子供にゲームを与えるか悩んだ話
子育ては選択の連続だ。
毎回どっちに進めばいいか、悩みと迷いのどん底に突き落とされる。
私は子供と親は“同期“だと思っている。子が生まれた瞬間に親は親になるから、親子は会社の同期の仲間。親子関係をそんな感じでとらえている。子どもが悩んでいれば親も悩んでいる。自分が親になってみてそれがよくわかった。だから親が言うことが正解とは限らない。
わかったふりして親の顔してるけど本当はわからないことだらけ。
子どもたちが小学校に上がった頃、ひときわ選ぶのが難しい選択肢が現れた。
Q、子供にデジタルゲームを与えるかどうか。
どうする、自分?
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うちは年の近い子どもが3人います。
幼稚園のときは電気仕掛けのゲームは使わないできました。
小学生になると学校の子たちが当時流行中のプレイステーションやゲームボーイで遊び出すんですよ。とくに男子が。
で、どうしようと。
クリスマスや誕生日が近づくたび、どうしようかと。
どうしようどうしようと考えまして。夜な夜な「ゲーム」「子供」「影響」などのワードを組み合わせて検索しては他人の意見やデータを眺めながら考えて考えて考えて、結局考えるのやめたんですよ。
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ブルース・リーは映画『燃えよドラゴン』で「考えるな、感じろ」と言いました。
私、どうするのがいいかわからなくなったので自分の感情に問いかけたんですよね。
そしたらなんと
「やだ。絶対いやだ」
という答えが返ってきました。理由は……言語化できないですね。子どもの遊び相手をゲーム機に渡してたまるか、というよくわからん対抗心がメラメラ燃えていたような気もします。
結局私はゲームを買い与えない理由を夜な夜なインターネットの世界に探し求めていたんですよね。でも都合よくそんなメッセージは見つからない。バランスを取るようなほどよいアイデア、スポンサーに配慮するようなぼんやりした意見。意見もぬるけりゃ、私もぬるい! 自分ちの子育てのこと、なんでよそに正解を見つけようとしてんだ、私。
で、包み隠さず子供たちに言いました。
「お母さんさ、どうもみんながデジタルゲームしてるの見るのイヤみたいなんだよね。なんでかわかんないんだけど。みんなが背中向けてテレビの画面見てボタン押して遊んでるの見るのイヤみたいなのよ。なんでかわかんないんだけど」
と。そして
「だからうちはゲームなし、ってことで行こうと思うけどどうかな」って。
そうしたら意外とみんな受け入れてくれたんですね。
もちろん、結局親が言うことが絶対だ、という気持ちであきらめた面もあるでしょう。けれど、私が他人の借り物の意見を盾にゲームを禁止したのではなく、自分の感情をただ正直に伝えたことで「じゃあ、しょうがないか」とすんなり思ってくれたようなのです。
お母さんのわがまま聞いてあげようか、という形です。
それからは「ゲームのない家でどうやって楽しく遊ぶかプロジェクト」をみんなで盛り上げていく雰囲気になって、次々にオリジナル風の遊びが生み出されていきました。「うち、ゲームないからね~」が合言葉です。
たとえば雨の日の家遊びの定番、お化け屋敷かくれんぼでは私も探すときめちゃくちゃ怖くてコーフンしました。
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当時幼稚園児だった末っ子の口ぐせは「なんかおもしろいことないかな~」です。
暇な時間を何をして費やすか考える時間。それはそのまま、自分の内側と濃厚に語り合う経験になります。
私は子供たちにゲームではなく、『退屈』をプレゼントしたのだと後になって思いました。
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おもしろいことに、家の中にゲーム機ないから、家の前でアナログに遊んでいると近所の子どもたちがどんどん集まってくるんですね。だるまさん、鬼ごっこ、キャッチボール、中当て、バドミントン、学校ごっこ、遊園地ごっこ、泥料理作り、怖い話披露会、まわり将棋、くずし将棋、読書、壁新聞作り、会社ごっこetc,etc・・・・・・
デジタルよりもアナログ遊びがいいとか私は思いませんし、どっちを選ぶのが正解だったかもわかりません。
野球のボールやバドミントンのシャトルは何度お向かいのお家の庭や屋根に乗せてしまったか数え切れません。毎回行くとうっとうしいかなと思い、少したまった頃に子供たちを連れてペコペコ引き取りに行きました。ゲームだったらこんな必要ありませんよね。
友だちの家に行って、やったことないマリオカートでぼこぼこに負かされてうなだれて帰ってきた時は「息子、ごめんよ」と思わずブレそうになりました。
なんだかんだ言っても私がフルタイムで働いていたらそんな悠長なことは言ってられなかったでしょうし。
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借り物じゃない自分の言葉で話したのはよかったと思います。人の意見やデータをもとにゲームを禁止していたら、そのプロセスにも結果にもきっと責任を持てなかった。顔の見えない誰かさんのせいにしていたと思う。
あと意外と感情って頼りになるんですよね。「なんか変」「なんかおかしい」「なんかやだ」「気持ち悪い」。そういう違和感はこれまでの経験からくるシグナルなので、何かを決めるときには大事にすることをおすすめします。
ゲームを買わないと決めたときは「仲間外れやいじめられることもあるかも」とやや悲壮な覚悟をしましたが、家にゲームがない子は隠れキリシタンみたいに意外と多かったです。わざわざ「自分はゲーム持ってないよ!」と声を上げることはないので目立たないのですが、仲良くなってみたら「え、君も?」「お宅も?」ということはよくありました。
そして子育ては続いていきます。
「デジタルゲームを与えるか」の問いにやっと答えられたと思ったらまた新たな選択肢が次々に現れては私を翻弄するのですが、それはまた別の話。
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私の選択が正解だったかどうか。それは別の選択肢を選んだ場合の結末を見ることができないので永遠にわかりませんが、子どもたちが皆20歳前後になった今、彼らは目の前に広がる時間をどう使いたいか自分で考えることを身につけたようではあります。もうそれで充分ではないですか、と私は思っています。
あくまでうちの子育ての話ですが。
それではまた明日☆
▼こんな風に育っております。
https://note.com/satotikajp/m/m97b66a9a5008
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