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詩のディアスポラ(2)(2006)

2 二〇世紀と詩
 イェイツの詩は非商業主義的であり、時として、貴族主義的ですらある。また、オリエンタリズムやナショナリズム、エキゾティシズム、オカルティズムなど一九世紀的主題がしばしば見られる。しかし、一方で、表現方法は大胆で、革新的である。『ひとつの幻想(A Vision)』(一九二五)はポストモダン文学の先駆的作品でさえある。そのため、彼を「最後のロマン派詩人」と呼ぶものもいれば、「実践するモダニスト」に定義するものもいる。イェイツは一九世紀と二〇世紀の両面を持っている。

 レトロさはある種の新鮮さをもって世の中に復権することがある。一九八〇年代前半、坂本龍一が前髪をたらすヘアー・スタイルをして、モードにしたが、それは一九世紀末の流行であり、イェイツの写真で知られている。テクノ・ポップの時代、実際、古着がファッショナブルともてはやされている。

 イェイツは、能から影響を受けて、革命的な儀式・仮面・コーラス・舞踏などの技法を取り入れた戯曲『鷹の井戸(At the Hawk’s Well)』(一九一六)を代表とする舞踏劇四編を執筆している。確かに、それらは商業的成功を狙ったものではなく、貴族主義的で裕福な通に向けられている。しかし、これを当時流行の異国趣味と解すべきではない。それらの戯曲の中で、彼は、長く忘れられていた詩の伝統を演劇に復活させている。

 能からの影響が告げている通り、こうした試みは、近代以前、半ば常識的手法である。人形浄瑠璃など日本の伝統芸能は和歌をモチーフに演劇にしている。神の死が決定不能になったため、二〇世紀芸術は近代が抑圧した過去を復権させうる。

 ミュージカル『キャッツ(Cats)』も、商業主義性を色濃く出しているとしても、この延長線上にある。それはT・S・エリオットの詩集『おとぼけおじさんの猫行状記(Old Possum's Book of Practical Cats)』に対し、アンドリュー・ロイド・ウェーバーが曲をつけ、トレヴァー・ナンによる演出でミュージカル化され、一九八一年にロンドンのウエストエンドのニュー・ロンドン劇場で初演され、今日、最も有名なミュージカルの一つである。難解なエリオットの詩が、伝統への回帰を通じて、家族で楽しめる娯楽へと変容する。それは芸術と言うよりも、芸能の復活と呼ぶべきだろう。二〇世紀において、歴史の流れに基づく体系的な知識・教養を持つ気のない芸術家には表現する資格はない。

 『再臨』以上に、最高傑作『学童たちの間で(Among School Children)』(一九二八)は時代を貫く決定不能性を次のように体現している。

Labour is blossoming or dancing where
The body is not bruised to pleasure soul.
Nor beauty born out of its own despair,
Nor blear-eyed wisdom out of midnight oil.
O chestnut-tree, great-rooted blossomer,
Are you the leaf, the blossom or the bole?
O body swayed to music, O brightening glance,
How can we know the dancer from the dance?

 バレエ・リュスに影響を受けたこの最後の一行は、一般的に、マルティン・ハイデガーの存在と存在者の差異さながらに、ダンサーとダンスを区別することの不可能性を訴える修辞疑問文と解釈されている。しかし、ポール・ド・マンは、『記号論とレトリック(Semiology and Rhetoric)』において、「最終行を譬喩としてではなく、文字通り読むこと、すなわち(略)同一視できないものを同一視するという間違いからわれわれを守ってくれる区別は、どうすれば可能になるのかと問うていると読むこともできる。(略)この疑問文は修辞的なものであるとする読みは、おそらく素朴すぎるのであって、文字通りの読みの方がそのテーマにと陳述内容とをより大幅にわかりにくいものにする」と指摘している。文脈上どちらの解釈がその部分に関してふさわしいのか批評家は再考し始める。

 けれども、「この二つの読みは、真正面から衝突して戦わざるをえない」とイェール学派のゴッドファーザーは釘をさす。「と言うのも、一方の読みは、もう一方の読みを斥けようとする誤りそのものであり、それによって覆されてしまうはずだからである。(略)文法構造が生み出す意味の権威なるものが、差異を発見することを強く求めながら、同時にそれを覆い隠してしまう譬喩の二重性のために、完全にかき消されてしまう」。イェイツは二〇世紀を貫通する決定不能性を驚くべきコンパクトにこの詩で描いて見せたのである。

