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20230206_n度目の正直(nは3以上の整数とする)

  • もう何度目かわからないけど「久しぶりの日記」である。おそらくこれからも繰り返すので、あまり自分には期待しないようにしよう。

  • それはそうと、節分も過ぎて旧暦で言えば新年が明けたばかり。日記を再開するには良いタイミングだろう。そもそも新年というのも人間が決めているだけだし、自分が思えばいつでも新年でいいんじゃないのか。

  • 新年度も心新たになるタイミングではあるので、また滞ったら4月に再開するとよさそうですね。そういえば社会人になって丸5年が経とうとしているけど、毎年4月の「新しい年」感が学生の頃と比較してめちゃくちゃ薄まったように感じる。しかもわたしの会社は年度切り替えも4月ではないし、もはや1年中どこかで年が始まるタイミングが待ってる。いつでも日記再開できますね。


  • 3月末か4月に引っ越すので、昨日ちょこっとだけモノを捨てるなどした。一度思い切ってしまえば、思い切れるのかもしれない。

  • もう不要なもののために運搬の費用と家賃と処分の費用をかけるループからはおさらばしたい……。


  • 昨日、紀伊国屋書店に行って本を物色していたところ、山尾悠子さんという作家のコーナーが目に入った。私の好む幻想文学ジャンルの本のようだったのでパラパラとめくってみると、かなり好きっぽいぞということがわかった。適当に短編集を一冊購入して一編読んでみると、やっぱり良い。寝つきの悪い時に見る脈絡がない夢みたいな雰囲気で、いい本・いい作家さんに出会ったな〜となかなか満足な気分に浸っている。恒川光太郎さんとか、エンデの「鏡の中の鏡」、ブッツァーティが好きなのだが、わりと近い雰囲気を感じる。

  • これっていわゆるセレンディピタスな購買体験になるんだろうけれど、amazonのレコメンドでは得たことがない満足感だよなと考えた。すくなくとも恒川光太郎を読んでいても今回の本にはamazonで出会えたことはないし、そもそも私はamazonにセレンディピティを求めていないし期待していないということに気づいた。レコメンドってそこを目指しているはずなのに、やっぱり実店舗の購買体験と全然違うのは(少なくとも私自身は全然違うように感じるのは)なぜだろう。

  • やっぱり自分の足で店内を歩いて見つけたという体験が私にとっては重要なのかもしれない。好きになった作家についてはだいたいきっかけを覚えているし、その一つ一つが割といい思い出なので、その辺はamazonにはないものなのかも。自分が「見つけた」という、ある意味で優越感みたいなものに気持ちよく浸っているのかもしれない。

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