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銀河皇帝のいない八月 ⑬

5. 旅立ち

「じゃあ、始めるわね」

 半壊した部室棟の屋上でケイト・ティプトリーは言った。
 右手に持った小さなジンバルスティック付きのカメラに向かって英語で何か喋り出す。いつか、その映像を見るであろう視聴者たちに、これから起こることを説明しているのだ。

 ティプトリーはポケットに忍ばせていたそのカメラで、空里としもべたちの取材を続けていた。彼女自身、まだ彼らの話に対する疑いを払拭しきれないままだったが、ようやくそのどっちつかずの気持ちにケリをつける時が来た。
 アサトが惑星〈青砂〉に旅立つ朝が。

 もしあの宇宙船が本当に飛び立てば、ティプトリーは世紀の大スクープをものにするのだ。
 この屋上から撮影した映像は、さぞや画になることだろう。

 CNNのリポーターは空里に向き直り、日本語で質問した。
「アサト、いよいよ〈青砂〉へ旅立つ時が来ましたが、今の気持ちは?」
「そうですね」

 ティプトリーは、心中で嘆息した。
 日本人は……特に、注目を集めて取材を受ける若い日本人は、ほとんどみんな何かを聞かれると「そうですね」という枕詞から話を始める。これは、およそ知的な雰囲気から程遠いクセなのだが、恐らくはそういうインタビューを多く見て育って来たせいなのだろう。
 後でアサトに忠告しようかしら? 本当に頭のいい人……例えばメジャーリーガーだったイチローは決して「そうですね」とは口にしない。
「……まだ、実感がわきません。とにかく、今やらなければならないことは、銀河皇帝になることなので。〈青砂〉で、何が待っていても……その……」
 空里はそこで、傍に立つ美少年の方をチラと見た。
「……驚かずに、受け入れられるよう、しっかりしていたいと思っています」
「なるほど……」
 面白みのある答えが返ってくるとは初めから期待していなかったが、これほどことの重大さに不釣り合いな大人しいコメントになるとは……
 ティプトリーはふと思い立ち、ここで新しい試みを実行してみた。
「ミスター・ネープ」
 完全人間……と呼ばれていた少年は、急にカメラを向けられても眉ひとつ動かさなかった。
「このように、アサトさんはかなりの覚悟をもって〈青砂〉に行くわけですが、そこに何が待っているのでしょう? 銀河皇帝になるための審査や試験といったことが行われたりするのですか?」
 ダンマリを決め込まれるか……と思ったが、少年は意外なほど素直に答えた。
「そういったことは無い。アサトが皇帝となるための条件は、〈青砂〉で、皇冠クラウンを受領し、ここへ戻って来て〈即位の儀〉を行うこと。それだけだ」
「戻って来る?」
 ティプトリーは初めて聞く段取りだった。
「その儀式は〈青砂〉で行うのではないの?」
「〈即位の儀〉は、皇帝の出身惑星で行うことが〈法典ガラクオド〉によって定められている」
「そうだったの……じゃあ地球に戻ったら儀式の前に連絡してちょうだい。どこでやるかわかれば、生中継の準備が出来るから」
 ネープは空里を見て判断を仰いだ。
「生中継ですかあ?」
 とんでもないことになった……
 すでにとんでもないことになってはいるが、それとこれとはわけが違う。
「そうそう。ローマ法王の即位や合衆国大統領の就任より、歴史的なイベントになるわよ。あ、中継は我が社の独占ね。後で契約しましょう」
「そんな時間はない」

 ネープがティプトリーの肩越しに、海の方を指差した。
 爆心地の浜辺に、再び航空機が接近して来ていた。今度は一機ではない。三機のオスプレイが一直線にこちらへ向かっている。

