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子育てと仕事との両立 #10 復帰3年後編

子育てと仕事との両立について、書いてみたいと思います。私は今(2020年6月)41歳です。起業して4年目、ブランディング専門のフリーランスとして活動しています。娘は8歳の小学生です。そして、シングルです。


#10 復帰3年後編(2016年~)※私37歳、娘4歳~

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3歳後半になると、娘の自立が本格化し、遊びに行っても、一人でどこかに行くようになりました。

行方不明…10分。
誰かにさらわれたんじゃないかと、不安になりあちこち動き回り、探す私。

行方不明…15分。
まずい。迷子のお知らせか。とりあえず、もう一度、探してみよう。

…いた。
普通に、一人で遊んでる。焦る私に、どうしたん?と問う娘。

「いないから、探してた。心配した。」

と言うと、無言で私の手をつなぎながら、次は、こっち行くからついておいで、という感じ。

娘に「ここで、待ってて」と言われ、10分くらい経過すると、やっぱり不安になり待てず、うろついてしまう私。15分すぎて、ふと、待てと言われた場所に戻ったら、きっちり帰ってきていた。娘に「もー。どこいってたん?」って感じで、手をつながれる。

それで、ちゃんと、動かず、待とうと辛抱していたら、娘がどこかで大号泣して、ママ〜!と、叫んでいる。必死に探して、そばによると、わんわん泣いている。どこかから、転落したのか、誰かに蹴られたのか、説明がよくわからなかったけど、ほっぺたを打撲。

ものすごい早さで成長しているけれど、そのアンバランスさが危うい。

最近、娘に毎日のように聞かれることがある。
「毛がなくなったら、何になるの?」…。
なんで、毎日聞いてくるのかわからないけど、答えに困る。「…ハゲかなぁ。」と小さい声で回答すると、娘が、「なんでハゲになるの?」毛がなくなったら、なぜ、ハゲになるか。
わからない。
そもそも、ハゲってどういう日本語だろう。(当時のフェイスブックより)


長い長い主人のお休みが終わる

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主人が「適応障害」になり、会社を休んで半年。
ようやく、通常勤務となりました。どうなるかと思った…。

私は、また仕事と家庭、育児の両立に戻ります。毎日、料理しなきゃいけない…。この半年、2回くらいしか包丁持たなかったから、復帰できるだろうか。保育園も時間までに迎えに行かないといけないし、ちゃんと、帰れるかな…。今、忙しいのに。色々、不安。

主人は、社会復帰するけれど、治ったわけではない。会社が配慮し、部署を変え、業務を変え、負担のない環境を用意してくれたから、復帰することになりました。

でも、とにかく社会復帰してくれてよかった。

娘の何で?何で?攻撃。

大人が不完全な状態でも、子どもは日々成長してゆく。
私は、娘の成長に、必死に自分も成長していきました。めっきり使わなくなったほうの脳を使って。

娘は「ママは、何で今日は優しいの?」と私に聞く。
私は「いつも、優しいやんか。」と答える。
娘は「何で、ママはいつも優しいの?」と聞く。
「…。」私は、彼女が納得するカタチで、答えることができない。

別の日。

娘は「ママは、何で、さっちゃん(娘の愛称)がご馳走様って言ったとき、優しいの?」と私に聞きます。
私は「ちゃんとご馳走様って言えたからやんか。」と答えると・・・
娘は「何で、ご馳走様言えたら優しいの?」と聞く。
「…。」答えることができない。

大体いつも、私が答えられなくなって、会話が終わります。それと、いつも、私の優しさについて、なぜ?と聞いてきます。…なぜなんだ?

日頃、私は優しくないの?と娘に聞くと、「ママは、いつも優しい。」と言ってくれますが、なぜか、優しく返事したりすると、「ママ、なんで、今、優しく返事したん?」と聞いてきます。

すごく、なぞ。

意味なんか、ないのかもしれない。
でも、当たり前のことを、改めて考えるって大事。

そして私は、37歳になりました。

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37歳って、すごいおばさんっていうイメージだったんだけど、いざ、自分がその年になると、なんだか都合よくおばさんイメージがボヤけます。

でも、節々が痛い。

そして、誕生日なのに、土曜日なのに、仕事!
2日前から、娘の具合が悪く、嘔吐、熱で看病。見てるこちらが、泣きそうになるくらい、苦しんでました。私が、泣きそうになると、なぜだか…娘は、

「…泣いたら、化粧取れるで。」と、心配してくれるんですが…、うーん。何かが違う…。

娘の看病で会社を休んだから、いろんな仕事がフリーズして、いろんな納期に追われ、土曜出勤。眠いし、しんどいし、なんか、年取ったなーとしみじみ思いました。

37歳は、もう少し、余裕を持って生きたい。


歯ぎしりと食いしばり。

そんな余裕のない日々を数年続けていると、歯を食いしばる癖がついてしまいました。会社で、イライラしたときとか、歯を食いしばりながら、メール打ってたり、辻褄の合わない話に、歯を食いしばりながらうなづいてたり!

