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戦後70年の反戦文学に向けて(7)(2015)

第7章 戦後70年の反戦文学
 湾岸戦争反対アピールの際、柄谷行人を始め文学者たちは、主語を「私たち」ではなく、「私」としたことを評価している。それぞれが個人として参加する形式だからだ。けれども、本来、「私」を使う意義は違う。

 近代において公私の区別が重要である。その社会は自由で平等、北率した個人によって成り立っている。個人主義から公私の区別を捉える必要がある。それは「私にとっての公」という問題設定になる。これを検討するには何が「私」であり、何が「公」であるかを考えなければならない。「私にとっての公」という問いから戦争に向き合わねばならぬ。

 戦後70年が経つ今年、文学者の反戦運動が活発に行われている。その中で最も興味深い一人が瀬戸内寂聴である。彼女はこれまでも政治的・社会的問題に対して発言・行動している。脱原発の世論の声に耳を傾ける気がないと経済産業省の前で抗議の座りこみをしている。

 今年、安保法案の特集を女性誌が組んでいる。それには瀬戸内寂聴の批判がきっかけとなっている。15年8月10日付『朝日新聞』は「安保法制、女性週刊誌も特集 『韓流スター以上の反応』」という次のような記事を掲載している。

 昨年3月、作家の瀬戸内寂聴さんと俳優の吉永小百合さんが誌上で対談し、戦争や安倍政権への危惧を語って大きな反響を呼んだ。「あの対談に背中を押された」と同誌の田辺浩司編集長。「女性読者は頭でっかちなものを嫌うので、普段から着地点を決めて取材しないよう気をつけている。安保を特集しようと最初から思っていたわけではなく、取材する中で自然と企画が生まれていった」
 瀬戸内さんの安保法制への抗議行動を特集した「寂聴さん『このままでは戦争に…』」(今年7月7・14日合併号)は、読者アンケートの人気ランキング1位に。「徴兵制がいつか導入されるのでは」と懸念する声の多さが特に目立つという。普段とは違う読者層からもSNSなどを通じて「応援する」という声が届く。
 「週刊女性」(主婦と生活社)が安保特集を始めたのも、読者の要望が強かったからだ。寺田文一編集長は「私たちはもともとは政権に批判的な立場ではなかった。法案が『理解できない』という読者の声があって始めた」と話す。
 7月14日号では「『戦争法案』とニッポンの行方」と題し、10ページにわたって法案の中身を特集。法案への反対を公言する自民党の村上誠一郎衆院議員や、共産党の志位和夫委員長のインタビューも掲載した。この号は実売率が平均より3~4ポイント上がり、追加注文もあった。寺田文一編集長は「特集を支持する声が多くて驚いた。韓流スターや芸能人のニュース以上に反応が来た」と話す。手紙や電話で「普段は美容院で斜め読みするが、今回は帰りに買った」「参加したいから、各地のデモの日程を知りたい」といった声も多数寄せられたという。
 その後も、反響に後押しされる形で、7月28日号は「安保法制とブラック国家ニッポン」、8月4日号は「安保法案強行採決 安倍首相をどう懲らしめようか」、11日号は「安倍首相はどうして法案成立にこだわるのか」と、ほぼ毎号特集を続け、8月11日号では「これからも安保関連法案についてしつこく取材・報道していきます」と宣言した。寺田編集長は「読者の女性たちは非常に冷静に説明を求めている。一過性のブームではない。こういう人がますます増えると思う」。
 女性誌では、ティーン向けの「セブンティーン」(集英社)も、1日発売の9月号で「17sで考えよう”戦後70年”」を特集。憲法学者の木村草太さんが10代の女性たちと、憲法9条や戦争について対談した。子育て世代の女性誌「VERY」(光文社)も昨年の3月号で憲法を特集するなど、女性誌が政治課題を扱うことは当たり前になりつつある。

 一人の作家の発言が出版界に大変化を生み出している。しかも、それは戦争に関連する話題である。素朴な私的感情に訴えながら、深刻な公的問題を問いつめる。瀬戸内寂聴は与謝野晶子の方法を復活させている。晶子の提起した反戦文学が111年後に改めて受けとめられている。

 人々のほとんどが戦争体験者であった頃、経験が共通基盤である。関わり方はさまざまでも、戦争を経験したことは共通している。しかし、戦後70年の間に、戦争を知らない世代が多数になる。それは戦争という体験が人々に必ずしも共有されていないことを意味する。15年戦争に兵士として従軍した文学者も多くが鬼籍に入っている。のみならず、戦災経験のある作家も高齢化している。

 戦争に関与した世代には戦争責任がある。1935年前後以降に生まれた世代にそれはない。ただ、戦後責任はある。戦後に生きる世代として戦争がもたらした現代的課題に取り組む責任がある。それは今を次の戦争の戦前にしないための責任、すなわち戦前責任でもある。

 瀬戸内寂聴は作品を通じてではなく、発言や運動によって反戦を訴えている。講演で語り、集会で話し、インタビューに応えている。それは共通基盤を構築するためである。話し言葉は、書き言葉に比べて、コンテクスト依存性が高い。話し言葉は、一般的に、具体的な場面で行われる。話し手と聞き手はコンテクストを共有している。そのため、文法上の誤りがあったり、言い間違えや省略があったりしても、言わんとすることを補正して理解できる。また、同じ単語であっても、口調や表情、しぐさなどから意味合いの違いも推察できる。話し言葉はコンテクストの共有を生み出す。

 しかも、話し言葉は話した直後に消えていく。書き言葉と違い、一文に情報量を詰めこむことができない。文の長さを短くし、情報量は文章で確保するほかない。その際、前の文を確認できないので、相手の反応を確認しつつ、繰り返しも必要だ。数式を口だけで話されてもイメージしにくいように、抽象的な議論をより具体的に言わなければ相手に伝わらない。

 経験を共通基盤にして反戦を訴えられないのであれば、コンテクストを共有するほかない。そのため、瀬戸内寂聴は話し言葉で訴える。反戦の主張が広く女性層に共感を呼んでいるのはこうした理由がある。首相を始め政治家自らは危険な戦場に行かず、安全な場所に身を置きながら、人の子を破壊と殺戮に送りこみ、心身の健康を損なわせ、命を奪う。瀬戸内寂聴の訴えを通じて晶子の批判は現代にこう蘇っている。
〈了〉
参照文献
天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007年
柄谷行人、『批評とポスト・モダン』、福武文庫、1989年
同、『〈戦前〉の思考』、文藝春秋、1994年
同、『倫理21』、平凡社、2000年
川端香男里、『トルストイ』、講談社、1982年
島内裕子他、『日本お近代文学』、放送大学教育振興会、2009年
藤原帰一、『国際政治』、放送大学教育振興会、2007年
柳原正治、『国際法』、放送大学教育振興会、2014年
朝日新聞社編、『100人の20世紀』上、朝日新聞社、19999年
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/index.html


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