見出し画像

ソ連から見る現代日本のメディア事情(2016)

ソ連から見る現代日本のメディア事情
Saven Satow
Apr. 09, 2016

「あるソ連人が『ソ連邦にも泥棒がいるのでしょうか』と記者に聞いた。彼は答えた。『いません。ソ連邦の人民は自分で自分のものをとっているだけです』」。

 安倍晋三政権のメディアへの圧力は今や国際的に知られるものになっている。おまけに、放送法を口実にして政権批判を封じこめようとする圧力団体まで登場している。

 報道への圧力は生活に支障をきたす。政権の体面を傷つける情報が伝えられないからだ。それはソ連の経験が教えてくれる。

 ソ連では多数の新聞が発行されている。共産党機関紙『プラウダ』や最高会議幹部会広報紙『イズヴェスチヤ』だけではなく、地域別や分野別の新聞も販売されている。しかも、いずれも大量にかつ安価に提供されている。

 けれども、手に取る人は少ない。そうした新聞は国民の知る権利や情報ニーズに応える気がないからだ。新聞にとって読者は偉大な共産主義イデオロギーを教化し、体制を強化するために指導する対象である。

 新聞は共産党の支配下にある機関によって管理・運営されている。広告料・購読料収入を経済基盤にしていない。世論に向き合い、対価に見合うだけの内容の記事を提供する必要もない。記者も自ら調査して記事を書くのではなく、当局の許可した情報を垂れ流す。

 記者に社会の中の新聞という自覚はない。新聞は権力の監視どころか、従属している。

 言論統制が政治腐敗や市民の抗議デモなど政治的領域だけに限定されるわけではない。記事にふさわしい基準は当局が決めるからだ。体制にとって不都合な情報は一切伝えられない。その中には生活情報も含まれる。

 ソ連ではアルコールの健康に及ぼす悪影響が報道されない。酒税の収入を減らさないためである。また、自殺者数も公表されない。自殺者は理想国家実現に水を差すからである。さらに、重大な犯罪事件も深刻な環境問題も伝えられない。国家の名誉を汚すからだ。

 国民は経験や観察によって生活情報を手に入れるほかない。ウオッカを飲みすぎて肝臓ガンで亡くなった近親者を参考に飲酒を慎しむといった具合だ。

 その最たる例がチェルノブイリ原発事故である。事故の第一報はスウェーデンが伝え、ソ連は国内外にしばらく事実を伝えていない。それどころか、ミハエル・ゴルバチョフ書記長でさえ正確な情報が入手できない有様である。クレムリンの事故対応は遅れに遅れる。

 ゴルバチョフ書記長は、これを教訓に、グラスノスチ政策をとる。体制の立て直しには国民を巻きこむ必要があると考えたからだ。社会の否定的面も伝え、国民に問題意識を共有しなければペレストロイカは進まない。彼は信頼できる編集長をいくつか新聞に送りこむ。

 この変革は法改正によって言論の自由を保障したのではなく、当局の方針転換である。しかし、お墨付きを得たとしてジャーナリストは麻薬問題や少年非行などソ連も多くの社会問題を抱えていると書き始める。こうした紙面の新聞を多くの人々が争って買い求め、販売部数が急速に伸びていく。

 党の上層部には社会の否定的現象を伝える新聞を国家の威信を貶めるものだと批判する者も少なくない。実際、そうした意見を非ゴルバチョフ系の新聞で発表する者もいる。しかし、ゴルバチョフ書記長はペレストロイカに国民の支持が不可欠と考え、その観点からグラスノスチの意義を訴え、彼らに反論している。この方針の下、ソ連には急速に多様な考えが広まっていく。

 実は、言論統制が人々に生活に必要な情報の入手を困難にする事態はソ連に限らない。権威主義体制につきものである。独裁の途上国において家畜の伝染病の報道が遅れ、被害を拡大させることもしばしば起きている。権威主義は権力行使を容易にするため、情報を政権に集中させ、社会と共有する気がない。報道は社会で問題意識を共有するために欠かせないので、それが制限されると、生活に支障をきたす。

 社会はよりよい生活を送り、幸福になるために、政府に統治を信託する。報道はその政府が社会のために統治を行っているかを監視する。ギュゲスの指輪を与えれば、政府は情報の非対称性から自己利益を優先して権力を行使する危険性がある。権力の監視は社会の生活のために行われているのだから、言論統制が政治領域にとどまらないのは当然である。

 ソ連は近代の克服を目指していたので、その原理を否定する。三権分立も市場経済も認めない。統治の姿勢はパターナリズムである。家長が養ってやるから、家族は黙って従っていればいいといい。

 安倍政権は法制局の人事に介入するなど三権分立をないがしろにしている。また、日銀人事に介入したり、官製相場をつくったりするなど市場を操作しようとしている。さらに、閣僚を含め自民党議員からパターナリズムが公然と主張される。現政府与党はソ連とまったく別というわけではない。

 政権迎合の傾向が認められる新聞の販売部数が低落している。グラスノスチ以前の新聞を見れば、それは当然の現象だろう。ただし、日本の新聞は民間企業である。経営を政府が助けてくれるわけではない。販売部数を気にせずにはいられない。

 狂信的政権支持は自らを社会の中に位置づけられていないことを告げている。社会に向き合っていないのだから、そうした圧力勢力は国民生活に悪影響を及ぼす危険性がある。社会生活を守るために、このような動きを許してはならない。
〈了〉
参照文献
横手慎二、『ロシアの政治と外交』、放送大学教育振興会、2015年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?