「自衛隊? ……違うわ。在日米軍の海兵隊じゃないの」
 ティプトリーがつぶやいた。
 オスプレイの編隊は浜辺に着陸するや、後部のハッチを解放して米軍兵士の群れを吐き出した。彼らは空里たちの姿を見とめると、部室棟へ向かって迅速に進み始めた。
「また何か怪物を連れて来てなきゃいいけど……」
 心配そうに尋ねる空里に、ネープはガントレットに仕込まれたボタンを操作して見せた。
「今度はそうはいきません」
 海兵隊員たちの眼前に、薄紫色をした半透明の壁が出現した。スター・コルベットの完断絶シールドが起動したのだ。

 シールドは半球状にコルベットと部室棟を包み込み、半径数十メートルの空間とその外を断絶した。
 先頭の兵士はシールドにサブマシンガンの銃口を突っ込み、激しく弾き返されるのを確認して仲間たちを制止した。海兵隊員たちは数歩後ずさり、ハンドスピーカーを手にした一人だけが前に出た。
「エンドーアサトさん、出て来てください。我々は国連の決定によって、あなたを保護しに来ました。あなたと仲間の安全は保証します。出て来てください」

 多分、ウソ……
ケイト・ティプトリーは心中でつぶやいた。これは恐らく、アメリカの独断行動だろう。アサトを保護するためだったら、こんな規模の部隊を送り込んでくるわけがない。目的は「保護」ではなく、この〈キャンプ〉の「制圧」だ。そして、宇宙船を管理下に置いてこの状況下での主導権を他国に先んじて手にすることだ。
 そうでなくても、彼らは言うことなど聞くまいが……

「出発しましょう」
 ほらね。

 ネープに促されて、空里としもべたちは、非常階段に向かった。
「あ、見て」
 ふと振り返った空里が、また海の方を指し示した。
 今度の訪問者は海上を進んで来ていた。何隻ものモーターボートやクルーザー、プレジャーボートが浜辺に押し寄せ、浅瀬にたどり着くや乗っていた若者たちが渚に飛び降り、こちらに向かって来た。
「アサト! アサト!」
 若者たちは、空里の名をコールしながら、さまざまな旗や横断幕を掲げて行進して来る。やがてその先頭が海兵隊と接触し、小競り合いが起きた。
「何なの? あの人たち」
 空里の疑問にティプトリーが答えた。
「いろんなグループや組織が混じったデモ隊ね。環境保護の団体もいるし、人権保護団体もいるわ。宗教がらみの連中も来てる。あれ、ハーレクリシュナじゃないかしら」
 ティプトリーが指差した先には、太鼓と鈴を鳴らして踊る僧の一団がいた。

「アサト!」
 誰かが部室棟の方を指差して叫ぶと、空里たちを見つけた群衆が一気にヒートアップした。海兵隊との小競り合いは乱闘に発展し、遂に威嚇射撃が始まった。
「大変!」
 考え無しに青紫色のシールドへと殺到した者たちは、大きく弾き飛ばされたり後から来た者たちに潰されそうになりながら、なんとか半透明の壁を破ろうとしている。その中には早くも怪我人が出ているようで、白い砂浜に落ちた血痕が空里たちのところからも見えた。

「急ぎましょう」
 ネープが空里の手を引く。
「待って、シールドのせいで傷ついてる人がいるでしょ。あれ、消せないのかしら?」
 シールドを消せば、海兵隊や群衆が殺到してくるだろう。空里を安全に船に乗せるには、それは出来ない相談だった。
 だが、完全人間の少年は一瞬で解決策を見出して答えた。
「シールドはすぐに消します。早く船へ」
 空里と共に非常階段を駆け降りたネープは、そこで控えていたチーフ・ゴンドロウワに命令した。
「アサトを運べ。頭より高く持ち上げて、安全に船まで運ぶんだ」
「!」
 金属製の強靭な腕が優しく空里の身体を抱き、命令通りに高々と持ち上げる。
「行きます」
 ネープが走り出すと同時にガントレットを操作し、青紫色のドームが消えた。
 途端に若者たちがこちらに向かって突進してくる。

 疾走するネープとゴンドロウワは、スター・コルベットの下で彼らとぶつかることになった。
「アサトを甲板に下ろせ! そっとだ!」
 空里はゴンドロウワが命令に反応するより早く、自分で船の上に降り立った。
「ネープ!」
 少年はゴンドロウワを足場にして、一飛びで空里の傍らにたどり着いた。コルベットの周りは興奮した若者たちであふれかえっている。

 一体、この熱狂は何なのだろう? 

