民主共和制の「文民統制」は寝言

社会の公民で習った「文民統制」は、

本来民主共和制とは相容れる概念ではない。


民主共和制自体、

斬新な体制でもなければ

理想的な体制でもなければ

絶対善の体制でもない。


古代ギリシアやローマの

民主共和制の成り立ちから見れば、

民主共和制とは本来「戦士」による合議制、


すなわち、

「軍人統制」が前提になっていることがわかる。


自発的に軍事訓練に参加して、

自前で高価な武器防具を用意できる、


身体だけでなく知性や経済力も備え、

鍛え抜かれた高い人格を持ち、

どのような脅迫や誘惑にも揺るがない

強い家族愛、同胞愛戦士たちが、


それぞれの意見や具体的なノウハウを

持ち寄りながら、


共同体の運営や進むべき方向性を

理性的に議論するのが

民主共和制であるということで、


お勉強だけできる

頭でっかちのいわゆるお利口さんに

本来参政権はないということ。


最低でも徴兵や軍事ボランティアを

一定期間経験したことがない人間が


キレイごとやわがままで

政治に口を出すこと自体が本来

おこがましいということを

心得るべきだと思う。


なぜなら

民主共和制の究極の理念は、

「国家権力の究極的分業体制」

であるからだ。


その国家が戦争状態になって

壊滅的な打撃を受けてしまい、


国家元首や将軍士官クラスさえ

全滅してしまい、


残りが徴用された田吾作農民兵

たった一人になったとしても、


「おらが生きてる限り、

〇〇共和国はいまだ滅びぬ!」

と目を怒らせながら、


対する何十万の軍隊に対しても

屈することなく命散るまで剣を振るのを止めない。


それだけの魂と理念が、

最後の農民ひとりになるまで

徹底されていることが、

民主共和制であるということで、


そもそも愛国心や共同体・家族への愛のない人種が

民主共和制なんてやっちゃダメなわけ。


お殿様が討ち死にしたら

戦争が終わるなんて思ってる国民しかいないなら、


形上で「民主共和制」名乗ってても

そんな理念どこにもないんだよ。


だから民主共和制以降の戦争は悲惨なんだよ。


兵隊さんやお殿様が勝手に戦争して

勝った負けたやってる時代じゃないんだから。


戦わなくていい

民主共和制を実現したいなら

いま戦う決意しないと実現しない。


それがイヤなら

圧倒的かつ不滅の知性、


完成した人工知能に

政治を任せるしかない。



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