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ワクチンと公共性(5)(2021)

第5章 ワクチンの公共性
 ワクチンを接種すれば、重症化のみならず、感染の可能性が著しく低くなる。そうすれば他者に感染させる心配もほぼない。流行が従来株であれば、煩わしいマスクを外し、元の日常に戻れる。ワクチンには副反応のリスクがあるけれども、深刻なものの可能性は非常に小さく、効用の方がはるかに大きい。筋肉痛や頭痛、倦怠感、発熱など軽い副反応は少なくないとしても、発症した時に比べれば、苦痛は小さい。合理的に考えるならば、予防接種を受けた方が受けないよりも個人にとって利益が大きい。接種可能なら誰しもそう計算するだろうから、そのような個人の合理的選択が社会的利益につながる。マスクと違い、危害原理ではなく、ワクチンの公共性は私的利益の追求が公益性につながるという神の見えざる手に基づいている。

 言うまでもなく、実際の人間の計算力は完全ではないし、情報も不十分、バイアスもある。その非常に低い確率のシビアな副反応がもし自分に当たったら嫌だと思う気持ちもわかる。だから、あくまでワクチンの公共性の原理が神の見えざる手だということだ。

 もちろん、これはデルタ株の感染が拡大する前の想定である。イスラエルが集団免疫の目安とされる接種費を達成、マスクのない風景が復活すると期待される。けれども、変異株が抗体量を減少させることが発見され、ワクチンの症状軽減効果は確かであるものの、再感染の可能性が従来株より高まっている。

 『SPUTNIK日本』は、2021年07月28日 2時18分更新「ファイザー/バイオエヌテック社のワクチンの有効性が低下 原因はデルタ株の蔓延とバイオエヌテック社社長」において、デルタ株によりワクチンの効果が低下していると次のように述べている。

ファイザーとバイオエヌテック社のコロナウイルスのワクチンについて、ウォールストリートジャーナル紙は広範に蔓延するデルタ型変異株のために有効性が低下していると報じている。
イスラエルで行われた調査では、ファイザーのワクチンを1月に接種した市民と5月に接種した市民の感染率を比較した場合、5月に接種した人の感染率のほうが3倍も高くなっていた。また7月の発表によれば、同じくイスラエルで6月のワクチンの接種者の感染防御率は変異株のせいで64%にまで落ち込んでいた。
バイオエヌテック社のウグル・シャヒン代表取締役はこの調査結果について、「抗体のレベルは低下しており、新しい変異株からのワクチンの防御も落ちている」とコメントしている。
ジョンソンエンドジョンソン社のワクチンも新たな変異株に対する免疫性は最小値を示した。

 従来の予防接種でも抗体量の低下は起きる。ワクチン接種率が高く、かつ流行していなければ、それでも罹患する可能性は小さい。ただ、感染症を研究する際に、子どもの頃など過去に発症・接種をしていたとしても、抗体価を改めて調べる。それが低い場合はワクチンを受け、再度十分かを確かめてから研究に着手できる。しかし、今回は抗体価の低下があまりにも早い。デルタ株という変異株の広がりが原因である。
 
 ウイルスはDNAやRNAという遺伝情報を包んだカプセルのようなもので、自己増殖ができない。宿主の細胞に感染して増殖する。この過程の際に遺伝情報が複製される。コピーにはエラーがつきもので、それが進化論的に環境に適応すると、変異が増殖していく。RNAはDNAに比べて複製の制度が悪く、エラーが発生しやすい。また、感染が増加すれば、複製の回数が多くなるので、変異の生まれる機会が増す。新型コロナウイルスはRNA型で、世界的に感染拡大しているから、変異が短期間の内に相次いで出現しても不思議ではない。

 新型コロナウイルスはおおよそ2週間毎に新しい変異が出現していると考えられている。ただ、すべての変異が新たな脅威に位置付けられるわけではない。WHOや国立感染症研究所は、従来に比べて感染力が高かったり、ワクチンの効果を弱めたりするなど性質が変化した可能性がある変異ウイルスを「懸念される変異株(VOC: Variant of Concern)」、同様の影響を与える可能性が示唆されるものを「注目すべき変異株(VOI: Variant of Interest」」に分類して監視を強化している。

 WHOはインドで発見された変異株「デルタ株」をVOCに分類している。『CNN』は、2021年7月31日10時23分更新「デルタ株、感染したらワクチン接種者でも同じウイルス量 米CDC」において、その変異株について次のように伝えている。