 と、空里は人の渦の中で、もみくちゃにされているティプトリーの姿を見つけた。
「あの人を! ケイトさんを助けてあげて!」
 空里の命令にも従うようセットされていたゴンドロウワは、彼女の声に反応してティプトリーを抱え上げ、コルベットの甲板に乗せた。
「ああ助かった……!」
 船の下から鈍い銃声が響いた。
 海兵隊員たちは、スター・コルベットを中心とした円陣を組み、なんとか群衆を船から引き剥がす方向へ持っていこうとしていた。

 甲板のハッチが開き、ブリッジで待機していたシェンガが顔を出した。
「どうなってるんだよ! このまま出発していいのか?」
「早く船内へ!」
 ネープがハッチを示しながら空里を呼んだが、彼の主人はまだ未練があるように甲板上に立ち尽くしている。
「あの子は?! ゴンドロウワのチーフはどうするの?」
「この船には乗れません。命令系統をロックして置いていきます」
 空里は戸惑ったようにゴンドロウワの方を振り返った。
 巨人は船のすぐ傍に立ち、空里の方を見上げている。もっぱら戦闘と力仕事を命じられるだけの人造人間だったが、さっき自分を抱き上げた時には、なんとも言えないデリカシーが感じられた。
「ごめんね、置いてけぼりにしちゃうけど……ここで待っててください」
 置いてけぼりにして……また戻って来た時、彼は待っててくれるのだろうか? 他のゴンドロウワと区別がつかなくなったりしたら、ちょっと寂しい。
 空里は甲板に膝をつくと、巨人の頭に顔を近づけて呼びかけた。
「覚えておいて。あなたの名前はジューベー。ジューベーよ」
 時代劇ドラマで見た戦国武将の名前だった。軍団のチーフにふさわしい気がする。
「ジューベー……」
 いつものオウム返しだが、覚えただろうと空里は信じた。
「そう。戻って来たらそう呼ぶから、忘れないでね」
「アサト! 早く!」
ネープの声を追って甲板を走り、空里はシェンガの頭を踏まないようにハッチへ飛び込んだ。

「そこの席へ」
 少年が示したのは、ブリッジの一番奥に位置する一段高い座席だった。あの男……銀河皇帝ゼン=ゼンの玉座だったに違いない……だが、ためらってる暇はなかった。ままよと、大きなシートに身を投げ出す。

「あたし……なんでここにいるのかしら?」
 背後からの声に振りむくと、ケイト・ティプトリーが立ち尽くしていた。
「ケイトさん! 降ろしてもらう?!」
「いや……いい。このまま連れてって。あなたさえよければだけど……」
 出発準備に忙殺されていネープが一瞬振り向いたが、何も言わない。
「別にいい……みたいです」

 その直後、ブリッジ全体がぐらりと揺れた。どうやら船が動き出したらしい。

 反発場リパルシングエンジンの唸りが大きくなり、スター・コルベットは爆心地の浜辺からゆっくりと浮上し始めた。
 ブリッジ最前部の球体シャッターが開放され、ドーム状の窓から眼下にうごめく群衆が見えた。ある若者たちは船に手を伸ばし、またある者たちはただ呆然と立ち尽くして空里の旅立ちを見守っている。
 やがて、船が彼らの顔に見分けがつかなくなるくらいの高みに辿り着くと、ネープはスラスターに火を入れた。
「行きます」

 ドンという軽い衝撃とともに、スター・コルベットは夏の青空へ急上昇していった。


つづく

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