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しがらみを捨てて

人との縁は、簡単に切れるものだ。

過去にどれだけ仲が良かったとしても、一度離れてしまえばただの思い出となる。

絶対会おうね、と固く誓ったあの約束はもう期限切れだろうか。

会いたい時に相手も会いたいとは限らない、そんな悲しさを学んだ。


縁が切れない努力を怠ったと言われれば、そうかもしれない。

既読のつかないメッセージ、返事の来ないまま消えたアカウント。知らぬ間に相手の履歴から消えたわたしは、もう二度と彼らの人生に現れることはない。

たとえ街で偶然見かけても、きっとお互いに声をかけることなくいつも通りの日常に戻っていくんだ。

そんな人いたなぁ、と過去に忘れ去られる。もう名前も思い出せない。

一瞬でも自分の人生に関わってくれて、わたしの思い出となってくれた人たちのほとんどは、今では連絡すらとっていない。

自分から連絡することは多いけれど、相手から来ることはほとんどない。いつもわたしから生存確認として「元気?」とメッセージを送る。
今度会おうね、シフト確認してみるねと言った後から返事がないまま。

なんだ、会いたいと思っているのはわたしだけか。


それから、人に連絡するのは必要最低限になった。

お正月の挨拶も、誕生日のお祝いの言葉も、「会いたい」のメッセージも。

今では限られた数人にしか送っていない。


きっと、相手にとってわたしはただの通行人で、連絡をとり会うほどの人間ではなかったというわけだ。ほんと、上部だけの関係だったんだな。


一度繋がった縁は切れることなく、一生繋がっていくものだと信じていたあの頃に見えていたものはなんだっただろう。

縁は切れる。一生繋がったままでいることは難しい。

当人の努力次第で繋ぎ止めることはできるが、一方通行になってしまう可能性が大きい。大抵、自分が望んでいても相手が望んでいるとは限らないからだ。

仲良くしていて、同じ時を笑い合った彼らの人生にわたしは必要なくなったのだろう。そう思うと、少し悲しかった。
辛い勉強を一緒に励まし合いながら乗り越えて、ディズニーランドに行って、手紙を交換して、部活に一生懸命取り組んで。そんな懐かしい思い出だけが残った。

わたしにとっても、彼らは思い出の人たちになってしまった。

離れたくない、繋ぎ止めておきたい。そう願えば願うほど離れていく。だんだんわたしから遠ざかっていく。

だから、無理に繋ぎ止めて置くことをやめた。
最低、家族と繋がっていればいいやと思うことにした。

そうしたら、新しく連絡をとる人が増えた。
消えた人数には及ばないけれど、わたしと関わってもいいと思ってくれる人がいた。

わたしの空いたスペースに人がやってきては消え、また人がやってくる。

きっとこの繰り返しなんだ。だからいつまでも過去にしがみついていちゃだめなんだ。

これから新しく出会う人の分のスペースが空いただけ。


「去るもの追わず、来るもの拒まず」

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