家で、イライラしたときとかも!
歯を食いしばりながら、言いたいこと我慢したり、料理するのが嫌いなので、作ってるときなんか、ずっと歯を食いしばってる!

娘を抱っこするときとか、重いもの持つときも。四六時中、必要以上の力で歯を食いしばっていました。

で、奥歯、亀裂…。
エナメル削れて、知覚過敏…。

歯を食いしばる原因は、ストレスならしいです。毎日、ストレス半端ないけど、まさか歯に亀裂が入るほど、歯を食いしばっていたなんて、なんか、ちょっと怖い。

顎関節が時々、痛くなるし、最近、耳鳴りもよくあるんですが、原因は、歯を食いしばるからでした。歯医者さん曰く、リラックスしてるときは、歯と歯って、くっついてないんですよ、と。

おそらく、あなたは24時間、ほとんどリラックスされてないんでしょう。歯を食いしばる人は、寝ているときも必ず食いしばってます・・と仰ってました。

リラックスかぁ。リラックスなんて、もうずっとしていない。


土曜日出勤が続く日々。

毎週土曜日出勤している。つまり、私は、週6日の勤務。

主人が、土曜日の朝、会社に行こうとする私に「また仕事?どこにも行かれへん!」と言うので、無言になりました。家庭にいないことは悪いと思うけれど、大人なんだから私がいなくたって、好きなところへ行けるだろう・・。

私は、主人に気を使うストレスや仕事の忙しさにより、蕁麻疹が至るところに出ていました。でも、しんどすぎてもうダメかなって思うけど、全然、倒れる気配はない。しんどくて、もう集中力ないわーとか思ってるけど、気がついたらオフィスに誰もいない。集中しすぎて、みんなが、いつ帰ったかもわからない。

ストレスで、電話に出れば「不機嫌やな。」と相手の人に言われ、メールの文章もトゲトゲしいと言われる。


もう、限界は限界なんだろうけど、これくらい追い込まれたほうが、生きている気がする。

今回は、名古屋へ。

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さて、2016年も、女子二人旅!
もうすぐ4歳の娘を連れて、初の新幹線乗車!

今年は、愛知県蒲郡と豊橋へ。

娘はずいぶん成長しまして、むやみに泣かないし、歩くし、我慢するし、助けてくれるし、優しいし。あんまり、イラッとすることもなく3泊4日過ごせました。

今回の旅は、3歳児、2歳児、5ヶ月、30代母2人の女5人で、子育てって本当に大変だねということをしみじみ語り合いました。

母たちは、休む暇などなく、自分を犠牲にし、つねに子を思い、尽くします。強く逞しく、そして、温かく。

友達の2歳児は、イヤイヤ病を患っていたけど、私は、そのイヤイヤぶりも可愛らしく思えました。経験とは偉大なり。私もずいぶん成長し、そして、娘のお姉さんぶりも、垣間見れて感動。

私は、この子の母親になって本当に良かった。



毎日、毎日、面倒なことがたくさん起きる。

旅から帰ると、まためんどうな日常に向き合わなければならない。
もう、目の前の問題について考えたくないし、向き合いたくもない。

ただ、人生37年間と今を比べると、今の面倒なことなんて大したことがない。あの危機を乗り越えられたのだから、今、すごく面倒で、面倒で、面倒な状況だけど、まぁ、何とかなるか…と思ってしまう。

昔より問題解決に必死じゃなくなった。

尊重という名の妥協も覚えたし、のらりくらりしてても、いづれ解決することもあるし、放置しても大丈夫なことを知ってしまった。大概の問題なんて、放置してしまえば、みんな考えなくなる。

経験は大事だけど、時に、足手まとい。

年を重ねて、経験もあるのに、やる気は昔よりなくなってしまった。やる気がなくなったわけじゃないか。勢いがなくなったのかな。勢いは昔のままで、経験と絡み合わせ、問題に取り組めるようになれたらよいわけだけど。

