見出し画像

迷いを受け入れた分だけ、楽がやってくるに違いない。

らくーに生きるを実践しているといいながら「はて、自分は楽しく生きられてるんかいな?」と、ふと疑問に思った。

楽しんではいる。でも辛いこともある。というのがいまの回答。そして、まだまだ楽しめる。


他人を評価している自分に気づいたら「自分に立ち戻れ」のサイン。

ついつい他人の行動に目がいってしまうことがある。「あの人はこういうところが良くない」とか「あの人はもっとこうしたら良い」とか。そういうときはもれなく「自分から目をそらしているとき」だったりする。

自分が心から夢中に楽しいことをやっていたら、他人のことなんか気にならない。むしろ自分の楽しみに付き合ってくれる人がいることに感謝が湧いてくる。誰かの批評なんてする時間は無くなる。だから誰かの批評をしたくなったときは自分に立ち返るタイミングなんだなあと思うようにしている。


いつだって「どんな生き方をしたいのか?」を考えるベストタイミングだ。

ぼくはいまリゾート施設で働いていて、その寮に住んでいる。寮といっても会社が所有しているだけで、普通のアパートなんだけど、さっき供用の玄関でタバコを吸っていたら期間限定で働きにきているバイトのコがギターを持って「弾きます?」ときてくれた。

彼は植物の勉強をしていて、そのために関西から八ヶ岳に来ている。部屋が隣ということもあって、ぼくが音楽をやるのを知っているので彼が持ってきているギブソンのアコギを持ってきてくれた。ぼくが持っているギターの倍くらいの値段のやつだ。

彼は自分自身の「興味のあること」を追い求めてこの地に来た。それはとても尊敬できることだ。こういうわかりやすく学びたいことがある人は接するこちらも「なにがしたいのか」がわかりやすいのでとてもラクだ。話を聞くことも楽しい。

短いタバコを吸いながらギターを爪弾き話していると、ふと思った。「ぼくはどんな生き方をしたいのか?」と。常日頃考えていることだけど、なかなかわかりやすい答えが見つからない。わかりやすい答えなんか必要ないと心の中では思っていながらも、やっぱり欲しがってしまう。自分はどんな生き方をしたいのかと。


がんばって働きたくない。

なんの話題の中で飛び出したのか忘れてしまったけど、会話の中で「おれ、がんばって働きたくないしね」という言葉が自分の口から出て来た。これはかなり正直な言葉だった。がんばって働きたくないし、一生懸命なんてクソくらえだ。

しょーもない言葉だけど、この素直な言葉は自分の「生きる核」になると思った。もちろん一生懸命働くことは悪いことじゃない。むしろ一生懸命になれるというのはとても素晴らしいことだ。

それでも言葉というのは難しいもので、一生懸命という言葉と「身を粉にして働く」という言葉は同義でもあるし、似て否なるものでもある。ここを一緒にしてしまうと認識のズレが生じてしまう。

一生懸命生きたいけど、一生懸命働きたくない。そういうジレンマと毎日ぶつかっている気がする。その狭間で日々心は揺れ動いている。


興味に従って動くなら、なにをする?

そろそろ動き出さなければならないタイミングなのかもしれない。ギターを貸してくれた彼のように自らの興味に従って。

ぼくの興味は「らくーに楽しく生きること」だ。そして「一生懸命生きながら、がんばらないで生きること」だ。そこのラインを見極めたい。

きっとこの興味の先に「学ぶべきもの」はあるし、その先に出会う人もいる。きっとそこで出会う人たちは自分の考えを認めてくれるし受け入れてくれる。「学ぶべきもの」を追い求めた先に「出会うべく人」がいて、その先に「なるべく姿」が見えてくるのだと思う。

あーだーこーだ言葉で説明するよりも行動で示した方が簡単なことはいくらでもある。どんなに理屈をこねても伝わらないことはたくさんある。自分がなにを学びたいのか、いつだってぼくらは選択できる。


画像1

迷いながら楽しく生きよう。

きのう久しぶりに歌を書いた。せっかくだから全文載っけておく。

絶望の淵に立って

きみと出会ったあのときは
強がってばかりのぼくだったな
今でもぼくはほとんど変わらずに
ひとりで悩んでは 大丈夫なフリをする

このままの人生じゃダメだと思って
輝かしい未来をイメージしようとしたって
目の前の暗闇に
立ち向かう勇気のないぼくには
絶望しか見えてこない

夢の中にだって
きみは出てきて
その笑顔でぼくを包み込んで
だから今日も同じように
朝をむかえることが出来ている

悲しみの中にだって
少しくらい喜びは隠されているんです
絶望の淵に立って
この眺めのいい景色を
きみと分かち合う

この際だから言っておくと
きみが好きなんです

あいかわらずネガティブベースな歌詞だけど、これはもう死ぬまで抱えていかなければならない気質なんだろうと思っている。そしてネガティブの中にあるほんの少しのポジティブを楽しむことが生きがいだったりする。この歌詞はそれをとても素直に表現してくれている。ちなみにメロディに乗っけるとそんなにネガティブな感じには聴こえない。こういうところが歌の好きなところだ。

迷いながら楽しく生きよう。ネガティブに喜びを見いだそう。だってぼくらはそんな生き方しか出来ないのだから。死ぬまで迷い続けよう。死んだら何か分かるかもしれないし。

そんな気持ちで明日も生きようと思う。きっと明日は今日よりも楽しくなるに違いない。迷いを受け入れた分だけ、楽がやってくるに違いない。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?