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トンガリの中のガラス玉 〜自分らしさとの向き合い方〜

私が自分らしさにこだわるのにはコロナ禍の影響があります。

コロナ禍になり、仕事が激減し家にいることが増えました。

仕事をしたくても、外出規制が厳しくなるにつれ、航空機の需要はもちろん減るわけで、その減少から仕事で出社する回数も減っていきました。

最初の頃、仕事のない日は実質休みで、雇用と給料が確保されていたことに感謝するも、家で鬱々とした日々を過ごしていました。

月に多くて2~3日の出社日を除き、家にこもる日々が続く中で、徐々に自分の存在や考え方について改めて自分と向き合う時間が増えたことで自分の人生に向い合うようになりました。

それまでは、仕事を誇りに思っていて、「この仕事をしている自分最高〜」「この仕事で楽しんでいる限り人生薔薇色」くらい思っていたんです。

そんなやりがいも幸せも全部が載っていた仕事でしたが、
本当はただの肩書きで私の一部ではあっても、決して全てではないのだということをあの一年で気付かされてしまったのです。

やりがいのある仕事でしたが、一方で明日急に必要ないと言われるかもしれない、そんな存在であるということに、気がついてしまったのです。

決して、大袈裟なことではなく、会社が悪いという話でもありません。

ただ、私はその会社のその仕事という単なる肩書きに安心して身を任せきっていたのかもしれないと、この時に初めて気がつきました。

終身雇用が危ぶまれるような社会ですが、そうは言ってもまだ現実味を帯びて自分たちの生活を直撃した例はあまり多くは聞きません。

ですが、そんな状況を実際に体験してしまうと、
ここからの時代は自分の力で生き抜かなければいけない
そのためのスキルと経験を積まなければいけないんだと強く感じました。

これが私の転職の理由にも繋がっています。

実際に、転職をしてみると、様々な背景を持っている人が集まっていました。
そして、それぞれが自分の武器を手に仕事に向かう姿は本当に刺激的な日々でした。

キャリアアドバイザーという仕事を通して、色んな就活生と話す場面がありました。その中でよく聞いた言葉が、「自分にしかできない仕事をしたい」ということでした。

私自身、自分だけの武器を手にしたいと転職をしたから、その気持ちが痛いほどわかります。

会社に入って、ただ先輩の言いなりになって黙って年を取るのを待っているだけのサラリーマンはここからの生き残りは大変なものがあります。

ただ、一方でその自分らしさを見つけることも簡単なことではありません。

そしてまた、たとえ自分のやりたいことを見つけても、そこにチャレンジすることというのも大変な場合があるということを最近知りました。

このYouTubeを見て、無意識ではありますが、自分がやりたいことより自分ができることを探している場合があるということに気づかされたのです。

確かに、自分も何ならできるか考えて、「これならチャレンジしやすいかも」みたいに考えている時があるということに気がつきました。

ですが、私が本当にやりたいことを考えてみると、違うところに自分の本心があって、中には経験したことないことやちょっとハードルが高いこともありました。

ただ、その自分の本音が忙しさや人の目、お金の心配とか色んな要因で隠れちゃうんですよね。

だから、気がつけば自分の本心ってどこにあるのっていう状態になると思います。
そして、自分らしさからも徐々に離れていく・・・みたいな。


***

「自分らしさ」も、一見どこにあるのかわからなくなります。

中には、周りの人からこう思われてるから、自分はそういう人なんだと、自分を評価することもあります。
むしろ、周りからこう思われたいと作っている場合もあるかもしれません。

ですが、そういう自分が本当に自分らしいかというと違ってくることもあって…
自分の人生の長さだけ、そこにギャップが生じてしまうことは誰しも仕方のないことなのかもしれません。

「自分らしさ」ってなんだろうって考えた時、自分の内側にあるものと外側にあるものの2種類がある気がします。

それが玉ねぎのように包まっているイメージ。

自分の外側にあるものは自他ともに認める性質で一番わかりやすいもの。
時に、周りからしか見えない場合もあるかもしれません。

ですが、一方で自分の奥底に眠っていて、殻にこもっている自分がいることも事実あると思います。


周りからはおとなしいと思われてるけど、実は毒舌。

しっかりしていると言われるけど、実はお風呂嫌いで休日はゴロゴロ過ごすのが好き。

とかね。


全部私なんですけど、はい。


ただ、最近感じるのが、別にそれって性質であって、悪いことでもないんですよね。ひかれるかもとか思うんだけど、意外と周りも同じようなこともあったり・・・。

そういう殻みたいなのを一つ一つ剥がしていくことで、本当の自分が見つかったりします。

そのためにはゆっくり自分に向き合って考える時間が必要なのですが・・・。

ただ、私にとって一番効果的だったのは、
「お金の心配や周りの目を気にしないのなら本当はどうしたい?」
という自問でした。

誰かのYouTubeで聞いて、実践してみたのですが、本当に効果的で、自分の本音と向き合えたのです。


***

最近、浮かんだイメージで「他人は自分の写し鏡」ってこういうことだよなって思ったものがあります。(本来の意味とは少しずれますが・・・)

すごい突飛ですが、例えば自分が三角みたいな形だったとして、相手も似たような三角の形の人が来るわけですよ。

うまく辺と辺を合わせれば新しい形ができるわけで、譲り合えないと、お互い角を突き刺しに行くみたいなことが起こると思うんですよね。

逆に言えば、自分は丸なのに相手が三角だから、角がなくてダサいって思わなくてもいいし、自分の形を無理やり変える必要もないと思うんです。

無理やり形を変えなくてもいいのは三角同士でももちろん同じことが言えます。

ただ、三角同士ぶつかり合って埒が明かない時、相手に怒りを感じるんですよね。
でも、そういうときって、相手はお互いにとって反面教師になると思っています。

「自分もそういうトンガリを持っているから突き刺さないようにしよう」みたいな。

結局、人間ってそういうピースをはめる練習をしていると思うんです。

それで、新しい形を作れれば実験成功。1ポイントゲットみたいな。

だから、合わない人もいるし、自分より器が小さい人もいる。

だけど、どれも間違ってなくて、その相手のピースと自分のピースを当てはめる時に、どうやってはめてみる?ていうクイズみたいな訓練なんだなって。

そのピースはめの訓練の話で言えば、一番難しいのが自分と同じ形のピースなんですよね。

だって、どっちも同じところで主張したいし、同じようなところで突き刺しちゃうから。

三角の角と角を突き刺し合っているイメージ。

だから、たいていの場合が、自分の写し鏡でどうやって攻略するかを鏡と睨めっこするイメージなのかなって。

話が飛躍しすぎたんですが、結局そのままでいいじゃんていう話。

だから、安心して、隠れている「自分らしさ」を探してみるといいかもしれないです。

もし、鏡に映る自分を見ていて、自分ってこんなに三角なの?そんなはずないって思うなら、自分の内側に隠れている、本当の自分をのぞいてみたら、実はガラス玉が眠っていたみたいなことが起こるわけで。

そりゃガラス玉の自覚がありながら、三角とぶつかるなんて無理な話なんですよ。実は、脆いコートで形を変えてるだけなのだから。

そんなことしたら、いずれ割れちゃうもん。

脆いコートが悪いてこともないんですよ。

ただ、中にガラス玉が眠っていることは自分だけでも認識してあげてね。
守ってあげてね。

って思います。

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