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心中的鐘摆─「お祖父ちゃん、戦争の話を聞かせて」(1)(2018)

心中的鐘摆
Saven Satow
Oct. 61, 2018

柳につばめは あなたにわたし
胸の振子が鳴る鳴る
朝から今日も
サトウハチロー『胸の振子』

1 夏休み前の宿題
 「お祖父ちゃん!」
 お祖父ちゃんは顔を上げ、立っているみーちゃんを見ます。
 「おお、学校がら帰って来たか」。
 「お願いがあるんだ」。
 「お願い?何だ?」
 「戦争の話を聞かせて欲しいんだ」。
 「戦争の話?」
 「そう。学校の宿題なんだ。家族に、戦争の話を聞いてきてくださいって」。
 「ほお」。
 「それでね……」


柳につばめは あなたにわたし
胸の振子が鳴る鳴る
朝から今日も
(霧島昇『胸の振子』)


2 みーちゃんはスカートをはかない
 みーちゃんは岩手県の北上市立南小学校に通う4年生の女の子です。相去(あいさり)のうちから30分くらい歩いて登校しています。1976年10月21日生まれなので、もうすぐ10歳になります。
 「みーちゃん」はニックネームです。別に気に入っているわけではありません。お父さんが赤ちゃんの頃からそう呼んでいたのをみんなも真似するようになったからです。身長はクラスの女子の中で前から6番目で、長谷川さんと美紀ちゃんの間になります。
 みーちゃんは、高橋留美子の『うる星(せい)やつら』の「タヌキが“ツルの恩がえし”」に出てくるO島に似ていると大兄ちゃんが言っています。このマンガはSFラブコメで、1978年から『週刊少年サンデー』で連載されていて、大兄ちゃんが単行本をそろえています。みーちゃんも借りて読んでいます。高橋留美子の絵はかわいいし、話がおもしろいので大好きです。
 みーちゃんはマンガが大好きです。うちにはマンガがたくさんあります。大兄ちゃんと小兄ちゃんの買った本があるからです。クラスのみんなが知らない石森章太郎の『テレビ小僧』も読んだことがあります。そういうことがちょっと自慢です。
 けれども、はお兄ちゃんたちの買ってくるいまどきのマンガ雑誌に載っている子どもをシニカルに扱った嫌味な漫画が嫌いです。キャラクターが大人を小さくしただけで、子どもにとって楽しくないからです。大人は子どもに建前を教えるのに、自分たちはそれを守らないで、本音で行動することがあって、みーちゃんはずるいと思います。みーちゃんの作文を詠んだお父さんやお母さんが思わず笑ってしまうのはそういうところです。小さな大人として子供を描いて大人たちが喜んでいることは子どもにとってちっとも楽しくないのです。
 マンガはたくさん読めるのですが、みーちゃんのうちではテレビゲームが禁止です。去年のクリスマス、サンタさんに「ファミコン」をお願いしたのに、朝起きたら、シルベスターファミリーのおうちが枕元に置いてあったくらいです。「『ファミコン』は『ファミリーコンピュータ』のことだよ。サンタさん、『ファミリー』しかあってないよ~」。うちではできないので、学校の男子にゲームのことを聞いています。男子はスーパーマリオとか高橋名人とかのことを喜んで教えてくれるのです。
 みーちゃんのクラスは4年2組です。大学を卒業して2年目の岩田先生がこの春から担任になっています。背が高く、がっちりしていて、いつもグレーのジャージを着ている元気な男の先生です。あすなひろしの『青い空を白い雲がかけてった』の主人公ツトムのお父さんに似ているとみーちゃんは思っています。
 これは中学生の普通の生活のマンガで、『週刊少年チャンピオン』に1976年から81年まで時々掲載され、大兄ちゃんが単行本全3をそろえています。みーちゃんは読んだ時、とても黒と白の描き方がきれいで、詩のようだなあと感じています。
 その岩田先生が今日の社会科の授業でみーちゃんたちに宿題を出します。それは、もうすぐ8月なので、家族や親せき、近所の人、知り合いから戦争の話を聞いて、その内容を来週の授業で発表して欲しいというものです。
 8月は日本では戦争を思い出す季節です。ただそうするだけでなく、語り合わなければなりません。学校もそういう機会を作っています。大兄ちゃんの時も小兄ちゃんの時も同じです。それは今も昔も変わりません。みーちゃんの時もそうなのです。


何も言わずに 二人きりで
空を眺めりゃ なにか燃えて
(MIKKO『胸の振子』)


 学校から帰宅したみーちゃんは、勢いよく階段を上がり、2階の自分の部屋に入ります。肩から赤いランドセルを下ろし、勉強机の脇の床にていねいに置きます。ベッドの上に物は乗せません。布団が汚れるのが嫌いだからです。
 みーちゃんは半袖と長ズボンの学校の運動着姿です。半ズボンのトレパンは履きません。足が太く見えるからです。
 屈んで、机の一番下の引き出しから絵の練習をするノートを取り出します。体を起こし、机の上の筆立てに手を伸ばし、鉛筆を1本選びます。
 ──これで準備はいいかな?あ、いけない、消しゴム、消しゴム!
 みーちゃんは、ランドセルをまた持ち上げて、机の上に立て、かぶせを開けて筆箱をつまみ上げます。消しゴムは筆箱の中だけに置くと決めています。いつも同じにしておけば、どこに行ったのかなと探さなくてすむからです。
 ──よし、これで大丈夫!
 みーちゃんは机の上のミッキーの置時計に目をやります。
 ──4時か。まっすぐ帰ってきたから目標通りだ。時間は余裕だな。


柳につばめは あなたにわたし
胸の振子が鳴る鳴る
朝から今日も
(ケイコ・リー『胸の振子』)


