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【3分ショートショート】ありがとう

「ありがとう。これでひと安心だよ」
 礼をいうあたしに、宇宙船の機械知能は「それはよかった。お力になれそうなことがあればいつでも仰ってください」と、いつもの決まり文句を返して会話を締めた。緊急事態でも冷静な機械知能は頼れる相棒だ。
 ここは木星のトロヤ群。あたしはいま、太陽からはるばる五天文単位、つまり太陽から地球までの距離をさらに四倍ほど伸ばした先の木星軌道上で、さらに木星から六十度ほど進んだあたりに位置する小惑星群の、まさに真っ只中にいる。
 宇宙エレベーターの開通以来、人類は本格的に宇宙空間への進出を果たした。ここはそのフロンティア。小さいものまで含めて数百万個あるという小惑星に、一攫千金を狙う資源ハンターたちが群がっている。
 とはいえ、密度は宇宙的だ。小惑星「群」とはいっても、その領域は地球の公転軌道の内側より広い。つまりはスカスカ。お隣の小惑星まで行くにも長期間の航行を要する。実際、周辺を検索しても、有人宇宙船として表示されるのはあたしが乗るこの一機だけだ。
 そして、宇宙空間での軌道変更には推進剤が要る。運動量保存則は出し抜けない。つまり、他人より早く多くまわろうと思えば、宇宙船は軽くなくちゃいけない。というわけで、ここらで活動してるのは、大抵が人付き合いを苦手とする一匹狼。ご多分に漏れず、あたしもその一人ってわけ。
 宇宙の外れに一人きりではさぞ寂しかろうと心配されることもあるが、そもそも他人が怖いからこの仕事に就いたわけで、心穏やかに日々を過ごしている。それに、通信は確立しているので孤独ではない。もっとも、こんな辺境で向こうから呼び掛けてくるような輩には要注意だけど。ここはフロンティア、荒くれ者が多いのだ。
 あたしの仕事は小惑星の資源探査。真っ当な仕事だ。望遠鏡による遠隔観測や無人宇宙機による自律探査とはひと味ちがう、現場目線での細やかな情報提供を売りにしてる。顧客満足度が高いのが自慢。
 地道にこつこつやるのが嫌いではない性格が合ってたのかもしれない。退屈な航行とお決まりの探査の繰り返し、というのがあたしの暮らし。もちろん遠く離れた地球にはそうそう戻れない。ていうか、まだ一度も戻ったことはない。それでも平気なのは、優れものの宇宙船のおかげ。
 エネルギー源は小型の原子炉で、もちろんメンテナンスフリー。ここでは太陽電池は用をなさない。太陽は地球から見上げる力強さとは程遠く、小さくて弱々しい。
 宇宙船の環境制御・生命維持システムは自立型なので、補給なしでも長期間の活動が可能。それはつまり、わたし自身もシステムの物質循環に組み込まれてるってことだけど、慣れてしまえばどってことない。
 とはいっても、補給がまったく不要というわけではない。推進剤や交換時期の機器類は、無人補給機が定期的に運んでくる。依頼すれば嗜好品だって注文できちゃう。届くまで最短でも数か月は待たされるけど。
 ただ緊急事態というのは、いつでも起きうるし、いつ起きるかの予測もつかない。そしてその重大度もさまざまだ。
 今回の緊急事態は、環境維持システムで使われてる触媒酸化ユニットの故障だった。有毒ガスを無害化するために使われているパラジウムが、想定外に劣化したらしい。
 システムは冗長化されてるから最悪の事態ではないけれど、一系統のみに頼るのは危険だ。いますぐにでも交換したいところだが、つぎの補給は数か月後。なにか手はないだろうかと機械知能に相談したところ、接触可能な軌道に有人機登録を抹消された宇宙船が漂流してるので、故障したユニットを取りに行ってはどうか、と提案してくれたのだった。
 なんらかの理由で放棄され漂流している宇宙船は珍しいものではない。有人機登録が抹消されていれば、所有権にかかわらずデポとして使って構わない、というのが辺境宇宙の暗黙のルール。有り難く使わせてもらおうと、あたしはすぐに軌道変更を指示した。
 残った触媒酸化ユニットが故障しませんように、と祈る数週間を経て、ようやく目標の漂流船と接触した。
 宇宙服を着て、乗り移る。目指す触媒酸化ユニットは与圧区画内にある。漂流船の船内環境が健全に維持されてるとは思えない。宇宙服のままエアロックから船内に繋がる隔壁を開くと――。
「!」
 そこには、銃を構えた人間がいた。
 偽装船強盗だ、と思ったが、逃げようにも狭いエアロック内では身動きが取れない。
「おとなしくしてもらおうか」
 奴はにやりと口角を上げた。
「稼がせてもらって、ありがとうよ」

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