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月(尽き\附き)待てば


ガンになって3年経ち、今日は検診の結果を聞きに行きました。再発転移はみられなかったものの、一度ガンになったらばいつ再発転移してもおかしくないと思います。「なっちゃったものは仕方ないじゃん」とは言われたくないですね。仕方ないに決まってますが、わざわざ口に出すことでもないですね、ちょっとでも支えになってくれている方が言うならともかく。

ガンの闘病記や闘病漫画を見てみますと、大抵は告知された直後、実母や夫に一体どんな風に伝えようか?と悩むシーンから始まることが多いです。そして「大丈夫、一緒に頑張ろう」という言葉とすすり泣く声が受話器の向こうから聞こえてきては2人で大泣きしてしまった......って展開。

既に何度か書いていますが私は家族、つまり父と妹にはガンだということを話していません。言ったところで何のメリットもないからです。死ぬまで言うつもりもありません。

正直、辛いですよ。苦しいですよ。悲しいですよ。普通のまともな親、兄弟姉妹なら支えになってくれるんですよね?普通の家族がいないから分かりません。でも愛する対象や、愛してくれる人がいないということはある意味いいことなのでしょうか?その人たちを悲しませたくはない、もっと言うと悲しむ彼らを見るのがつらいから。ああ、分からない、分からない。

自分は延命はおろか、効く確率の低くまた苦痛の伴う標準治療もしたくないけれど、愛する家族の「生きていてほしい」という言葉でほぼ毎日化学療法を受けている方の話を読みました。その方がどういう気持ちで「治療」に通っているかと思うと......私とは全く状況が違いますが、重くのしかかっています。

ご存じの通り、日本では積極的安楽死(医師による自殺ほう助を含む)が法的に許されておりません。安楽死に関すること、山ほど話したいことがあるのですが、あまりにも沢山なので追い追い書くつもりでいます。簡単に今、私の大まかな主張/希望の概要を書くと

・生も死も本人が決定することであり、なんぴとからも口出しは無用。

・安楽死制度があるといわゆる「デスハラ」が起こる懸念がある?ーー御冗談でしょう?少なくとも個人レベルでは自殺教唆なんてすでにいくらでも起きています(実際私も子供時代から幾度も数名からされた経験があります)。本意/不本意問わず命を絶とうとする方がいるわけですが、それは必ずしも成功するとは限らず、失敗し重篤な後遺症を負う方もいますーーですがそれは自己責任だって言うんでしょう?普段は人権ガー、デスハラがーとか言ってる人に限ってそう。DV、虐待、いじめ、自殺教唆によって自殺に追い込まれたケースは事務処理上は自殺ですが他殺ではないでしょうか?

・「本当に死にたければどんなに苦痛をともなう方法でもするだろう」という自称人権派の発言にはたまげます。「本当に」って何でしょう?自称人権派の中には苦痛なく最期を迎える権利については無関心という方がいるようですね。自分の希望したタイミングで苦痛なく死を迎えるというのは人権の問題ではないのですか?死にたければ苦痛はともなってもやむを得ない?おかしな考え方です。

・「安楽死」というと「病んだ人が構ってほしくて、自殺を止めてほしくて口に出す言葉」と思い込んでる方がいるようですが、安楽死が法的に問題ない国において安楽死を遂げた方の9割近くはガン患者ですよ?何も精神疾患を抱えていたり人生詰んだと感じていたり自殺願望がある人だけが安楽死を希望しているのではないことは明白です。なお、日本においてはガンは2人に一人が一生に一度はかかる病気であり、3人に一人はガンで亡くなっています。それほど身近な病気なのです。安楽死反対の方は、病等でどんなに苦しもうとも自分の意思に反してでも、どんな状態になってでも生きていたいと思うのですか?まさか自分には関係のない、縁のない話だと思ってやしませんよね?死は誰にでもやってきます。でもどんな形でかは分からないからこそ、選択肢の一つとして安楽死があってもいいのではないでしょうか?安楽死したくないという人はそれを選ばない権利があって然りです。

もっともっと書きたいことがありますが、今回はここらへんで止めておきます。最後に......私はこれまでも宣言しているように、追い詰められての自殺は絶対にしません。もしそんな報道や噂があれば「何か怪しい」と疑ってくださったら幸いです。私に本気で消えてほしいと願う人がいるならば、私が幸福になるようにとでも祈っておいた方がいいですね。わたくしは最高に気分がいい時ほど「今は漕ぎ出でな」です。