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自民党の寿命(2016)

自民党の寿命
Saven Satow
Nov. 27, 2016

「組織は変化に対応するために高度に分権化する必要がある。意思決定を迅速に行わなければならないからである。その意思決定は、成果と市場に密着し、技術に密着し、さらにイノベーションの機会として利用すべき社会、環境、人口構造、知識の変化に密着して行わなければならない」。
ピーター・ドラッカー

 孫崎享東アジア共同体研究所理事・所長は、現在の自民党について、2016年11月25日20時56分に次のようなツイートをしている。

自民党:党中核の人物、今の自民党にリベラル色が消えたことに憂慮しているという。安倍一色、タカ派路線、軍国化、この路線に国民がおかしいと感じた時、一気に脱自民党が進む懸念を危惧している。党の中核の人物はへー、その人がそんなこと思っているかというような人物。当然安倍氏との距離は近い。

 自民党は党首の個性に人気が左右される新興勢力ではない。1955年以来の大半の時期において国会で最大勢力を獲得、統治を担当してきた政党である。そんな政党が党首の色に染まっている。このツイートは自民党が組織として寿命を迎えていることを示している。

 組織は生存のために複数の考え方を用意している。複数の路線の競争と牽制が組織のダイナミズムとして機能する。ただ、効果はそれだけではない。失敗した際、責任をその時のトップに負わせ、別の人物にポジションを挿げ替える。モノカルチャー、組織はリーダーと心中しかねない。複数の選択肢があれば、人事交代を通じて、厳しい状況に直面しても組織は生き残れる。

 歴史の浅い組織は異動昇進の人事が制度化されていない。また、規模の小さい組織は指導者と被指導者の距離が近い。そのため、いずれの場合でも、組織がトップのワンマン経営によって支配される。自由と選択ではなく、恐怖と偶然が組織に蔓延する。こうした組織はリーダーと運命を共にしてしまう。

 複数の選択肢を保持できなくなれば、組織は人事交代による新体制を提示できない。老舗の組織であるなら、それは寿命に達しつつあることを意味する。自民党がこのような状態に陥ったのは安倍晋三という抜擢型の政治家をリーダーにしてしまったからである。このタイプのトップはコミュニケーションではなく、公式・非公式の圧力、すなわち影響力を権力の源泉と信じている。そのため、権力基盤を強化する際、組織から選択肢を奪う。

 アリストテレスは、『政治学』において、支配者は被支配者の経験がなければならないと指摘する。リーダーを育成するには、しばしば帝王学が必要だとされる。しかし、指導する人は指導される人を理解していなければ、組織を効率よく統括できない。

 もちろん、下位の経験があれば、優れた上位になれるわけではない。組織の中で、下の立場から出発して実績を積み、社交や理論闘争をし、支持者を増やす。その基盤を元に権力を獲得し、上に立つ。この過程を組織内に納得させるため、異動昇進の人事が制度化される。経験・実績・理論・支持者がそろって、指導力は効果的に発揮される。

 組織が老朽化してくると、活性化を図るために、新しい手立てを打つ。新規事業の展開の他に、人事の新鮮さもそうした方法に含まれる。しかし、若手を指導者層に抜擢する人事は必ずしも成功しない。

 集団体制を含めて指導者が人事の過程を飛ばして若手を抜擢することがある。飛び級は有力者の影響力が権力の源泉である。傀儡と見なされ、組織内からの納得が十分得られない。また、人脈も狭いので、地縁血縁友人を中心に登用する。昇進には時間がかかるものだ。人事が偏っていては、長年の努力や忍耐が無題になったとしては組織内には不満が募る。

 こうした抜擢された指導者は組織運営の際に権威主義的手法をとりやすい。被支配の経験が短いので、その気持ちを十分に理解できない。また、自ら実績を挙げて周囲から一目置かれたり、交流や議論を通じて反対派・中間派を説得したりする経験・技術に乏しい。

 極端なイデオロギーの持ち主であっても、統治を効率よく行うために、しばしば穏健化する。穏健化しなければ、環境変化が追い風となる時もあるが、支持の安定した拡大は見込めない。ところが、抜擢型はこうした現実路線に必ずしも向かわない。極論は狭いけれども、確かな支持がある。それに立脚している限り、支持の中核を保てる。