3 みーちゃんのうちは8人家族
 みーちゃんのうちは4世代8人家族です。家族についての書類を提出する時、欄が足りなくて、書ききれないこともあります。ひいばあちゃん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、大兄ちゃん、小兄ちゃん、それにみーちゃんです。
 ただ、今は、7人家族です。大学生の大兄ちゃんが東京にいるからです。夏休みに、運転免許をとるために帰ってくる予定とお母さんが言っています。
 8人家族は大変です。朝食の時、みんなに卵を出したら、パックにはもう2個しか残っていません。7人家族になっても、残りは3個です。つまり、次の日の朝に卵を食べるなら、もう1パック要るという家族の人数なのです。
 けれども、そのおかげで、みーちゃんのうちには、戦争の話を聞ける人が4人もいます。ひいばあちゃんとお祖父ちゃんとお祖母ちゃんとお父さんです。お母さんは、たぶん、覚えていません。戦争が終わった時、1歳だったからです。もちろん、小兄ちゃんはまだ生まれていません。
 でも、ひいばあちゃんには聞きません。ひいばあちゃんはいつも手ぬぐいをきれいな白髪に被っています。高橋留美子の『めぞん一刻(いっこく)』の主人公五代君のゆかりおばあちゃんに似ているとみーちゃんは思っています。このマンガはラブコメで、『ビッグコミックスピリッツ』に1980年から連載され、単行本を小兄ちゃんがそろえています。みーちゃんは借りて読んだ時に、ちょっと大人っぽいなと感じています。
 みーちゃんは、前に、茶の間でひいばあちゃんに戦争のことを尋ねたことがあります。すると、ひいばあちゃんは「戦争?ほお、乃木将軍か?」と言うのです。
 一緒にこたつにあたっていた小兄ちゃんが、それを耳にした途端に、吹き出したので、みーちゃんは「ねえ、『乃木将軍』って誰?」と聞いています。小兄ちゃんは笑いをこらえながら、「『乃木将軍』ってのはねえ、日露戦争の陸軍の司令官。ひいばあちゃんは『戦争』って聞いて、それを日露戦争のことだと思ったんだよ」と教えてくれます。
 小兄ちゃんは剣道をしていたので腕はたくましいけれど、メガネをかけていて、女の子のような顔立ちです。新谷かおるの『ファントム無頼』の主人公栗原に似ているとみーちゃんは思っています。これは航空自衛隊のマンガで、『週刊少年サンデー増刊号』で1978年から連載されたのですが、大兄ちゃんは3巻までしか買っていません。みーちゃんは、コメディぽいところがおもしろいと読んでいます。
 ひいばあちゃんの夫、つまりみーちゃんのひいじいちゃんは日露戦争に従軍して樺太に行っています。
 ひいばあちゃんはひいじいちゃんを「にさ」と呼んでいたそうです。「にさ」とは「」にいさん」のことです。妻が敬意をこめた意味で、今の「あなた」のように、夫をそう呼ぶ習慣があったそうです。実のお兄さんには「あんつぁ」をひいばあちゃんは使っています。
 昔、孫はお祖父ちゃんやお祖母ちゃんと寝るのが習慣だったので、お父さんはひい五祖父ちゃんと一緒にわらのふとんに入ったそうです。お父さんはよくおねしょをしたのですが、ひいじいちゃんは叱らなかったと言っています。
 みーちゃんはひいじいちゃんを知りません。お父さんとお母さんが結婚する1年前に亡くなったからです。その頃は土葬で、地域の人が穴を掘って、埋めたのだそうです。仏間に遺影があるので、顔はわかります。でも、みーちゃんはどんな顔かと言われてもなかなか思い出せません。いつものマンガのキャラクターの見立てもできません。昔の人っぽいなあって印象があるだけです。みーちゃんは仏間で神棚に向かって手を打つ時も、仏壇に手を合わせる時も、実は、ひいじいちゃんの写真をよく見ていないのです。
 みーちゃんが聞きたい「戦争」は第二次世界大戦のことです。けれども、明治23年、つまり19世紀の1890年に生まれたひいばあちゃんにとって「戦争」と言えば、日露戦争のことになります。日露戦争は1904年に始まった日本とロシアの間の戦争です。ひいばあちゃんは天皇陛下や皇后陛下がテレビに映ると、頭を垂れて画面を見ません。陛下は畏れおおいので、お姿を直に見てはいけないと子どもの頃に教わったからです。ですから、ひっこさんは、「天皇陛下」ではなく、「天子さま」と言います。「戦争」と聞かれても、人によっては第二次世界大戦のことを思い出すとは限らないのです。
 みーちゃんはお祖父ちゃんに戦争の話を聞こうと思っています。
 みーちゃんのお祖父ちゃんは傷痍軍人です。左足の太ももに、おだんご大の黒く、へこんだいひきつりがあります。砲弾の破片の傷跡です。
 保育園の頃に、お祖父ちゃんと一緒にお風呂に入ったことがあります。みーちゃんは、その時、初めてその傷を目にします。見てはいけないものを見てしまった気持になっています。
 けれども、みーちゃんは、お祖父ちゃんは職業軍人なので、戦争中に赤紙で軍隊に引っ張られた若者と一緒にしてはいけないとお母さんに言われています。お祖父ちゃんは仕事が軍人です。書類の職業欄に、岩田先生が「教員」とするように、「軍人」と記します。他の仕事をしていたり、学生だったりしていたのに、戦争のために兵隊にさせられた人たちと違うのです。


煙草のけむりも もつれるおもい
胸の振子がつぶやく
やさしきその名
(八代亜紀『胸の振子』)

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