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投票率と民主主義(2014)

投票率と民主主義
Saven Satow
Dec. 05, 2014

「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが」。
ウィンストン・チャーチル

 議会制民主主義は社会における「信頼(Trust)」によって成り立っている。投票率はそれを示す一つの指標だ。

 社会で孤立している人は投票に行かない。「仕事が忙しい」、「誰に投票していいかわからない」、「自分の一票など無力だ」といった理由を挙げて棄権する人もいる。しかし、豊かな人間関係を持っているなら、たとえ明日亡くなるとしても、今日投票に行くだろう。残された人たちのために行動したいと思うからだ。

 投票行動は信頼できる人間関係の現われである。低投票率は社会においてそれが弱まっていることを示している。民主主義へのコミットメントは社会の信頼によって生じる。その低下は統治に関わる政治家・官僚のみならず、メディアにも責任がある。独裁国家でメディアは御用報道ばかりで、信頼されていない。

 選挙は民意を正確に反映できないという批判がある。選挙制度をよりよいものへと改善していくことは必要である。しかし、重要なのは選挙が相互信頼によって保障されるということだ。社会で相互に信頼しているから、選挙を実施し、その結果を認めることができる。信頼が形成されていることが選挙の成否を左右する。

 民主主義を制度として採用しても、社会に相互の信頼感がなければ、機能しない。社会内部に相互不信を抱える途上国では、民主的選挙が行われたとしても、その結果をめぐってしばしば暴動や内戦が勃発する。また、イスラム国は、欧米に向けて、民主主義では報われないと宣伝して勧誘している。制度として十分に機能していても、社会で孤立している人は民主主義コミットメントを持てない。

 1942年に実施された翼賛選挙の投票率は83%強である。今日から見れば高いと思うかもしれないが、戦前では低水準である。大政翼賛会を正当化するため、内務省が投票率向上の大キャンペーンを展開したものの、低く終わっている。投票率が社会の相互信頼に基づくことがこの事例からもわかるだろう。

 民主主義は相互信頼を前提にしているから、それが分断されると、独裁者につけこまれる、古典時代から西洋政治理論の最大の課題の一つは暴君、すなわち独裁者をどうやって誕生させないかである。独裁者は不信感を利用して民主主義の下で権力の座に就く。

 1933年にドイツで実施された総選挙で、ナチスが第一党に躍進する。しかし、同党の得票率は40%台である。他党が最大でも10%台で、投票率も前回より下がったという事情がそれを許している。

 独裁者は権力を掌握できればいいので、民主主義の持続的運用など知ったことではない。相互不信を煽り、民主主義を弱体化させて、選挙で勝ったら、同じ手を使われないように、機能不全に追いこむ。

 民主主義への不信は社会の分断から生まれる。低投票率は相互信頼の衰退の現われである。安倍晋三首相は12年以来衆参二度の国政選挙共において戦後最低水準の投票率で勝利している。だから、彼の統治は社会の相互不信を利用していると言える。非常に危険な為政者である。社会の相互信頼の回復として投票を行わなければならない。

 12月4日、メディアは今回の総選挙の結果予想を発表している。その際、50%台半ば台という戦後最低の投票率を前提にしている。低投票率は社会の分裂を物語る。メディアにも責任があることは言うまでもない。そんな予想する前に、投票率を上げるための行動をしろ!
〈了〉

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