 極論の抜擢型は地道にコミュニケーションによって支持を広げた経験があまりない。こうした物は自分と異なるイデオロギーや価値観に対して非妥協的・排撃的な態度で臨む。だから、支持を集めるために、仮想敵を攻撃したり、恐怖を扇動したりして、アグレッシブな姿勢で頼りになる強さをアピールする。問題の解決はコミュニケーションによる熟議と交渉ではなく、力でねじ伏せればよいという短絡的なものだ。

 抜擢された指導者は、ショートカットの待遇のため、待つという堪え性がない。年月を経て成長することの意義を実感していないから、時間のかかる手続きを軽視し、結果を速く求めすぎる。統治や経営は過去との整合性が希薄になり、リーダーの思いつきと思いこみにより安定性を欠くようになる。

 賢明な組織は若手を抜擢する際、意図的に最初に失敗させるものだ。失敗経験を通じて真の指導者に成長することを期待する。また、始めであれば、失敗は小さいから、老舗の組織なら損失はすぐに回復できる。けれども、余裕のない組織が飛び級人事を行うと、失敗が深刻な事態を招く危険性がある。

 しかも、失敗しても、それと反省的に向き合い、促成栽培の問題として認知を進化させることに至らない。通常、権力は組織内部の理解・納得に基づいて行使される。しかし、組織内運営の経験や技術が貧弱である。そのため、権力行使を邪魔したり、抵抗したりした勢力に失敗の責任を転嫁する。失敗は自らの信念を強化してしまう。権力の源泉をコミュニケーションではなく、影響力と確信する。

 抜擢型は組織内に権力基盤が弱いので、その外の影響力を利用する。地道な努力や忍耐の時間的コストを惜しんでしまう。外部の有力者に取り入ったり、メディアを通じて人々に訴えたり、組織内に圧力をかける。権力の源泉がコミュニケーションではなく、影響力だと信じているからだ。

 抜擢された指導者は、権力基盤を強化するために、自身も同様の人事を行う。そうして登用された人材の権力の源泉は決定者の影響力と承知しているので、忠誠心でそれに応えようとする指導者の失脚は自らの将来も暗転させる。この子分は親分を擁護し、それを脅かす者を攻撃する。実績という組織への貢献ではなく、指導者への帰依が人事の基準とされる。人事がルールではなく、指導者の恣意に支配される。

 しかも、圧力は自分にとって望ましくない行動を抑えることには容易である。しかし、望ましい行動を促すことは困難だ。影響力に依存する組織運営は活力を奪う。かくして組織は複数の選択肢を失い、裸の王様のリーダーと運命を共にしてしまう。

 こうした過程を経て勢力が衰退した組織の好例がインド国民会議派である。ジャワハルラール・ネルーの死後、有力後継者も急死するなど党内が混乱する。そこで党の幹部はネルーの娘インディラ・ガンジーをリーダーに抜擢する。彼女は知名度があるけれども、政治経験がない。

 経緯は省略するが、先に挙げた手法に頼り、インディラ・ガンジーは党内民主主義を抑圧、権威主義的に支配する。党内の彼女への忠誠心は強まるものの、支持基盤が弱体化してしまう。また、首相としても民主主義を逸脱する強権手法を乱用する。とうとう1984年、シーク教徒の聖地黄金寺院への武力攻撃に憤った同教徒により彼女は暗殺される。以後、党勢は衰退し、国政選挙で4分の1程度の議席しかとれなくなり、政権に就く際も連立を余儀なくされている。

 現在の自民党の総裁は安倍晋三である。彼の父安倍晋太郎は長年外務大臣を務め、調整型の政治家として知られる。この「ニュー・リーダー」の一人は首相の座を目の前にしながら、悲願を叶えられず、急死してしまう。それを受けて政治家に転身した安倍晋三は抜擢型の典型の道を歩む。彼が二度目の総裁の座に就いて以来、自民党は寿命を迎えている。

 事態が緊迫感を失ってくると、集団の振る舞いも解体する可能性が出てくる。と言うのは、対象化されたもの(例えば、打ち壊されたバスチーユ)を共同で維持することは、必要なことでも緊急のことでもないからである。それに、共同で維持することは、集団の過去のあり方を集団の唯一の理由として現実の全体化の実践にもたらすことでしかない。集団はすでに過去のものとなった勝利のうちに自分を見ようとやってくる。つまり、集団は自分自身を目的と捉えるのだ。
(ジャン=ポール・サルトル『弁証法的理性批判』)
〈了〉
参照文献
アリストテレス、『政治学』、 山本光雄訳、岩波文庫、1961年
ジャン=ポール・サルトル、『サルトル全集』26、竹内芳郎他訳、人文書院、1962年


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