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子育てと仕事との両立 #11 別居・離婚へ

子育てと仕事との両立について、書いてみたいと思います。私は今(2020年6月)41歳です。起業して4年目、ブランディング専門のフリーランスとして活動しています。娘は8歳の小学生です。そして、シングルです。

#11 別居・離婚へ 復帰3年目(2016年8月~)※私37歳、娘4歳~


2016年8月、「離婚」は突然に、決まりました。
どういう経緯でそうなったかは覚えていないのですが、日常のとっても些細なことから言い合いになり、主人が私に向かってゲームのコントローラーを投げました。コントローラーは、壁に当たり、砕け散りました。そして、主人は、その勢いで「離婚しよう」と言い放ちました。


この家は、俺の家だから、今すぐ出て行ってほしい。
子どもも連れて出て行ってほしい。



ずっと離婚届を持っていたみたいで、自分の部屋に駆け上がり、即座に離婚届を取ってきて、今すぐ署名をするように言い、30秒先に住んでいる主人の親に離婚することを伝えに行きました。



暴走が止まらない


でも私は、産後2週間後のあの日のように泣きもしなかったし、もう抵抗もしませんでした。むしろホッとしました。これで、このツライ毎日から解放される。

だから、3週間の猶予をもらい家を決め、引っ越しをしました。
ただ、想定外のことが・・・

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保育園が決まらない。


引っ越した先にどうにも保育園の空きがなくて、入れないのです。保育園に入れなかったら、仕事を辞めなくてはいけない。仕事を辞めたら、二人で生活していくことはできない。


何としても、保育園を見つけないといけない!


でも、探しても探してもありませんでした。
9月、10月、11月・・と家賃だけを支払い、そこには住まず、主人の家に居候。ギスギスした空気の中、主人の怒りを買わないように生活する日々。家を出るタイミングで離婚届は出してもらいたかったから、離婚届も出せない。そして、いっこうに家を出ない私たちに、主人はいら立ちが募り、ついに。

2016年12月30日。

私たちは、保育園も決まっていないのに、家から追い出されました。

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忘れもしない途方に暮れた、年末。
娘は、静かに泣いていました。あんな泣き方をする娘は初めてみました。新しいお家には行きたくないと言われ、何も答えることができず、一緒に泣くしかできませんでした。



これは、正しい選択なのだろうか。


年末年始は、泣くことしかできませんでした。
私の思考を整理しないとダメだ。この先、私はどう生きたいのか、どこで、何をしたいのか、どういう人になりたいのか。



でも、混乱しすぎて、何も答えが出せませんでした。


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会社には事情を説明し、3ヶ月休むことになりました。その間、有給を使って休んでよいということで、所有している有給をすべて使うことに。そして、私の代わりのスタッフが東京から2名来ました。私は、その子たちに自宅から引き継ぎをするように言われ・・、実際は、リモートで毎日働いていました。(当時は、リモートで働くことは認められず、会社に来れない場合は、休み扱いでした。今は、コロナの影響で、リモートで働くことを認めるようになりました。)

私がリモートで働いている間、娘は一人テレビを見て、一人で遊び、さみしくて泣いていました。毎日娘は私に、「パパがさみしがっているから帰ろう」と言い、私が「帰らない」と言うと、しくしく泣いて。申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、何もしてやれない。



もう、後戻りはできない。

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この先の人生、残り40年。
私は、主人とともに生きていくことはできない。

けれど、私には、今だに先が見えない。今日すら、どう生きたらいいのかわからない。混乱していて、自分のことで精一杯で、娘のために何もいいことをしてあげれない。優しくなれないし、傷つけてしまう。


結局、私は、何の覚悟もできていなかった。
結婚も、子育ても、仕事も。


主人に出ていけと言われて、引っ越してしまったけれど、この先どうするつもりなのか。シングルマザーとしてどうやって生きていくつもりなのか。

楽しく幸せに過ごすために家を出たのに、
家を出た今も、やっぱり笑えていない。



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あせる毎日。

仕事に追い詰められ、お金に追い詰められ、生活に追い詰められ、家事、育児に追い詰められ、そして、浅はかな自分に追い詰められる。

余裕がない。

働いていても、働いていなくても私には余裕がない。もう、誰かに助けを求めたい。でも、誰に助けを求めたらいいのかもわからない。それに、何を助けてほしいのかすら、自分でよくわからない。


ただ、生きて、生き抜かないといけない。
死ぬわけにはいかない。
娘の人生は、私のものではない。


問題は、私自身の中にあり、
答えも、私自身の中にある。

解決しなければ。


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悪夢を見る娘。

娘はこの頃、毎晩、怖い夢を見て、夜中に泣き叫んでいました。ママが笑っていないから、怖い夢をみてしまうと言い、起きてるときも泣き、寝ているときも泣いていました。

私は、ごめんねと何度も謝りながら、娘を抱きしめました。

そして毎日、メールや電話で仕事の引継ぎをしながら、新しい人がまだできないことを引き受け、私が作業をし、結局、一日中働いていました。


娘は、いつもひとりぼっち。


私は、娘のこの姿を見て、会社には戻らないことを決めました。シングルで、やっていける会社ではないし、娘との時間を削ってまで、情熱を注ぐ仕事でもないし、今の状況を変えないといけない。


