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【3分ショートショート】祭り

「金魚すくいがしたい」
 ミカちゃんがいった。
「こんどのお祭りで露店出して」
 ぼくはため息をついた。いつものことだが、さらりと無理難題を突きつけてくれる。
「念のため訊くけど、水槽の金魚をポイですくう、あれのことだよね」
 ミカちゃんは「よくわかんないけど、たぶんそれ」と頷き、「じゃ、お願いね」といい残して去っていった。
 無重力で金魚すくいだって? 重力のない静止軌道ステーションで生まれ育ったミカちゃんは、知識として重力を知ってはいても、感覚としてはつかめてない。金魚すくいがいかに重力に依存しているかを分かっていないのだ。ここでは水は凶器になる。水面に網的なものを突っこんで中身をすくい上げるだなんて、水が盛大に跳ね散らかって、大惨事になること請け合いだ。
 だが、他ならぬミカちゃんの頼みだ。なんとかしてやりたい。仕方なく、例によって神宮路を頼った。
「無重力状態では、表面張力が卓越する」
 神宮路はまるまっちい手で、ポイを振る仕草をした。
「まずは水を味方につけることだよ」
 こう見えてこいつは、無重力における物質輸送のスペシャリストだ。だがこちらにも、理論屋としての意地がある。
「いや、親水性が大事なことくらい分かってるさ。だがそうすると、ポイから水が離れなくなるだろ。どうやって金魚をすくい上げる? 無理すれば水が飛び散るぞ」
「表と裏で親水と疎水を使いわければいい」
 なるほど。泥臭い解決法だが、一理ある。
「金魚の大きさは?」と尋ねる神宮寺に、ぼくは金魚通販店の商品画像を見せた。
「四、五センチ、ってとこだろ」
「うーん。それだとそこそこの水量がいるな」
「水槽にはビニールプールを想定してる」
「空気で膨らます、あれか? あれはどうかな。底が平らだから、深くはできんだろ」
「だからさ」ぼくは頷いた。「浅いからエアレーションなしでいけると思う。あれは危険だ」
「それはまあそうだが、それだと、肝心の金魚が水面に張りつたままにならないか」
「金魚の泳力にもよると思うが」
「宇宙エレベーターで延々と運ばれてくるんだろ? かなり弱ってるはずだ」
「金魚すくいには好都合だろ」
 神宮路は「うーん」と唸ると目を閉じて、金魚をすくう身振りをくり返した。
「実験が必要だな。すこし時間をくれないか。試してみたいことがある」
 結局そのあと、実験だけでなく実施までやらせろと連絡があり、ぼくは二つ返事で快諾した。餅は餅屋だ。反対する理由はない。
 それから音沙汰のないまま、宇宙エレベーター祭当日を迎えた。神宮路に呼びだされて、静止軌道ステーション中央セクション商店街に出かけてみると、軒を連ねる出店のひとつに人集りができていた。何事かと眺めていると、人垣の奥から鉢巻きに法被姿の神宮路が現れ、裏に回れと手振りをした。
「やあ、遅かったな」群衆を避けて裏側まで来たぼくをテントに引っぱり込んで、神宮路がいった。「ミカちゃん、もう始めてるよ」
 テント内には直径三メートルほどの透明な球体が据えられていた。中には小さな赤い金魚が放され、貝殻のブラに人魚のような下半身のミカちゃんがくるくる回っている。
「……なんだ、こりゃ」
 驚くぼくに、神宮路はにやりと笑った。
「金魚すくいだよ」
 色鮮やかな尾ひれと透けるような白い肌のコントラストが艶かしい。
「衣装はミカちゃんの自前だがな」
「いいねぇ……いやいや、そうじゃなくて。どういう仕掛けなんだ」
「そこの」と神宮路が球体の側面を指した。「出入り口から中を見てみろよ」
 マンホールほどの大きさの穴から覗きこむと、球の内面には水が薄く張りつき、金魚が群れ泳いでいる。しかし、出入り口の周囲だけリング状に濡れていない。
「なるほど、撥水剤か」
「表面張力さ。この水深ならこれで十分だ。外には漏れてこない」
「破れちゃった。替えて」
 突然、ミカちゃんの声がした。しっとりと濡れた腕が、穴から突きだされている。神宮路が新品のポイを渡すと、
「楽しいね、金魚すくい」
 と満面の笑顔で戻っていった。狭い球体内で長い両腕とひらひらの尾びれを巧みに操りながら、金魚を追いまわしている。
「これじゃあ、人魚ショーじゃないか」
「見とれてないで、ほれ――」
 神宮路が小さな玉網を押しつけてきた。
「穴から漂いだした金魚、救っといてくれ」
(了)


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