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【3分ショートショート】偶然

 警告音が鳴った。
「電源系の過熱です、キャプテン」
 隣席からコマンダーがこちらを伺う。
「そうか」
 ため息が漏れる。この乗務を終えればようやく休暇だというのに、ついてない。
「では――」
 チェックリストを出してくれ、とオーダーする前に、メインモニターにチェックリストが表示された。
「……?」
「偶然ですね」コマンダーが親指を立てた。「きのうまで技能審査だったんですよ。人使い荒いですよね。で、シミュレーター課題のひとつがたまたま電源系のトラブルでして」
 キャプテンと呼ばれてはいるが、このクライマーにはわたしとコマンダーの二人しかいない。宇宙エレベーターのクライマーは自動運転だが、無人ではない。わざわざ人間を二人も乗せているのは、なにかあったときに責任の所在を明確にするためだ。そのためにクルーには定期的な技能審査が義務付けられているし、いまどきチェックリストで人間に確認させるのも同じ理由からだ。
 コマンダーがきびきびと読み上げるチェック項目にしたがって、状況を確認していく。
「――質量確認、っと。いいですね、どうやら電気ブレーキだけでいけそうです」
 このクライマーは下りのコンテナ回送便。空のコンテナを静止軌道ステーションから海上ターミナルに降ろしているところだ。宇宙エレベーターの下りでは、位置エネルギーをいかに処理するかがポイントになる。通常は回生ブレーキで電気エネルギーとして回収するのだが、この状況で使い続ければ最悪火災の恐れがある。だがチェックリストの結果によると、宇宙空間に熱として捨てる電気ブレーキで代替できそうだった。
「では、切り替えてくれ」
「電気ブレーキ作動、回生ブレーキ停止」
 機体が揺れた。電気ブレーキはよく効く。
「機体が軽くて、ラッキーでしたね」
「いや、効き過ぎだ。少し緩めた方が――」
 突然、警報音が鳴り響いた。
「どうした?」
「ケーブル損傷警報です」
 わたしは思わず舌打ちした。最悪のタイミングだ。
「機体投棄の――」
 やはりいい終える前に、チェックリストがモニターに表示される。
「デブリストライクでしょうか、レアですね。貴重な体験です」
 電気ブレーキは本来、緊急ブレーキだ。使うとケーブルに大きな負担がかかる。もちろん宇宙エレベーターのケーブルはそれに耐えられるようにできているが、デブリの衝突で強度が落ちれば、破断などの壊滅的な結果を招きかねない。ケーブルに負担をかけないためにはブレーキを解除するしかないが、解除すれば即座にケーブルは縮み、クライマーは自由落下する。そのままではケーブルを巻き込む危険があるので、クライマーをケーブルから離す必要がある。それはつまり、クライマーの投棄を意味する。投棄された機体は、大気圏に突入して燃え尽きることになる。
 急いでチェックリストを完了し、コマンダーにパージをオーダーすると、それまでわずかに感じられていた重力が消えた。
「ケーブルからの離脱確認。積荷が空コンテナだけだったなんて、ついてましたね」
「だがこれで、お楽しみはお預けだ」
 空荷だったのでクライアントに迷惑をかけることはないが、機体は失うことになる。事故調査委員会やらなんやらで、しばらくは面倒なことになるだろう。だが、ぐずぐずしてはいられない。大気圏に突入する前に、クライマーからキャビンを分離する必要がある。キャビンは大気圏突入カプセルになっている。燃え尽きることなく太平洋に着水できるが、安定した大気圏突入のためにはクライマーから分離する必要がある。
 チェックリストで大気圏突入シーケンスを開始し、キャビンの分離をオーダー。すぐに分離ボルトの動作音が……しない?
 けたたましい警戒音がキャビンを包んだ。
「こんどはなんだ!」
「分離不良。クライマーが外れません」
 大気圏に突入したキャビンはパラシュートで海面に着水し、救助船を待つことになる。クライマーが分離できなくてもキャビンが燃え尽きることはないが、余計なものをぶら下げているせいで着水点は大きくずれる。しかも、そのずれは予測不能だ。無事に着水できるとはいえ、広い太平洋のど真ん中で救助が来るのを待ち続けることになるだろう。
「長いバカンスになりそうだな」
「偶然ですね」隣席からコマンダーが微笑みかけた。「そろそろのんびりしたいなと、わたしも思っていたところです」

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