 さらに、学校を舞台にしている点も時代を表象している。近代における教育の特徴は中等教育の出現である。近代以前、教育は大学の高等教育とヴィレッジ・スクールなどの初等教育に二分されていたが、中等教育がそれをつなぐものとして生まれている。初等教育の発展と高等教育の準備という異なった二つの流れがそこにあり、国民、すなわち官僚=産業資本主義的労働者はこの教育機関を通じて、生産される。その二重性の決定不能性が明らかになるにつれ、信じがたい先見性で、一九世紀後半にもかかわらず、ジュール・ヴァレス(Jules Valles)が『ジャック・ヴァントランス(Jacques Vingtras)』三部作で描く「黒服の悲惨」、すなわち貧しいインテリが生産されていく。近代において身分ではなく、学歴が人生を左右する。

 ところが、学校で学んだ学問は、受験を突破するためのものであり、それに失敗してしまえば、何の役にも立たない。教師は受験技術を伝授させるのであって、普遍的な知識や教養を教えるわけではない。革命家やジャーナリストといったルンペン・プロレタリアートは労働者階級ではなく、高級官僚や教授になれなかった黒服出身者が多い。また、日本の私小説家の多くも「逃亡奴隷」と呼ばれるこうした貧しきインテリである。学校は理想と現実がかけ離れた近代的なルサンチマンを生み出す場である。

 イェイツは、現実の学校のカリキュラムはともかく、形式と内容の一致こそが芸術活動の理想と考えている。学習や労働が苦役ではなく、花であり、舞踏であるという理想を部分が全体である花盛りのマロニエの大樹に象徴させている。これは一九世紀によく唱えられた思想である。功利主義経済学に対抗して、「生命経済学」を提唱したジョン・ラスキン(John Ruskin)は、『ヴェネツィアの石(The Stone of Venice)』(一八五三)の中で、地方文化のロマネスクの対概念である都市文化のゴシック様式建築を絶賛しているが、その理由を「精神の力と表現」に求めている。

 職人たちは支配者に命じられて、奴隷のように、「労働(labor)」をしたわけではなく、権威に対抗し、自主独立の精神に基づいて、「仕事(opera)」にとり組んでいたとラスキンは語っている。資本主義の矛盾が露呈する中、イェイツはそんな「オペラ」実現の可能性がありうると説く。

 ラスキンの弟子を自認するウィリアム・モリス(William Morris)は建築を「総合芸術」と捉え、その建築を含め、彫刻や絵画などのファイン・アートを「大芸術(The great arts)」と呼び、それが「日常生活の身のまわりを美しくする」ものである「小芸術(The lesser arts)」と分離していると批判している。

 小芸術はとるに足らない些細なものと貶められる一方で、大芸術は一握りの富裕層の虚飾と化している。モリスは、一八六一年、その両者の結合を目指し「モリス商会」を設立し、ステンドグラスや壁紙、織物、タペストリー、家具などを製造・販売している。この「美術工芸運動(Arts and Crafts Movement)」は「芸術による労働の疎外からの回復」の実践であるが、小芸術の名誉回復をもたらしている。それは次の世紀が小さいものの時代だということを予告する。

 モリスの試みは集団的匿名性によって分化してしまった芸術を結合する二〇世紀的である。しかし、それは新しいと言うよりも、伝統の復興であろう。ホメロスは詩人の集団的匿名だったし、レンブラントはレンブラント・ファン・レインその人ではなく、レンブラント工房を意味している。今日、多くの芸術制作は個人ではなく、チーム・ワークが主流であろう。ミューズとプロデューサー、マネージャーの協力があって、芸術家は初めてその能力を一般に認めさせられる

 マンガはプロダクションによって生み出されている。また、「シブサワコウ」は、コーエーブランドにおける『信長の野望』や『三国志』シリーズなど数々の歴史シミュレーション・ゲームのプロデューサーであるし、「葉村彰子」は『水戸黄門』や『大岡越前』、『江戸を斬る』といったTBS月曜夜八時の時代劇シリーズの原作者や脚本家としてクレジットされていた共同ペンネームであり、「東堂いづみ」は、『おジャ魔女どれみ』シリーズなどオリジナルのアニメ作品の原作に用いられる東映アニメーションの集団的匿名である。他にも、フランスの数学者のグループは「ニコラ・ブルバキ(Nicolas Bourbaki)」という匿名を用いて、数学研究を発表している。

