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尾崎豊伝説(2012)

尾崎豊神話
Saven Satow
Feb. 23, 2012

「音楽の世界では、大きく二つの働き方があります。作品を自ら作り表現する側、作り手を助けることでビジネスをする側。作り手を目指すといっても、ロックンロールの場合、ギターコードを三つ知っていれば曲が作れてしまう。でもその程度では100曲は書けません。自分の魂の叫びがいくら強くても、すぐに限界が来るのは冷徹な事実です。音楽表現を長く続けていくためには、継続的な訓練と学習が必要なのです」。
山下達郎

 もうすぐ20年が経つ。今も生きていれば46歳だ。2012年4月、尾崎豊が約10年に亘って記していた創作ノートが単行本として刊行される。一部は3月に『小説新潮』誌上で公開される。

 尾崎豊が80年代前半にデビューした時、青春の代弁者と言うよりも、彼は反時代的存在に映っている。

 その歌詞には管理教育への反発が見られる。しかし、それは70年代後半の教育問題である。当時の学校現場ではさらに深刻な「いじめ」が新たに問題化している。

 70年代後半から校内暴力の嵐が吹き荒れ、学校側は厳しい取締による管理教育で抑えこみ、80年代半ばにはほぼ沈静化する。ところが、その過程で見えにくい陰湿な問題が生徒間で進行する。それがいじめである。

 1981年頃より新聞記事で学校内での生徒間の陰湿な暴力事件・嫌がらせが報道されている。いじめが社会問題として大きく取り上げられるようになったのは85年からである。水戸市立笠原中学校の生徒がいじめを苦にして自殺したと見られる事件が発覚する。これをきっかけにいじめは一気に社会で広く認知され、政府も実態把握と対策に向かい始める。しかし、その後も、86年の中野富士見中学での「葬式ごっこ」事件などいじめ自殺が続く。いじめは、現在に至るまで、最大の教育問題の一つとして政府・現場共に認識している。

 管理教育では教師=抑圧者、生徒=被抑圧者という対立の描写が容易である。自由を求める生徒を圧殺する教師という構図は真に単純明快である。一方、いじめにおいては、加害者も被害者も傍観者も生徒である。同級生同士が死に追いやる。いじめは生徒に倫理的な問いを突きつけ、素朴な二項対立はありえない。不安や焦燥、希望などに揺れ動く繊細で傷つきやすい青春像はもはや過去のものである。80年代前半、少なくとも、生徒の間ではこの陰湿な雰囲気が支配しつつある。いじめの生まれる学校世界を直視せず、反管理教育を歌っている尾崎豊の姿は時代とずれている。

 もっとも、尾崎豊に限らず、まったくというわけではないが、現在まで学校を舞台にした歌詞にいじめをみつめたものはほとんど見られない。自分がいじめの対象になっていると認めたくない子もいる。そういう気持ちにも配慮がいる。

 尾崎豊が反時代的だったのは歌詞だけではない。

 80年代前半のミュージック・シーンの最大のスターはYMOである。楽器・録音のイノベーション、演奏技術、作曲技法、歌詞内容、ファッション、ステージ・アクト、メディアミックス、人脈など戦後音楽の頂点だったと言ってよい。小学生まで虜にしたほどだ。彼らはスネークマンショーや三宅裕司率いるSETともコラボしている。

 YMOだけでなく、80年代前半を席巻した男性ミュージシャンはそれぞれ何らかの高い技能を持っている。タイプは違うものの、大瀧詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、高見沢俊彦、南佳孝、村下孝蔵、玉置浩二など彼らは10~15年ほどの音楽活動歴がある。その間に挫折も味わい、じっくりと実力をつけ、枯渇しないように貯えも用意している。

 尾崎豊の力不足は、彼らと比べて、歴然としている。準備も不足していて、数曲は書けてもそれ以上続かない。60年代後半や70年代前半であれば、これでも十分だったろうが、80年代前半はミュージシャンの能力的な水準が上がっている。尾崎豊には経験や知識、技能が不足している。

 時代を超えた普遍的な若者像の具現化となると、かつてのフォーク・ソングに尽きている。あのムーブメントは「若者」の発見でもあったからだ。路線とすれば、尾崎豊は佐野元春や浜田省吾と重なる。しかし、尾崎豊は、次第に反管理教育から卒業したものの、彼らほどの音楽世界の広がりを持っていない。時代精神を包みこみながら、音楽的に成熟していく姿勢に欠けている。新たな音楽の地平を切り開く余裕などなく、活動からは自分のことだけで手いっぱいといった姿がうかがい知れる。

 80年代前半、大映テレビの青春ドラマが人気を博している。かつてはシリアスなスポーツ根性物も今ではそのクサさが笑いを誘う。尾崎豊もそういう存在として捉えられてもいる。メタル評論家の伊藤政則は尾崎豊のそうした反時代性を敏感に嗅ぎとっている。この元学校長の息子は、84年からニッポン放送で放送され、メイン・パーソナリティを務めた『TOKYOベストヒット』で、尾崎豊を「『裏』吉川晃司」として大々的に取り上げている。一度だけゲスト出演したが、あまりに無口だったため、彼に風俗の待合室にいるようだとからかわれている。

 尾崎豊がその後にドラッグに走っても決して驚くようなことではない。力不足のままデビューし、感性に依存して音楽活動を続ける若者が行き詰まりをドラッグで打開しようとする光景は、60年代の英米のロック・シーンではお決まりだからだ。この点でも、尾崎豊は反時代的でしかない。80年代前半を牽引した日本の男性ミュージシャンにドラッグ禍はほとんど見られない。

 ミュージシャンとしての実力も高くない。また、時代との結びつきも弱い。しかし、だからこそ、尾崎豊は聴く人によっては自分だけのものにできる。尾崎豊は自分のために曲を書き、歌っているのだとさえ感じられる。死後、そのイメージが肥大化していく。尾崎豊を神話化しているのは、おそらく、彼より後に生まれた世代だろう。

 けれども、こんな考えもあるのだなと思ってみるのも、生きていく上では、決して悪いことではない。

 僕たちは、将来何になれるのかを自分で探しながら生きていくものだと思います。僕の父は、30歳くらいまでは遊びながらそれを探せと言ってくれましたが、それだけ自分の仕事を見つけるのは難しいということを知っていたのでしょう。なるべく自分らしい大きな可能性をつかむためには、時間も迷いも必要だということです。
 例えば中学から高校ぐらいになると音楽を好きになるのはごく普通のことです。でも、だから誰もが音楽家になれるかといったらそうではない。それは厳しい道だし、またほかに興味が移ることも多いでしょう。それなのに親が早くから音楽学校に入れたり、タレント養成組織に入れたりするのは、一人の人間の可能性を狭めてしまうことだと危惧します。
 自分がもがいて、求めて、ある仕事に就く。その立場で何ができ、世の中がどんな風に見えるのか。正直に何を感じるのか。そういう一つひとつのことが大切なんだと思います。企業人として、あるいは仕事上の立場があるからと、自分の考えることや感じることを封印できますか。
 最後は、僕はどう考えるのかと自分に返ってくる。仕事も生き方もです。甘えないというのは、自分をごまかさないということだと思うし、既成の価値観ではなく、自分は自分だと覚悟することでしょうね。
(坂本龍一)
〈了〉
参照文献
朝日新聞社編、『仕事力 金版』、朝日文庫、2010年
竹内洋、『改訂版学校システム論』、放送大学教育振興会、2007年
「仕事力」、『asahi.com:就職・転職ニュース』
http://www.asakyu.com/column/

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