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noteを1年間毎日投稿し続けた結果。

noteを書き始めてちょうど1年が経ちました。


1年前の今頃、YouTube大学で「天才たちのルーテイン」という本が紹介されていた。

この本は偉人たちがどういうルーティンで毎日を過ごしていたかが紹介されている。

この動画の中で「アンディーウォーホルは毎朝秘書に電話して、昨日の出来事を1時間話し続けた。秘書はそれを毎日書き留めて、のちにウォーホル日記として出版された。」ということを知った私は、

えっ…毎日アウトプットしたら偉人になれるということでしょうか!?!?


と思った。
それなら私も毎朝昨日の出来事喋りたい、と。

しかし私には秘書なんていないし、毎日電話して私の話を聞いてくれる人なんていない…


ライブ配信にしよう!


そうして毎朝インスタライブをすることになった。


しかし、インスタライブで喋っても誰もその内容を書き留めてくれる人なんていない。

このままじゃ本にならない…どうしよう…



自分で書くしかない!



そうして始まったのがこのnoteだった。


元々文章を書くのは好きだったが、毎日書き続けるというのは経験がなかった。
というか「毎日書こう!」と意気込んで始めても大抵いつの間にかやめてしまってるので、続けられる自信はあんまりなかった。

それが無事1年間も続けられたということで、今日は「なぜここまで続いたのか?」「続けてみてどうだったのか?」を振り返ってみたい。


●飽き性の私がなぜ1年間もnoteを毎日更新できたのか。


これはズバリ、

クオリティーを求めなくなった

からである。


元々、文章を書く時は死ぬほど時間を書けて丁寧に書いていた。

何度も構成を考えて、何度も修正して、何時間もかけてようやく一記事出来上がるという具合だったので、この労力で毎日更新は考えられなかった。

なのでnoteの毎日更新を始める時に唯一決めたルールは「とにかく毎日更新する」ということだけ。文章のクオリティーも、内容も、なんでもいいと。

最初は完璧主義を拗らせていたので、クオリティーを高めきれていない記事を世に出すのはなかなかキツかった。

しかし、そんな時は必ずこう思うようにした。

このnoteは私が偉人になるために書いているものなので、記事のクオリティーは関係ない!


そう言い聞かせて毎日書き続けたら、1年経った。



●noteを1年間書き続けて、よかったこと。


今5秒ぐらい考えてふと思ったのは、脳が整理されてるかも。ということ。

昨日の出来事はもちろん、今ハマっているものや今後やりたいことなど、自分が今こういう風に思っているということが客観視できる。気がする。

例えば、
映画を見た時に、いつもなら「面白かった〜」しか思わないけど、

noteにその感想を書こうと思ったら「どこが面白かったのか」「なぜ面白いと思ったのか」みたいに深掘りしないと書けない。

私は普段何も考えず「おもしろかった〜」とか「楽しかった〜」とか自分の1番上の感情しか気にしないので、「なぜそう思うのか?」と聞かれたら絶対「ウッ、、」ってなる。(笑)

でもnoteに文字を書きながら「なぜ自分はそう思ったのか」を深掘りしていくことで、少しずつ自分の感情の経緯を説明できるようになってきたと思う。



1年間毎日noteを書いて、たぶんまだ何者にもなれていないけど、

これからも偉人目指してこのnoteを書き続けたいと思う。


さっとん




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