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「似顔絵」を描いてもらって、考えたこと。

こんにちは コピーライターの佐藤(さったか)です。先日ふと「noteのアイコンを、ちゃんとしたものに変更したいな」と思ったのです。なので、デザイナーのMさんに「アイコン用のイラストを描いてもらえる?」と、お願いしてみたところ「いいですよ」と快諾。

さっそく鉛筆で何種類かのパターンを下書きをしてもらったところ、ちょっと線が太くなったり、顎のラインが長くなったり、顔の角度が変化しただけで「全然違う印象」になってしまう。しかもモデル(佐藤)は、あまり特徴のある顔ではないので、なかなかポイントを掴むのが難しそうだ。なんだか、頼んだのが申し訳なくなってくる。

その中から「この方向かな?」と、ひとつ選んで微調整を進めてもらうと・・・そう、ここからがプロの技である。Mさんの場合は、作業を進めていくとある段階で急速に完成度が上がっていく。みるみる「それっぽく」変化していき精度が上がっていく。デザイナーにも色々なタイプの人がいるけれど、Mさんは「後半急上昇」タイプなのだろう。

そして「モノクロでいいですよ」と言ったのに、着色して仕上げてくれた。それが、アイコンで使用しているイラストである。「ピン、とひらめいた!」瞬間とのこと。なるほど。確かに「何か楽しそうなこと」を思いついたような顔をしている。

特徴を解釈し、イメージを編集していく。

ちなみに、僕は「このような帽子」は被らないし、シャツの第一ボタンを留めることもまずない。ひらめいた時に、斜め上を見ることもない。ところがイラストを見ると「なんとなく、自分っぽい」感じがするのが不思議である。もしかしたら、このような服装をしたことがあったかもしれない、とさえ思ってしまう。

つまりデザイナーは「実際の佐藤」を描いたのではなく「佐藤の特徴を自分の中で解釈」し、それにあわせた帽子や服を選び、第一ボタンを留めたわけである。目で見たものをそのまま描くのではなく「アイコン」として機能するように、特徴を最適化して表現してくれたのである。

ちなみにMさんからは、

佐藤さんに「自分のテイストを優先してください。似てなくても、いいです」と、言ってもらえたので、似せよう、と気負わず描けたかもです。(Mさん)

というコメントが届いた。しかし、似顔絵を描いてもらうのに「似てなくてもいいです」という依頼も、我ながら「?」な部分はあるけれども(笑)結果的に、気負わずに描いていただけてよかったと思う。いやはやなんだかすみません。

さて、今回、自分の似顔絵を描いてもらうことで、あらためてデザイナーの技(のようなもの)を再認識できたような気がする。線ひとつ引くのでも、そこには長年の経験と修練が積み重なっていて、僕が[ーーーーー]と適当に線を引くのとは、わけが違うのだ。あらためてそう思ったのでした。

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