確実に、もう私には勢いは、ない。
情熱を失ってしまった。

一体、何をしているとき、私は一番楽しくて幸せなんだろう。でもそれを考えると、酸欠で、死んでしまいそうになる。

変わらないことを続けるのは、すごく難しい。

きっと、変わらずいよう!とか、決めてやるわけじゃなくで、好きなことを好きなように好きなだけするという自分の軸さえブレなければ、きっと変わらないものなのだと思う。


娘は4歳になりました。

長かったような気もするし、一瞬だったような気もします。もう、手を焼くことがほとんどなく、意思疎通もしっかりできるようになりました。数も数えることができるし、ひらがなもいくつかはわかる様子です。英語の歌も歌うし、もちろん、日本語の歌も歌詞通り歌えるようになりました。

我慢もできるし、善悪もつくし、すっかり人らしくなりました。

ずっと、喋って、走り回り、う○こ、おしり、お○っこ…や、そういう類いの言葉を一日中発しては、ケラケラ笑っています。ご飯は相変わらず偏食で、食べない日が多々あります。毎日、毎日、納豆とご飯ばっかり…。

娘は主人と長くいるようになり、どんどん神経質なところが主人に似てきて、ちょっと心配。きちんとすることは大事だけど、自分流のこだわりが強すぎると生きにくいだろうな、と思う。でも、私のように自由気まますぎると、楽しさと同じくらい辛さも味わう。親を足して二で割った子になるといいかな…。

何にせよ基礎構築は完了してしまった。
これからは娘の良いところを見つけて伸ばすことが、親としてすべきことだと感じる。


親の教育方針の違い

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子供を育てる上での、教育方針の違い。
夫婦の価値観の違い。

どの家庭にも、たくさんあると思います。それぞれ育った環境が違うから当たり前なんですが、どの方針で我が子を教育していくかは夫婦で話しあったほうがよいです。

我が家は話しあえず、毎日の些細な主人の振る舞いに私はイライラしていました。例えば・・・

珍しく主人が、娘にヒカルちょうちょの羽を買ってあげ、自分用にヒカルうちわを買ったのですが、そのうちわまで、娘が欲しがり、旦那と取り合いになって娘が泣いている…。

どっちもどっちやなぁ〜と思いながら、観察。

私なら、一旦は自分用に買ったものでも渡します。なぜなら、娘はただ手にとって触れたいだけだし、それに状況を判断します。この時は、夏の暑い時期に公園に出かけ帰る道中の出来事。

娘は暑いし疲れたし眠いから、癇癪を起こしやすい。
私としては、癇癪を起されると、連れて帰ることができない。だから、とりあえず、これは私のだけど貸してあげるねと言って渡します。

でも主人は、娘に対してワガママだ!これは俺のだ!と怒鳴って、渡さない。ちょうちょの羽を買ってやったのに、俺のまで欲しがるなんて!と、娘と同じ目線で兄弟喧嘩のような振る舞い。


大人げない。


こんな感じのことが、一緒に暮らしていると毎日起きる。数えきれないくらい、たくさんの違いを発見します。私たちのどちらが正しくてどちらが正しくないと決めることはできないけれど、子どもを育てる時に、教育方針がバラバラだと、育てられるほうはどちらの話を聞くべきか判断できないので、とても困惑することになります。

娘もいつも混乱していました。

他人の子なのに、すごく気になる。

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朝、私と同じ時間に保育園に子どもを預けるお母さんがいて、去年は毎日、預ける際に彼女の子、0歳児は泣いていました。ほぼ、1年間ずっと毎朝泣いていました。

うちの子も、最初は泣いていたけど、慣れたのか妥協したのかで、泣かなくなりました。一時的に泣くことはあっても、ずーっと継続的に泣くことはない。

今は、彼女の子、5歳児のほうが毎朝泣いている。妹は一年経ってようやく泣かなくなったけど、今度は姉が、毎朝、泣き叫んでる。

お母さんは、大変だ。

この子達のお母さんは、私から見ると無表情で、泣く子たちに、怒りもしないけど、悲しんでいる様子もない。子が、泣こうがわめこうが、時間通りに預けて去る。

ママー!抱っこしてー!
ママー!ママー!
別の保育園に行きたいー!

