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縦の物を横にもしない(2023)

縦の物を横にもしない
Saven Satow
Apr. 09, 2023

「人生を縦に見れば理想も希望もあり、これを横に見るとき、吾人は唯痛ましき精力消耗の戦いを見る」。
石川啄木

 「横の物を縦にもしない」より「縦の物を横にもしない」方がものぐさだろう。前者が少なくとも重力に抗うのに対して、後者にはそれがない。ところが、日本の印刷物の現状は関係者が縦の物を横にすることを面倒くさがっているように見受けられる。

 数式やアルファベットの多い科学や語学を別にすれば、新聞や雑誌、書籍などの日本の印刷物は縦書きが主流である。けれども、縦書きは横書きに比べて、一般的に、ロービジョンには読みにくい。

 ロービジョンは盲以外の視覚障がい者を指す。その見え方は非常に個性的である。ただ、自身の経験や研究成果から全般的に縦書きより横書きの方が読書効率はよい。例えば、弱視で下方視野欠損の緑内障患者が縦書きの文章を読むとしよう。補助器具で文字を拡大したとしても、下の文字が見えないので、読書効率が悪い。横書きであれば、こうした困難が軽減される。

 印刷物を除くと、今や日本語の文書は横書きが主流である。手書きのメモでさえ、もっぱら横書きだろう。

 新聞社や出版社が縦書きを続ける理由は、正直、慣れ以外にあまり見当たらない。ノーマルビジョンにとっての慣れによる読書効率の優先はロービジョンへの合理的な配慮に乏しい。

 縦書きが日本文化の伝統と言う意見は、中国の現状を見る限り、説得力に欠ける。日本語が文字で表記されるようになるはるか前から、中国では漢字が使用されている。それは、長年、縦書きで記されてきたが、現在は、『論語』を始めとする古典を除いて、横書きである。なお、『西遊記』などの白話文学は横書きの扱いだ。

 印刷物における縦書きの覇権は障がい者に対する配慮の希薄さを物語る。それはITの状況からも強調される。活版印刷が人類の文化に寄与した貢献は計り知れない。しかし、活字だからこそ、読書が困難である人も少なくない。視覚障がいや読書障害だけではない。眼球を自由に動かせない人や本のページを操作しにくい人も含まれる。彼らにとってデジタル技術のアクセシビリティ機能は読書の機会を大いに広げてくれるものだ。けれども、その可能性を制約する状況も見受けられる。

 政府の資料や学術の論文はしばしばPDFで公開されている。しかし、このファイル形式は読み上げソフトに十分に対応していない。また、新聞社のアプリにもピンチアウトや読み上げなどアクセシビリティ機能を利用できないものがある。一般的に言って、ブラウザの方がこの機能の使い勝手がよい。

 電子書籍は活字障がいに読書の機会を広げるものだ。コントラストの変更や文字の拡大、読み上げソフトへの対応の機能もある。けれども、レイアウトは活字書籍と同様の縦書きが多い。縦書きはユニバーサル・デザインとしての電子書籍の可能性を損なう。合理的な配慮を念頭に置いているなら、横書きのサイバー空間でわざわざ縦書きにするはずがない。商業出版社よりボランティアの青空文庫の方がロービジョンにははるかに読書効率が上である。

 縦書きの惰性は電子版の新聞記事にも見られる。新聞社の中には、記事内のアルファベットを全角で記しているところがある。読み上げソフトは全角アルファベットの単語をスペルとして読み上げる。短い英単語であれば、それでも推測できるが、長くなると、皆目見当がつかない。印刷用の縦書き原稿を横書きに設定変更をしただけで電子版に掲載している。しかも、パソコンや携帯端末に常駐している読み上げ機能がどう反応するかも確かめていない。

 新聞社や出版社は障がい者の置かれている現状と課題を伝え、多様性の重要性を説く。しかし、その記事が縦書きでは、説得力が弱くなる。ロービジョンへの合理性に基づく配慮に欠けるからだ。

 もちろん、すべてを横書きにすべきだというわけではない。中国の状況が示している通り、縦書きにする必要性がある内容のものはそのままでよい。問いただしているのはそうした十分な理由もないままに縦書きを続けていることだ。その継続にロービジョンから読書の機会を制限すること以上の公益性があるわけでもあるまい。

 縦の物を横にするのに重力に抗うことはないにしても、読者の反応が気になるところだろう。だが、そうした不安はロービジョンにとって横書きの方が概して読みやすいことが知られていない証左でもある。むしろ、変更自体が啓発につながる。縦の物を横にする障害はない。
〈了〉

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