新しい仕事を探さないと。

でも、自宅で子どもを見ながら、職探しなんてなかなかできるものではありません。そんな私を見かねて友達が、仕事を探してきてくれました。そして、週3日だけ、認可外の保育園に預けて、働くことにしました。

私の母親も、心配をしてくれて時々、子どもを見てくれるようになりました。ただ、私の母親は、当時、自分の母親の介護と孫の面倒を両立しなければならず、介護の時間を少し削って娘を見てくれていました。


そして、2017年2月。
母の母、つまり私の祖母が、亡くなりました。

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まさかの急死です。

私の人生の緊急事態にいつも助けてくれた、祖母。

祖母は亡くなる日、スーパーでふらっとして倒れそうになりました。でも、本人が大丈夫と言ったから、私の母は、孫の面倒をみるために、午後、私の家に来てくれました。そして夜に、祖母は、心臓発作を起こして亡くなりました。

私の母は、私のことを責めなかったけど、私が、母に孫の面倒を頼んだから、祖母は亡くなったのだと思っています。私は、私の混乱に母親を巻き込み、祖母を巻き込み亡くし、娘を巻き込み悲しい思いをさせました。

そこまでして、一体、私は、何を得ようとしているんだろう。
私は、こんなにも周りに悲しい思いをさせて、何をしているんだろう。




壊れそうでした。


もう、無理だ。動けない。戻ることも進むこともできない。

何がしたいのか。
何ができるのか。
理想だけでは生きることなんてできないし。

私は、何を選択すれば、幸せになれるのだろうか。
娘も私も、幸せでありたいのに、ずっと、幸せじゃない。





私は、祖母のお葬式の間、ずっと考えていました。

幸せとは何なんだろう、と。


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祖母は大正生まれなので、戦争の真っ只中が青春時代でした。貧しい中で、病気がちの夫を支え、堅実に生き、家を2回も買って…、それはそれは、何事にも厳しくしっかりした人でした。

亡くなった日の家計簿もきっちりつけてあったくらいです。

祖母の人生は、幸せだったと、私は思います。
戦争も体験して、色々大変だったけど、周りから愛され、自分らしさを失わず、介護されるのも、ぼけるのも嫌がって、一人暮らしをして、最期まで慎ましく生きていました。

良い大学に行くこと、良い給料をもらうこと、良い暮らしをすることも、幸せだけど、祖母の生き方を思い返すと、本当の幸せとは、自分らしく生きることなんじゃないかなと思いました。

私の幸せは、誰かに感謝されたり、私と出会うことで、周りが幸せになってくれたら、きっと、私は死ぬとき「私の人生、幸せだった」と言えるような気がしました。

今、繋がっている人、これから出会う人、そして、娘に、私と出会って良かったと言ってもらえるような、生き方をしようと、私は決意しました。


それからの私は、自分を見つめなおすことに専念しました。


そして、2017年3月31日。

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私は、長年勤めた会社を退職しました。

楽しいことも、辛いことも理不尽なことも、泣きたいこもいっぱいあったけど、でも全部、良い経験でした。


38歳。
これからは、自分らしく生きるための選択をしていきます。



そして、2017年4月1日。

私は、「さつきデザイン事務所」を設立しました。

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社名の「さつき」は、娘の名前です。
まずは、一番近くにいる娘、さつきを幸せにしよう。


身近な人を幸せにできないのに、他の人を幸せすることはできないから。


そして、今まで培ってきたクリエイティブやデザインのスキルを使って、世界中の人をハッピーにしよう。

ひとりでも多くの人を継続的に幸せにすること、未来に生きる人たちが、調和を愛し平和に暮らせるように、文化・伝統・資源・事業など、簡単には創り出すことができないものを、残すために情熱を注ごう。

そして、未来に生きる子どもたちが、幸せに過ごしていくために創り出された事業にも力を注ぎ、子どもたちが安全に、安心して、豊に暮らせる環境を作っていこう!

結果が、この手で実感できる仕事をしよう。

振り返って思うこと

41歳。今、振り返って思うことは、離婚は本当に突然で、驚きました。でも、離婚届をずっと持って生活していた、主人のことを思うと、とても気の毒に思います。ずっと、主人も我慢してたんですよね。

一度きりの人生なんだから、「私らしく」生きなきゃね。


仕事も家庭も、子育ても大事。
両立していくために、「この選択は、自分にとって幸せか?」と自問自答してください。そして、幸せだと思うほうを選んで進んでほしいと思います。そうすれば、楽しく、仕事も家庭も、子育ても両立できると思います。

さぁ!次は最終回!ちゃんと、12回で終われそうです!
ここまで、読んでくださってありがとうございました。


お気持ちありがとうございます。娘と元気に楽しく生きていくために使わせていただきます。