と、5歳児なので、はっきりとした主張が、保育園の外に出ても聞こえる。

私は、それが衝撃的で、毎朝、放心する。

一体、なぜ、この子はこんなにも泣き叫んでるのか。誰か、この子の気持ちを理解しようとしてるんだろうか。母親は、どうしてあんなに無表情なんだろうか。

私が、毎朝ナーバスになるので、娘まで神妙な顔をする。他人の子だし、そのお母さんのことも知らないし、私に踏み込むチャンスもなく、踏み込めたとしても当時の私には何もできなかったけど。

いつか、私が、このお母さんの気持ち、そして、子どもたちの気持ちを和らげることができたらなぁと思いました。

仕事は大事だけど、子どもがいる以上、一人で生きているのではない。私たちには、子どもがいる。だから、ラインは引かなくてはいけない。


勤務時間外の打ち合わせ

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だから、私はラインを引いた。

職場のお偉い人からメールで、「17時半以降になるけれど、俺の別件が終わったら、連絡するから、打ち合わせをしよう。」と言われた。何時の打ち合わせかわからないけど、とにかく、17時半以降…。

偉い人からだし、これを断ったら、「やっぱり子持ちは戦力にならない」って思われるだろうか。一瞬、悩んだけど、はっきりさせておかねばならない。

私は、子どもを最優先で生きている。

だから、18時には帰る。
どう思われたかわからないけど、ラインは引かないといけない。いつになるかもわからない打ち合わせを待つ時間は、私にはない。

娘を迎えに行かなくちゃ。

17歳の女の子との仕事。

この頃の私は、新しい事業、新しい商品ができるとそれらのブランディングをし、その一環として、様々なクリエイションをしていました。当時、大手広告代理店と組んで仕事をしていたので、PV(プロモーションビデオ)を作るのも、規模が大きい。

ある商品をPRするために起用した、17歳のダンサー。
その17歳の女の子は、恐ろしくしっかりしていて、芯のある、心の美しい女性でした。


目標に向かって、ブレず、真っ直ぐで。
精神力が強く、ポジティブで。


とても眩しかった。
37歳の私は、今、何を考えているのだろう。

霧の中にいるようで、何も見えない。
何がしたいのかもわからない。


彼女のクリエイションは、本当に、素晴らしかった。早朝から夜までの撮影中、ずっと踊ってくれていた。これからもっともっと力をつけて、世界で羽ばたくのだろう。

37歳の私は…。
一体、何を目指してたんだっけ?

私は、17歳からの20年間…、何をしていたんだろう。


そして、これからの20年。
私は、どうするつもりでいるのか。

彼女の踊る姿を見ながら、ぐるぐると考えました。


パワハラ、セクハラ…、無神経さ。

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でも、私は、日常からは抜け出せない。
間違っているとわかっているのに、無駄にツライ状況に自分をおいていることも理解しているのに、ここから抜け出せない。


パワハラ、セクハラ…が蔓延する中、人の気持ちを踏みにじるような行為を受けても、私は、腹を立てるだけで行動にはうつさなった。パワハラ、セクハラをしてる人は自分のしていることを悪いと、認識していない。自分が我慢すればいいと、思っていました。

悪いことなのに、それを正当化する文化。
カルチャー。

それくらい耐えれないとダメだ、それをうまくかわすスキルを身に着けろ、こんなことくらい乗り越えてないと、どこでもやっていけないという上司たち。

私は、人と関わるなら、どういう関係性であれ、相手の気持ちというものを考えなくてはならないと思う。


でもそんな声は誰にも届かない。


女は家事育児をすべき。男は働くだけで良い。

自宅に帰れば、女は家事・育児をすべきという主人がいる。そういう時代は、終わったのに、まだまだ世の中に深く深く根付いている。

世の中、女性というだけで、正当に評価されることが難しい。真面目にやっているのにうまくいかない。でも、男性は、適当にやってるのにうまくいく。

女性は女性らしく、愛嬌を振る舞い、めんどくさいことを要領よくうまいことやってくれるために存在しているのだと。


いつか、私は報われるのだろうか。
”ある日”を待てば、私は幸せになれるのだろうか。


振り返って思うこと

41歳。今、振り返って思うことは、過去の経験と今はつながっているなぁーと思います。私は、育児と仕事の両立にものすごく悩んだから、今、その悩みを解消するための方法を、伝える仕事をしています。人生、無駄なことは何一つないんだなぁと感じています。

仕事も家庭も、子育ても大事。
人は自分でつまずいて、自分で考えたことしか、理解できません。だから、思うことがあったら、行動してみてください。そして、どんなに忙しくても、自分を見失わないように注意してほしいと思います。私は、数年自分を見失い、ツライ日々を送りました。皆にはそんなふうにはなってほしくないです。

幸せは待っていてもきません。
幸せは自分でつかみ取るものです。幸せをつかみとるために、自分はどういうときに幸せを感じるのか、自分で自分を理解してほしいと思います。


全12回くらいでまとめようと思っていますが、終わるのかな。とりあえず、続きは次回。ここまで、読んでくださってありがとうございました。


お気持ちありがとうございます。娘と元気に楽しく生きていくために使わせていただきます。