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【3分ショートショート】選択

 当直交代のためにコントロールルームに入ると、狭い室内に甘い匂いがこもっていた。
「いいんですかキャプテン、そんなもの食べて」
 呆れながらコマンダーシートに着くと、隣からど派手な配色の袋が差しだされた。
「君もどうだい?」
 どぎつい色のゼリービーンズが数個、勢い余って袋の口から飛び出した。重力が弱くなっているせいで、緩やかな放物線をたどってゆっくり散らばっていく。ぼくは腕を伸ばして残さず捕まえると、まとめて頬張った。
「糖尿病なんれすよね。身体によくないんじゃないんれすか?」
「それはまあそうなんだけど、とくにやることもないし、暇だしね」
 キャプテンはだらしなく膨れた腹のうえに袋を戻し、まるっこい手をガサリと突っこんだ。毒々しい繭型の菓子をつまみ出し、愛おしそうに眺めてから、おちょぼ口にした唇の隙間に押し込む。
 まあ、気持ちはわからないでもない。ここは貨物クライマーのコントロールルーム、宇宙エレベーターでの物資輸送の現場だが、完全自動運転なのでコントロールというのは名目だけだ。人間が制御しなければならないことはほとんどない。二人の搭乗者――キャプテンとコマンダーの業務は機器類の監視と定時連絡くらい。機械知能では判断不能な事態にでも陥らない限り、退屈な職場だ。
 しかも業務時間中の離席は禁じられていて、その間ずっと監視されている。なにかあったときに当直者に責任を取らせるためらしいが、ずっと座ったままで、しかも高度が上がるにしたがって重力も弱くなるため、どうしても運動不足になる。肥満への道まっしぐらだ。
 キャプテンはシートから溢れそうな身体をもそりと動かした。
「なんか、やめられなくてさ」
「また奥さんに怒られますよ」
 急に元気がなくなる。しゅん、という効果音が聞こえてきそうだ。「そうなんだよね……じつは、もうすぐ子供が産まれるんだ」
「ええっ? だったらそんなもの食べてちゃだめじゃないですか」
「うん、わかっちゃいるんだけどね」
 そのとき、管制官からの通信を知らせるチャイムが鳴った。
『当直の引き継ぎ時間帯に申し訳ないが、緊急の案件が入った』
「いや、ふたりで聞くよ」キャプテンが受ける。「そのほうが手間が省ける」
『そういってくれると助かる。じつは、非正規搭乗の情報提供があった』
「やれやれ」袋がガサッと音をたてる。「また密航か」
『いや今回のはもっと悪質だ。おたくらが運んでる実験動物用の生体コンテナに、乳児が数人詰め込まれてる可能性がある』
「くそっ」キャプテンは拳でシートを叩いた。ゼリービーンズが飛び散る。「人身取引か」
「人身取引?」
「たまにあるんだよ。乳児だと、臓器摘出が目的かもしれん」
「なんてこった……貨物コンテナじゃ到着するまで手が出せないじゃないですか」
 キャプテンは険しい表情でうなずいた。管制官に「確かなのか?」と念押しする。
『当局からの通報だ。確度は高いだろう』
「こっちはもうデスゾーンに入ってる。いまさら引き返せないぞ」
 デスゾーンとは、クライマー乗務員の符丁で救助困難域のことだ。宇宙エレベーターのケーブルは海上ターミナルから静止軌道ステーションまで三万六千キロもあり、貨物クライマーの最高速度は時速二百キロにすぎない。ケーブルの中央付近では、なにかあっても人命救助の制限時間といわれる七十二時間以内での対応が困難になる。つまり、ここでなにかあったら死を覚悟しろ、という隠語だ。
『承知している。だが時間がない。酸素がもつか不明だ。こちらから救援部隊を降ろすが、おたくらはそのまま上ってきてくれ』
 沈黙が流れる。不審に思ってキャプテンに目をやると、うなだれたまま動かない。だらりと下がった手から、ゼリービーンズの袋がゆっくりと床に落ちていく。慌てて頸動脈を探るが、脈が感じられない。
「緊急事態だ!」ぼくは管制官に叫んだ。「キャプテンが意識喪失した。心臓発作かもしれない。どうしたらいい」
 救急救命の手順を開始するが、一刻も早く病院に搬送しなければ。デスゾーン対策として、コントロールルームだけ切り離して地球に降下できる構造になっている。だがその場合、貨物コンテナはケーブル上に残置される。生体コンテナの幼児は助からないだろう。
 数人の乳児か、キャプテンか……。
 管制官が乾いた声でいった
『君が選んでくれ』

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