ロービジョン

偽物が考えたこと

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芸術の秋、スポーツの秋、ですね。

運動会や文化祭の盛んな時期となりました。職場でも、諸々準備に取り組んでいるところです。

私たちは時折、会を進行するための「ナレーション」なるものを、行うことがあります。

決まった台詞を録音して流していく訳ですが、これがどうも、鳥肌を立たせています。

自分の声を録音したはずなのですが、流れてくるのは、思いもしなかった甘ったるくて甲高い声で。

自分でよ

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台風19号を受けて

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台風19号、福岡から進路がズレたと分かっても、途端に関東のお友達が心配に。

TVをみた家族が、「関東はこうらしいぞ、大丈夫か」と私に伝えてくるのも、初めて。

今日は気象庁会見のニュースをみながら、

「おい、手話通訳が隣にいるのに、画面から切れてる。いいのか。」と。
(NHK、TBS、日本テレビでの放送に手話通訳付与 https://www.jfd.or.jp/2019/10/11/pi

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共通の先生

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ロービジョン者となったトモは、節目のたびに、眼科に通います。

求めているのは「治療」ではなく、自分を信じなおして、また次の目標に向かうこと。

トモとパートナーとして歩み出して

一番驚いて、一番嬉しかった出来事は、

「トモの主治医から講義を受けていた」と知ったとき。

東京生まれのトモが藁をもすがり、よく分かんなくなった見え方のまま、福岡まで出てきて出会った眼科医。

「俺こんな遠くま

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世界選手権へ、ロービジョンフットサル

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日本で「ロービジョンフットサル(LVF)」と呼ばれているパラスポーツ種目と、その日本代表チームについて、お話したいと思います。

私自身、2016年にご縁をいただき「ロービジョンフットサル」チームに引き入れてもらいました。あのときお声がかからなければ、ロービジョン(所謂、見えにくさ)について、今程熱量をもって学ぶことはなかったと思います。 齋藤監督に、感謝しています。

目のことについては、

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生活を整理して「違い」を知る

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トモがロービジョン者ということは、外見で分かりにくいとは思いますが

生活の中で、「見えにくい人」なんだということを思い出す仕草・振る舞いはあります。

トモは出会ったロービジョン者の中でも、見えてないんだなと感じることが多く、

トモの仕草・振る舞いが、ロービジョン者の大半に当てはまることはないと思いますが、

「違い」を知るには、生活について整理するのも良いのかなと思いました。

さて、

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サポートの量と質を高める

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「白杖もたないの?」

「もたない。」

4年続いたこの会話、先日変化しました。

さて、発症率の極めて稀な「レーベル病」ですが、出会った発症者の数も、気づけば二桁になりました。

共通しているのは、10代〜20代で発症しているということ(私の経験の話で、この年代に限りません)。

この時期には、その人に起きた「悲劇」など何も待ってくれることなく、人生における節目が迫ってきます。

トモは、

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見えるようになったらなあ

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「見えるようになったらなあ」と思わないわけではない。

さて、私の実家は田舎なこともあって、ちょこちょこお家にお客さんが来てました。

かべちょろやら、コウモリやら(めっちゃヤダ)、すずめやら。。。

そういうときは決まって父が外へ連れ出してくれてました。
(お父さんありがとう)

実家を離れて一年目。

夜蒸し暑くて、窓を開けてしまったのがまずかった。

小さい厄介者が割と大勢いら

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「見惚れる」経験

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4年前の中秋の名月は、今でも覚えてる。

勤務先からの帰る途中に、いつもよりずっと地平線に近くて、馬鹿でかい満月が見えた。

茹でて濃くなったピカピカのとうもろこしみたいな色で(伝わるだろうか、、、)

思わず立ち止まって写真を撮る人が多かった。

「見惚れる」って、素敵な経験。

さて、ちょうどその頃「見えにくい人の見え方」を想像することが、自分の中でのブームになっていた。
(ロービジョン

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一律から多様へ

「茅乃舎だし」シリーズご存知でしょうか。福岡育ちということもあり、すごく好きで。焼きあご、野菜、昆布、極み、鳥、、、いいですよね(笑)

福岡へ帰る際は、東京駅の茅乃舎に寄ったりもします。色んな種類のだし(その他も)が、ずらーっと並んでいて、人におすすめはしたいけど、「どんな味?」と聞かれると説明しづらい。

「百聞は一見しかず」といいますが、そういうとき、試飲・試食があると助かりますよね。少量で

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情報や刺激のない世界?

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「情報の約8割以上は、視覚から得られている」と、よくいわれますよね。

数年前、急激な視力低下が生じた時、私のよく知るロービジョン者は、今まで得られていたはずの情報とか刺激を、掻っ攫われたような気持ちにいたんだろうなあと。

ただ、視覚のほとんどを失った彼が今でも、「情報とか刺激のほとんどない世界に生きている」と表現してしまうのは、妥当?

少なくとも彼の生活を内からみるようになって、彼が

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