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自分に間違った期待をしないことについて

昔は、自分の作ったものが多くの人から支持されないとか、特定の人から好きになってもらえない、ということとか、そういうことで、悩んだこともありました。

でもね、他人様からの評価なんて、自分の力じゃどうしようもない。
そういう「自分ではどうにもならないこと」で自分を責めるのをやめました。そしたら、とても楽に生きられるようになりました。

↓の記事に書いた通り、後から知ったのですが、それはまさに南無阿弥陀仏の考え方で、自分ではどうにもならないことで何とかしようとして(それを親鸞は「行者の計らい」と呼んでいます)、それで苦しんでいる人が古今東西問わずどれだけ多いのか、を知りました。

もう1つ、自分に過大な期待をしないようになったら、もっと楽になりました。
それは「どうせ俺なんて」って思うのとはまったく違います。それは単に努力をしない口実を作っているだけです。

大谷翔平と同じだけの練習をしたとしても、誰もが大谷翔平のようになれるわけではありません。
そりゃあそうです。でもなれなかったからと言って、その人の価値が低くなるわけじゃない。

女王バチは巣に1匹、働きバチは多数います。働きバチが数匹死んだくらいでは巣は何ともありません。じゃあ、働きバチは女王バチより価値が低いのか、というとそうではない。巣がもし、女王バチだけで構成されていたら、巣は成立しない。

「代わりが利くかどうか」と「価値の高低」は、まったく無関係な評価軸なのです。

僕の歌や文章も、僕自身も、多くの人から好かれるタイプではありません。
でも、それが僕なのです。僕の歌や文章は、それを気に入ってくれてる、ごく少数の人だけに届けば、それでいい。
誰もがたくさんの人から評価されるものを作れるわけではない、そして、僕はそういうのもを作れる側の人間ではない、としっかり認識したことで、心が解放されました。
「たくさんの人から評価されないから」と言って努力をやめちゃうのではなくて、少しの人からの評価であってもそれに喜びを感じて、良いものを作る努力をする。

ラブレターを書いて、返事が返ってこなくても良いじゃないですか。
それが自分です。
きっと必要としてくれる人がいるはずです。

今はまだ気づいてないだけ。

(Photo: #SIGMA #DP2)

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