 逆に、アメリカで、映画制作中に映画監督が何らかの理由で降板した場合、全米監督協会の審査・認定の下、「アラン・スミシー(Alan Smithee)」が使われる。それは、"The Alias Men(偽名の人)”のアナグラムである。近代は所有権の確定を前提にした政治・経済体制であるが、現代では、名前はもはやある特定の個人に属するものではない。

 集団的匿名性は、多くの領域で、細分化・専門化が進んだ結果だとも言える。イェイツは、ウィリアム・ワーズワース同様、「大詩人」であり、その意味で、必ずしも二〇世紀的ではない。二〇世紀の詩は、モリスの試行に従えば、「ミニマ・ポエティカ(minima poetica)」である。それは、詩を超えて、広範囲に影響を及ぼす偉大な詩人の登場が難しくなった証でもある。

 モダニズムにおいて、シュルレアリズムやオーデン・グループが示している通り、詩は依然として刺激的であり、挑発的な文学である。しかし、モダニズムの大衆化とも言うべきポストモダニズムでは、詩はその革新性を期待されていない。高橋源一郎が現代詩の手法を小説に導入しているとしても、ジェイムズ・ジョイスやマルセル・プルーストが見せた散文の挑戦の前では色あせてしまう。テオドール・W・アドルノ(Theodor W. Adorno)の『プリズメン(Prismen)』(一九五五)におけるテーゼ、すなわち「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」に答えるまでもなく、今日、詩は読まれなくなっている。

 森毅は、『ゆきあたりばったり文学談義』において、「現在の文学をめぐる文化状況」が「専門分化し過ぎている」と批判し、戦前の詩の活況と比較して戦後詩の状況について次のように述べている。

 ところが、戦後詩というのは戦前詩に比べて、いわば韻律に頼るということを否定することによって、ある意味での文学少女向け、大衆性みたいなものを失ったのじゃないかと思います。それはお洒落文化とも関連しますが、堀口大學などがお洒落な小説を訳し、お洒落な小説を訳す。コクトー(略)などは詩と戯曲です(略)。そういう詩や戯曲、思想、評論、小説が渾然一体としていた文化が、戦後、それぞれ分化したのじゃないでしょうか。矢代静一(略)などは、戦前文化の流れから出てきたんだろうと思います。

 その分化の結果、極端な小説の覇権が確立する。現在、文芸誌に掲載されている作品はほとんどが小説という異常な事態に陥っている。小説以外は売れないという商業主義的判断から活字メディアから締め出されて、ジョン・スチュアート・ミルやアレクシス・ド・トクヴィルが危惧した状態が現実化している。

 詩や戯曲、批評はマイノリティとして小説というマジョリティの横暴に苦しめられ、恐るべき文学的なジェノサイドが展開されている。詩は、研究者や愛好家を除けば、若者、それもティーンエージャーの文学と見なされている有様だ。

 専門分化は近代学問の特徴であり、このセクト主義は一九七〇年代に行き詰まりを見せる。それを打破するために、各領域が相互浸透を始める。カオス学はその典型である。また、その頃、ヘドリー・ブル(Hedley Bull)が『国際社会論─アナーキカル・ソサイエティ』を発表し、国際社会には世界政府がないいという批判に対して、強まる相互依存性・浸透性により秩序が保たれると指摘している。現代文学は、いみじくもジェイムズ・ジョイスが『ユリシーズ』で試したように、各ジャンルが相互に浸透していかなければならない。

 選択肢の多様化が、言うまでもなく、自由のジレンマを招き、供給・受容のいずれの側にも閉鎖性を助長している点も否定できない。今の時代は物も情報も溢れ、選択の自由が浸透している。しかし、自分の感心があることやお気に入りのことには熱心であっても、それ以外には無関心どころか、ことによっては、排除しようとさえする。選択の自由という寛容さが不寛容を生み出しているというわけだ。それは自由になった取捨選択が保守化を招くというジレンマである。ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler)はそれを「象徴的貧困(la misère symbolique)」と呼んでいる。

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