米疾病対策センター(CDC)は30日、新型コロナウイルスの変異株「デルタ株」に感染した場合、ワクチン接種者の体内でも未接種者とほぼ同量のウイルスを生み出すことを示す研究結果を公表した。
米連邦政府は今週、接種完了者にも屋内でのマスク着用を推奨する指針を出しており、CDCはこの判断の主な動機となったデータを公表した形だ。
専門家によると、ワクチン接種によりそもそも新型コロナに感染する可能性は低減できるものの、感染者となった場合、接種者であっても未接種者と同様にウイルスを拡散する可能性があることが示唆されている。
CDCのワレンスキー所長は声明で、「ウイルス量の多さは感染リスクの高さを示唆する。他の変異株とは異なり、デルタ株に感染したワクチン接種者はこのウイルスを他人に感染させる懸念がある」としている。
研究では、7月にマサチューセッツ州バーンスタブル郡で感染した同州の住民469人を分析した。この中で死者は報告されていない。
約74%に当たる346人はワクチン接種を完了しており、このうち79%が症状を訴えた。遺伝子解析の結果、デルタ株が主な要因だったことが判明した。
ウイルス量については、接種完了者127人とその他の84人(未接種者や接種が完了していない人、あるいは接種状況が不明な人)の間でほぼ同様なことが判明した。ウイルス量は、他人にウイルスをうつす可能性がどの程度あるかを示す代用データとなる。
ワレンスキー氏は27日、感染リスクが「高い」または「相当高い」地域で屋内のマスク着用を再開すべきとの指針を発表した際、こうした研究結果に言及していた。現在、米国民の75%超がこうした地域に居住する。
ワレンスキー氏の30日の声明によると、CDCが指針改定に踏み切った背景には、デルタ株はワクチン接種者の間でも同様のウイルス量を生み出すというこうした「重要な発見」があったという。

 デルタ株であっても、ワクチン接種すれば、未接種に比べて感染する可能性は小さくなる。けれども、この変異株に感染してしまえば、既接種者であっても未接種者と同程度の感染力がある。そうであるなら、ワクチンを受けても、危害原理に基づき、マスク着用が必要になる。

 ジョー・バイデン米大統領は、2021年5月、接種を完了した人は原則としてマスクを着けなくてもよいと言っていたが、デルタ株の感染拡大に伴い、2か月後に、方針転換に追い込まれる。『NHK』2021年7月28日 8時19分更新「アメリカ ワクチン接種完了でもマスク着用を推奨 方針を転換」によると、米CDCは、7月27日、デルタ株が感染例の8割を占めると推定されるとして、ワクチン接種を完了した人も、感染者の数などが一定の水準を超えた地域においては、屋内でのマスクの着用を推奨すると新指針を発表している。

 しかも、『CNN』2021年7月30日 13時15分T更新「デルタ株、水痘に匹敵する感染力 CDCの内部資料が警告」によると、『ワシントン・ポスト』が入手したCDCの内部資料はデルタ株が従来の感染力をはるかに上回り、「水痘」並だと指摘している。従来株は季節性インフルエンザ程度の1人から2人の感染力だったが、デルタ株は水痘に匹敵となれば1人から8、9人である。

 デルタ株の感染拡大状況ではマスクが外せないのだから、ワクチン接種のインセンティブが小さくなる。しかし、この変異株は若年層でも症状が重くなりやすい。従来株で若年層は発症しても症状が軽いとされ、接種のインセンティブが高齢者に比べて小さい。彼らは副反応のリスクを避けようと受けたがらない。そのため、『日テレNEWS24』、2021年5月21日10時49分更新「NY 接種したら1等5億円超の“宝くじ”」が報じているように、米国では行政が宝くじなどのインセンティブを用意している。しかし、デルタ株によって重症化リスクが高くなれば、マスクが必要であっても、接種に積極的になる。

 事実上のワクチン義務化もインセンティブの発想が実は利用されている。政府がワクチンパスポートを飲食店への入場の条件としたとしよう。それは「ワクチン接種していなければ、入れない」ではなく、「ワクチン接種していれば、入れる」である。両者は似ているが、異なっている。前者は入場可を前提にしてそれに制限を加えている。一方、後者は入場不可が前提で、例外が設けられている。義務化は原理的に困難であり、あくまでもワクチン接種はインセンティブによって促進するほかない。その際、接種希望者に応える体制の整備を政府がしておくことは言うまでもない。

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