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開業失敗物語・東京編①

みたかの小さなプリン屋さんがいかに失敗したかを毎回400~500字で綴るシリーズ『プリン屋開業失敗ものがたり』です。ノンフィクションよ~

前回までのお話はこちら

夏も近づく頃夫の転勤が決まり、それまで働いていた店を辞めた。結局クレープを焼く技術はいっさい習得できないまま「でもなんとかなるような気がする!」という楽天的お元気スピリットだけをたずさえて(※こちらの記事を参照)四国を去ることになった。

この時からさかのぼること4年、四国に引っ越してきた時は店を開業しようなどとは露ほども思っていなかったのにふしぎなものである。心境の変化があるお年頃だったのだ(30代後半から40歳にかけて)。

だーれも知ってる人がいない土地に移り住んでも、4年経てばけっこう知り合いもできて、東京に行くことを惜しんでくれる人も多かった。あと行きつけのうどん屋さんもできた。うどんが本当においしかった。四国は本当にうどんがおいしいんだなと思った。引っ越しの前日はたくさんの親子が集まってくれ、手紙やらお餞別やらをもらった。あと四国でも割と都会のほうに住んでいたのだが、「東京はこわい」と予想以上にみんな思っていて盛んに心配してくれるので、私自身は東京生まれ東京育ちなのに、なんか東京に行くのがこわくなった。我ながらよく言えば適応力がある。染まりやすいのである。このように身も心も四国民となり(甘いみそや醬油には結局慣れないままだったが)東京に帰るというよりは初めて上京するような緊張感で飛行機に乗った。

“こわいこわい東京”での生活が始まった。
三鷹のはずれの町はのんびりしたところで、畑も散見し、思っていたよりこわくはなかった。子どもたちもそれぞれ新しい学校に慣れ、私も新しい街での暮らしに慣れてきた。新生活が軌道に乗るまでは開業のことは棚上げしてきたが、そろそろ考え始めようとなったのは秋風が吹く頃だった。

つづく。



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