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外交とマキャベリ的知性(2012)

外交とマキャベリ的知性
Saven Satow
Sep. 28, 2012

「外交では正しいだけでは十分ではなく、気に入られることも重要だ」。
ジュール・カンボン『外交官』

 1946年2月22日、駐ソ米大使館に勤務するジョージ・ケナンは、約8000語にも及ぶ「長文電報 (Long Telegram)」をモスクワから国務省へ打電する。今後の対ソ関係に関して詳細に分析、封じ込め政策を提言している。この電報は国務省内で回覧され、ハリー・S・トルーマン政権に大きな影響を与える。

 47年3月12日、第33代大統領は一般教書演説で長文電報の主張を取り入れた「トルーマン・ドクトリン」を発表する。しかし、そのせっかちで素朴な善悪二元論を耳に触れたこの元IVYリーガーは困惑してしまう。

 外交には妥協や曖昧さがついてまわり、微妙なニュアンスと暗示的なシグナルをはらんだ交渉をじっくりと積み上げていくものだ。外交はマキャベリ的知性の場だというわけだ。この政策企画本部初代本部長は、後に、こう後悔することになる。「アメリカ人は『全面的に非人間的で悪意を持った敵』という歪んだソ連像を作りあげてしまったので、危機が頻発する時代に『外交』を放棄しなければならなくなった」。

 ドクトリンと相前後して、正規の大学教育を受けなかった最後の大統領は行政命令「連邦政府職員忠誠審査令」を発動する。これにより赤狩りが始まる。このるつぼは60年代に入ってようやく収拾される。

 「6人の賢者」の一人は、長文電報を論文「「ソヴィエトの行動の源泉 (The Sources of Soviet Conduct)」にまとめ、47年、『フォーリン・アフェアーズ』誌7月号に寄稿する。その際、署名をXとしたため、それは「X論文(X Article)」と通称される。

 大統領にさえ「ジョージ」と呼ばせなかったマーシャル長官が国務省を去り、49年、狂信的な反共主義者のディーン・アチソンが後任に選ばれる。米国の冷戦政策のデザイナーも省内での立場が弱体化、53年、同省を辞職するに至る。

 なお、この封じ込めの父は、日本の独立に際して、駐留米軍を引き揚げさせるべきだと主張している。自国に外国の軍隊が居座るのは気分のいいものではない。それによって反米感情を招きかねない。その上で、日本をソ連との緩衝地帯として中立にすべきだ。しかし、このプランは「敵か味方か」しかない米政府の上層部に受け入れられることはない。

 先の後悔は日本にも思い当たるケースがある。

 2002年9月の日朝首脳会談の実現からすでに10年が経つ。北朝鮮側は、特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って日本人を拉致した事実を認め、謝罪、生存を確認した4名の帰国を認める。しかし、彼らが帰ってきて以降、拉致問題を始め日朝の交渉は停滞し続けている。

 この間、支配的な世論は圧力をかければ、何とかなるというのは願望的思考にとらわれる。拉致被害者の安否情報のショッキングさもあって、日本人は「全面的に非人間的で悪意を持った敵」という歪んだ北朝鮮像を作りあげてしまったので、拉致被害や核開発などの課題が山積する時代に「外交」を放棄しなければならなくなってしまう。日本は北朝鮮との間で状況を見極め、相手の手の内を読むマキャベリ的知性を使うことなく、時間だけが過ぎている。焦りは事態を後退させかねない。

 もちろん、アントニオ猪木元参議院議員を始め、停滞している中でも、北朝鮮とのパイプを維持しようと努力した人たちもいる。信念がなければできないことである。外交には個人的信頼関係が必要なのは確かだ。これは正しいが、危機の際に、それだけに頼ってしまうのは、偶発的出来事による不信感を払拭しきれないため、危険である。外交では、もともと、相手の情報が制限されている。開戦前夜の日米交渉は個人的信頼関係だけが頼りになってしまい、結局、事態を打開できずに終わる。

 長期の滞りの後、指導者の交代もあり、日朝関係に変化の兆しが見え始めている。目的は共有しつつ、対応をめぐる被害者家族会の意見も多様化している。

 今、日本は中国や韓国と領土をめぐってぎくしゃくしている。北朝鮮と違い、両国とはすでに友好関係が結ばれ、相互依存も浸透している。ただ、BBCとメリーランド大学が定期的に実施しているグローバルな役割を果たす国に関する国際世論調査によると、周辺国の日本に対する評価は概して厳しく、相互理解が高かったとは言えない。外交は感情で行うものではない。しかし、感情に配慮しないのは政治ではない。依然として慎重でしたたか、きめ細やかなマキャベリ的知性が必要である。いずれの国交正常化でも繰り広げられた知恵と苦労を思い起こすことだ。

 石原慎太郎や安倍晋三のような視野の狭い粗雑なジンゴイズムは、いかなる場合でも、論外だ。外交には妥協や曖昧さがつきもので、微妙なニュアンスと暗示的なシグナルをはらんだ交渉をじっくりと積み上げていかねばならぬ。

 1989年12月2日から3日にかけて、地中海のマルタで米ソ首脳が会談し、冷戦の終結を宣言する。トルーマン・ドクトリンから42年が経っている。それが長かったのか、短かったのか、あるいは適当だったのかはわからない。ただ、外交の時間が国内政治よりも長いことだけははっきりしている。それは歴史の時間に近い。
〈了〉
参照文献
上杉忍、『パクス・アメリカーナの光と影』、講談社現代新書、1989年
ジョージ・ケナン、『アメリカ外交50年』、近藤晋他訳、岩波現代文庫、2000年
Global Scan
http://www.globescan.com/

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