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文法から聞く方言(2014)

文法から聞く方言
Saven Satow
May, 23, 2014

「>ふるさとの訛りなつかし停車場の人込みの中にそを聞きに行く」。
石川啄木

 『ゲゲゲの女房』以来NHKの連ドラが概して好調で、視聴者が各地の方言に親しむ機会が増えています。 登場人物の多くが方言を話していて、共通語話者の方が少数です。ただ、そのネイティブ・スピーカーから聞くと、指導されているとしても、発音や用法の点で適切ではないことも少なからずあるでしょう。

 岩手を舞台にした『あまちゃん』により「じぇじぇじぇじぇ」が流行しましたが、盛岡の南部方言を知っている人には違和感があったかもしれません。「じぇ」よりも「じゃ」に近く、南部方言は概して音に濁りがありませんので、「蛇口」の「じゃ」」くらいの音です。また、それは「まあまあ、どうぞどうぞ」といった意味で、「えー!」なら「じぇー」と伸ばします。こう思ったことでしょう。母語は差異に留意して体得されますから、ネイティブにとって違いが気になるのは当然なのです。

 その一方で、たいていの人は、方言に接しても、共通語との文法上の違いにはさほど気にしていません。それは、発音や語が異なるだけで、方言も共通語も同じ日本語だという意識があるからではないでしょう。母語は反復を通じて手続きとして身体化されます。文法はその言語の形式知です。母語話者は文法からトップダウンで言語を覚えることは、敬語を覗けば、あまりありません。けれども、共通語の文法から方言を聞く時、言語に関する認識が深まるのです。

 電波媒体の影響もあって、関西方言は全国的に他よりも流通しています。大阪方言で、「われ」が二人称、「てまえ」が一人称として使われることはよく知られています。これは共通語と用法が逆です。気に留めることはまずありませんが、共通語と文法上異なる例を二つ挙げましょう。

 妻が夫について他の人にこう言うことがあります。

 「うちのおとうちゃん、言うてはる」。

 敬語は三つの軸から使用が選択されます。それは内外・上下・親疎です。現代の共通語では、敬語は上下よりも内外が優先されます。社員は社長に敬語を用います。これが上下です。しかし、社員は社外の人に社長について語る際に敬語を使いません。社長は内の人だからです。内外が上下よりも優先されるのです。例文なら、いろいろな言い方がありますが、「宅が申しております」あたりが面白いでしょう。

 ところが、先の例文では妻が夫に敬語を用いています。内外よりも上下が優先されているのです。実は、昭和30年代までは共通語も同様の規則でしたが、その後、現在のものへと変わっています。大阪方言には古い用法が残っていると言えるでしょう。

 次の例文です。

 「そんなことあらへん」。

 共通語において「ある」の否定は「ない」です。「ある」とは別の語を用いて、「そんなことない」になります。ところが、この例文では「ある」を活用させ、「へん」をつけて否定にしています。英語の”is”を”isn’t”にして否定を表わすことを思い起こさせます。共通語とまったく違います。

 今度は先に触れた南部方言から例を挙げましょう。ある家を訪問して目当ての人物が在宅しているかを尋ねたとします。いる場合なら、「いだ」と家人は答えます。これは共通語の」いた」に相当しますから、共通語人であれば「いる」と応答するでしょう。共通語で「いた」はこういう状況において過去を表わすのに対し、南部方言は現在です。今まさにいるという英語の現在完了形のニュアンスがあるのです。

 興味深いのは外出している場合の答えです。それは「いだった」になります。共通語ですと、「さっきまでいた」というように、修飾語をつけるでしょう。ところが、南部方言では不要です。これには過去完了形のニュアンスがあります。言わば、共通語に対して時制が一つずつ後ろに下がっているのです。

 沖縄の言語は沖縄語なのか沖縄方言なのか見解が分かれています。それを除く日本語の方言区分にも諸説ありますが、最も一般的なのは東日本を東部方言、西日本を西部方言、九州を九州方言とする三区分です。東部方言において打消の助動詞として「ない」が使われます。一方、西部と九州では「ん」が使われるのです。

 他にも、文法から方言を考えてみると、非常に興味深いことに遭遇します。一例だけ挙げましょう。九州方言では「開ける」を「開くる」と言います。これは二段活用動詞があることを意味します。九州方言には古文の日本語が残っているのです。

 現代では人の移動や情報の伝達も分量・速度共に巨大化しています。方言が接触して新たな変化が急に生じますから、考え直さなければならないことも多々あります。「かっ飛ばせ」の「か」の接頭は東京、「ど真ん中」の「ど」は大阪の言葉ですが、今ではどちらも全国的に野球応援で使われています。新しく広まった用法を分析する際、共通語の現象に限定するのは不十分です。共通語だけが日本語ではないからです。

 母語話者は自分の原語を普段意識もせず使っています。暗黙の裡に使っている言語を改めて問い直す時、認識が深まります。特に、文法は母語話者にとって自身に対するメタ認知につながります。今は、かつてと違い、方言への抵抗感も少なくなっています。耳にする機会も増えています。他の方言との接触も、文法を意識すると、そうした契機によりなり得るのです。
〈了〉

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