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フードロスは本当になくしてよいのか

ここ最近、牛乳が廃棄される映像が広まったり、コオロギを強制的に食べえさせられるというデマが拡散されたりした結果、フードロスへの批判がさらに高まっています。しかし僕は、フードロスは本当に無駄なのかという点については個人的に疑問を持っています。

食料廃棄という安全保障

食品の廃棄を可能な限りなくそうということは割と昔から言われてきたことのように思いますが、果たしてそのような状態になった時に問題は起こらないのでしょうか。
まず前提として現代の社会は自給自足の生活により成り立っているわけではありません。必要なものはスーパーマーケットなどで購入して手に入れます。もし、本当に廃棄がゼロに近くなった場合、今のように自由に自分が口にするものを選ぶことはできなくなるでしょう。
また、廃棄を子ども食堂やフードバンク等に寄付することで有効に活用すればよいという意見もありますが、これも賛同しかねます。ものを作る時に強度をぎりぎりで設計する人はいません。(乗っている人が平均体重以上だと壊れる乗り物とかないですから)万が一廃棄を100%有効に使える社会が実現した場合、何かの事故で少しでも食品の供給が滞った場合、まず子ども食堂やフードバンク利用者から飢えていくことになります。さすがにここまで極端な効率化は実現不可能だとは思いますが、安全のためにはある程度無駄が必要であることはわかると思います、
もちろん、国策で増産したはずの今回の牛乳の廃棄に対する補償が行われないことのような構造的な問題はあります。しかし、それは別の問題であり一概に食品の廃棄をなくそうというのは危険な思想であると思います。
国内で余っている食品を廃棄して同じ品目を輸入するなんてありえないという意見も見ますが、こちらについても疑問が持たれます。
たとえば、うどんを食べる文化のないオーストラリアではわざわざ日本向けにうどんを作るのに向いた小麦を生産して輸出しています。もちろん、市場を勝ち取るための努力という側面はありますが、基本的に商品の取引の場においてお得意様というのは信用があるため優遇されます。食料が不足した場合に同じ金額を出す国家が複数あったれば日本が優先して売ってもらいやすくなるのです。
それ以外にもリスクの分散を行えるという考え方もあります。平成の米騒動が有名ですが例えば冷害であったり伝染病であったりといった理由で特定の食品が生産できないという可能性はあります。その際に食品の生産場所が分散されていれば、そちらから入手するという選択が取れるわけです。

訳アリ野菜と生産者

僕自身、活動を始めた当初は訳アリ野菜も流通に乗せられるようになれば農家の利益になるのではという風に思っていたのですが、実際に農家さんの話を聞いていると訳アリ野菜を流通させること自体農家さんのメリットにはならないのではないかと考えるようになりました。
まず前提として、訳アリ品というものは安く買われます。人間の胃袋には限界がある以上安く買えたからと言って需要が大幅に増えることはありません。仮に安く安定して訳アリ野菜が買える世の中が実現してしまった場合、下手をすれば正規品であっても訳アリ品の同じだけ値下げしなくては売れなくなってしまう恐れがあります。このような世の中になった場合、農家は生活していけるのでしょうか。
欧米のスーパーのように規格を分けずに多少規格から外れていても売ってしまえば廃棄が減るのではという意見もありますが、こちらも少し疑問が持たれます。まず、品目にもよりますが野菜を輸送する際に規格を分けないことで野菜同士が傷つけあい、結果として廃棄が増えたり輸送時のコストが無駄にかかる恐れがあります。
また、現在所属している研究会で野菜の無料配布を行った経験でいうと日本の消費者はたとえ無料であっても規格外の野菜を避けます。変な形であったり小さかったりということがあるだけで残ってしまうのです。ご老人だと気にしなかったり、味が変わらないことや利用法の説明をすれば基本的に喜んでいただけましたが、スーパーマーケットでそのような売り方は無理があります。
また、廃棄の野菜というものは基本的にリサイクルされているということもあります。作物のシーズン終わりに産地に行くとわかりますが、廃棄の野菜は畑にすきこまれるなどして次の野菜を育てる栄養源の一部となっています。これを無駄と断じることはできないと思います。
どうしてもこの生産者さんが支援したいので訳アリ野菜でも買いたいという場合でも正規品と同額で買わなければ結果的にほかの生産者さん、あるいは巡り巡ってその生産者さんを追い詰める、そんな結果になるかもしれません。

まとめ

消費者の心理としてなるべく安く買い物を行いたいということは当然の心理です。このような心理を持っている中で商品が捨てられているのを見ればもっと安く買えるのではないかと考えるのは当然のこと、ましてや日本にはもったいないなんて言葉があったりもしますからあれを有効活用できないかと考えてしまう気持ちはわかります。
一方で、安全保障や生産者の目線から見た場合、それが本当に無駄と言えるかということは疑問に思われます。自分の目線からは無駄に見えたとしても視点を変えてみたら違うかもしれないということは私も意識していきたいです。


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