀後半から20世紀初頭、日本が工業化され、より都市化していくにつれ、それまで街の生活で優勢だった蕎麦屋と落語は、中華料理と映画館に取って代わられた。 ・1890年代の賃金労働者の増加は、都市部の食堂や外食施設への大きな需要を生み出した。 ・工員の数は第一次世界大戦中に140万人増加し、農業人口は約120万人減少した。工業生産高の増加と人口構成の変化は東京の飲食業への指摘となり、中華料理店、洋食屋、屋台という三つの業態が拡大する結果となった。 ・1

        • 『ラーメンの誕生』(岡田哲/ちくま学芸文庫)を読んで ~ラーメン県ができるまで~

          ◤気になったポイント◢・日本における麺食はそもそも「ハレの日」文化であった ・開国直後、明治期の日本は「獣臭、油を多用する」中国料理は不人気であった。明治期は食べても牛肉であり、苦手な獣臭を消すために醤油が味付けに使われていた。本格的な素材が集まらず、豚肉が敬遠されたことが不人気に拍車をかけた。 ・日清、日露戦争を経て大陸との交通が増えて華僑、留学生も増加。これによって日本の港町を中心に中国料理が広がっていく。 ・大正時代になって中国料理は「外観よりも実質的な味を尊重する料理

        『中小都市の「B級グルメ」戦略』(関満博・古川一郎編/新評論)を読んで ~ラーメン県ができるまで~