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独裁と分割統治(2015)

独裁と分割統治
Saven Satow
May, 13, 2015

「年老いた暴君ほど珍しいものはない」。
タレス

 西洋政治理論の伝統において重要な課題の一つが「独裁者」である。どのようにすれば独裁者の出現を予防できるか、あるいは権力を握られたらいかに対処すればいいのかといった問いは古典時代から論じられている。古くは「僭主」や「暴君」と呼ばれているが、現代との連続性を考慮すれば、それらを独裁者として扱って差し支えない。

 独裁者は、戦争での功績など対外強硬姿勢を背景に、政治混乱を利用して権力の座に就く。私的関心・利得を優先させ、正義ではなく、気まぐれで統治する。権力者の恣意に支配されるため、人々は落ち着かず、相互信頼も失われる。恐怖政治の下、人々は権力者に隷属、徳のある生き方ができなくなる。

 政治混乱を避けなければならないのは、それ自体の弊害以上に独裁者の出現を許してしまうことにある。政治が不安定であるよりもましと人々は独裁を支持し、結局、取り返しのつかない状況に陥ってしまう。

 その独裁は、住民の自己決定権を奪うので、外国による占領や植民地支配と同じである。為政者がたとえ自国民であっても、独裁は外国人による統治と何ら変わらない。独裁者の信奉者は反対勢力を外国の手先とばかりに非難する。しかし、独裁体制の支持は外国への隷属と同じことである。独裁者に支配された国は自立しているとは言えない。

 独裁が外国による支配と違いがないことは統治の手法からも理解できる。独裁体制では分割統治がたいてい利用されている。

 「分割統治(Divide and Conquer)」は支配者が被支配者を分割して統治する手法である。宗主国が植民地を統治するにあたりしばしば採用する。宗主国は植民地の人々が一致団結して立ち向かってこないように分割統治を活用するからだ。宗主国は植民地に対して民族や人種、宗教、言語、慣習などの差を固定的に捉え、それをアイデンティティとして強調する。

 宗主国は同一性から差異性を導き出すわけではない。分割をもっともらしく正当化するのが目的であるから、このアイデンティティはイリュージョンである。人々がそれを超えて融合させないために、婚姻を制限したり、居住地を隔離したり、移動を制約したりする政策を敷く。

 宗主国は特定集団を優遇したり、下級役人に採用したりする。植民地支配に伴う他の集団の憎悪や敵意を自分たちにではなく、そこに向けさせるためである。ベルギー委任統治下のルワンダでは、少数派のツチ族が下級役人として採用され、多数派のフツ族の憎しみの対象になっている。また、フランスはカンボジア植民地においてベトナム人を徴税人に使っている。そのため、カンボジア人はフランス人以上にベトナム人を嫌っている。

 この分割統治は植民地支配終了後も負の遺産として残り、国民統合の妨げとなっている。虐殺や内戦などの対立もこれに起因している場合が少なくない。独立したものの、独裁者が登場する際、その恐怖支配は分割統治の構造に基づいている。統治者は外国人から自国民へと移ったが、支配=被支配の構造は維持されている。事実上、独裁者は外国人と同じである。

 植民地支配を受けなかった国でも独裁者は分割統治を活用する。人々がまとまって自分に手向かわないために効果的だからだ。

 日本の戦時体制において当局は治安維持法によって好ましからざる人物や組織、団体を弾圧している。その治安維持法が運用開始したのは政党政治の時代である。民衆が民主主義にコミットメントしている時に、当局はあからさまな弾圧などできない。そこで、彼らは共産党にターゲットを絞る。労働者や農民の運動の内部で共産党との連携をめぐって分裂する。運動が一致団結していては、当局も手出ししにくい。けれども、分裂すれば、運動が弱体化し、当局は取り締まりが容易になる。その後、彼らは治安維持法の適用範囲を恣意的に拡大していく。

 現在の日本の安倍晋三政権は「独裁」と評される。これはあながち見当外れではない。安倍政権の特徴の一つに権力強化のために分割統治を利用する点が挙げられる。権力のチェック機能を持つ分野の特定集団を優遇し、彼らに他を攻撃させて対立を生じさせ、まとまって自分に歯向かってこないようにする。この過程でレッテル張りが用いられ、摩擦が激化する。同じ分野に属していても、市場占有率などで競争関係にあるから、選別された集団は部分的合理性によって得すると考える。しかし、そのネガティブ・キャンペーンは本来のチェック機能をおろそかにするので、全体の信用を落として、自分たちも損をし、政権の権力強化をアシストしてしまう。メディアや野党が好例である。

 現代の民主主義は多元的である。政府の統治はそうしたさまざまなアクターからチェックされなければならない。多元主義が働いていなければ、それを民主主義と呼ぶことはできない。

 分割統治によってチェック機能が働かないのだから、政権は好き放題できる。国民の望む政策の優先順位や意思は反映されない。こうした政治状況は独裁と呼ぶほかない。それは外国による占領や植民地支配と同じ状態である。
〈了〉
参照文献
高木保興他、『途上国を考える』、放送大学教育振興会、2014年

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