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世論調査が語る3・11のメディア(2016)

世論調査が語る3・11のメディア
Saven Satow
Jan. 20, 2016

「ジャーナリズムの状況は危機的である。何よりもいちばん大事な、権力に刃向かっていく基本的な姿勢が失われている。それよりも反対に、権力に迎合して、それによって自分を肥やしていこうというように見える。会社も個人も、同じように、やせたソクラテスよりも、太った豚に成り下がろうとしている。しかも、そのことに自分では気がつかない」。
黒田清『未来のジャーナリストたちへ』

 近代を理論的に基礎づけた社会契約論は社会から委任されて政府が統治を行っていると説く。しかし、政府が社会ではなく、自分の利益のために活動しているかもしれない。それを監視するのがジャーナリズムである。

 現在、メディアに対して本来の役割を果たしているのかと社会は不信感を抱いている。政府と癒着し、その宣伝機関となり下がっているのではないかとの疑いは高まることがあっても低くなることはない。

 今のメディアのありようを考える際に、3・11において各メディアがいかなる振る舞いを示したのかは参考になる。当時、報道機関の活動に対する多くの世論調査が実施されている。それを確かめるなら、未曽有の大災害における行動への反省が今にどのように生かされたのか、あるいは生かさなかったのかを知ることができる。

 3・11の際に、地方のメディアが目覚ましい活躍をしたことは社会の記憶に残っている。それは被災地だけの現象ではない。2011年10月18日付『毎日新聞』の「新聞週間特集 提携地方紙の震災報道」はそうした活動を紹介している。

 『徳島新聞』は東南海・南海地震が予想される地域で購読されている。東日本大震災の被害の実態と今後の防災の課題などを取り上げた「検証 徳島3・11」を連載している。

 また、『長崎新聞』は被爆地ナガサキの県紙である。福島の被曝医療に同行取材し、断続的に特集記事を掲載している。さらに、核兵器反対運動と核兵器の平和利用の間の矛盾を問い直している。

 被災地でなくとも、地方紙は3・11を自分たちとの接点を見出して伝えている。この地に住む人々にとっての3・11をテーマにして報道に取り組んでいる。

 ここで、関東地方在住の人々を対象にした3・11とメディアをめぐる世論調査を紹介しよう。博報堂DYメディアパートナーズとNHK、野村総合研究所は、2011年3月末、関東地方でそれぞれネット調査を行っている。同年6月2日付『朝日新聞』は、関東地方の人々がメディアを使い分けていると解説する。直後はテレビ、情報整理には新聞という傾向を示している。

 博報堂調査(700人)では、震災直後のメディア接触は地上波NHKテレビ32%、地上波民放テレビ22%、ポータルサイト11%、ワンセグ8%である。また、震災後に接する頻度・時間が増えたメディアはNHKテレビ77%、民放テレビ48%、新聞34%、ポータルサイト27%、ラジオ31%である。

 さらに、役立つ情報に関しては項目によって回答が異なる。「知人などの安否の情報を知る」はNHKテレビ37%、新聞22%、民放テレビ22%、家族や知り合いとの会話・口コミ20%である。一方、「生活物資に関する情報を知る」はNHKテレビ54%、民放テレビ54%、新聞30%、口コミ等が24%である。

 NHK調査(3300人)はメディアの信頼度の変化に着目している。「上がった」のはNHK総合32%、ポータルサイト16%、新聞8%である。逆に、「下がった」のはフジテレビ26%、日本テレビ12%である。

 野村総研調査(3200人)によると、震災報道で信頼度が上がった組織・メディアの情報はNHK29%、ポータルサイト18%、ソーシャルメディア13%、新聞3%である。他方、下がったのは政府・自治体29%、民放14%、ソーシャルメディア9%である。また、震災から1ヵ月後の追跡調査では、「今後利用したいメディア」はNHKテレビ30%、ポータルサイト16%、新聞13%である。

 この他に、震災からほぼ1年後、日本新聞協会は、12年3月9日、「2011年全国メディア接触・評価調査」の結果を発表している。東日本大震災後の新聞の印象や評価で全国平均は以下の通りである。「地域に密着している」が65.2%、「情報が正確と感じた」が54.7%、「役割を再認識した」が49.3%である。東北地区に限れば、それぞれ約10ポイントずつ高い。 なお、調査は11年11~12月に全国7000人を対象に行い、回答率は58.5%である。

 以上のアンケート調査は、すべてのメディアの中でNHKへの信頼感が高いことがわかる。他方、民放、特にフジテレビと日本テレビには失望した傾向が見て取れる。普段はともかく、民放はいざという時にあまり期待できないというわけだ。

 ラジオは災害に強いとされる。ただ、この調査は主な被災地が対象ではないので、従来の評価が変わったとは言えない。また、3・11はネットが体験した初めての日本の大災害である。阪神・淡路大震災の時にはまだネットが社会的に普及していない。この調査だけでは何とも言えない。

 民放と並んで、新聞への評価・信頼は全般的に低い。例外的なのは新聞協会の調査である。しかし、対象者の範囲が違うように、これには注意が要る。

 日本の新聞は地域紙・地方紙・ブロック紙・全国紙に分かれる。地域紙は主に基礎自治体の住民を読者層にしている。地方紙はいわゆる県紙である。ブロック紙は地方中核都市を拠点に発行され、複数の県に亘って販売されている。『北海道新聞』や『河北新報』、『中日新聞』などがそれに当たる。

 気をつけねばならないのは全国紙である。これは日本全国を販売網とするから、そう呼ばれている。しかし、主要読者は東京圏や大阪圏の住民である。これらの大都市以外では併読が中心だ。実際、全国紙の紙面編集は東西日本で異なり、東京と大阪の違いを念頭に置いている。全国紙は、正確に言えば、大都市紙である。

 関東地方の住民を対象にした調査の際、東京圏の場合、新聞と言えば、地方紙ではなく、全国紙を指す可能性がある。逆に、地方在住であれば、県紙やブロック紙のことである。

 主な被災地である東北地方にとって新聞は地域紙や地方紙、ブロック紙である。全国紙ではない。それらは日頃から地域に根差して活動している。関東対象と協会のデータからは地元に密着した新聞が見直されたことを示している。全国紙ではなく、地方紙が新聞の株を大いに上げたというわけだ。

 この調査とは別に、全国紙にも、非常に高く評価されている記事もある。その代表が『朝日新聞』の「プロメテウスの罠」である。これは2011年10月から連載が始まったフクシマの検証記事である。官邸や官僚、東電、政治家、専門家、住民などへの取材を通して、フクシマの原因に迫っている。国内に広く人的ネットワークを持つ全国紙の強みが生かされている。

 全国紙は、主要読者のニーズを意識しても、特定地域と密着してはいない。そのため、相対的な見方を提示できる。各地域には暗黙の前提があり、住民はそれに無自覚である。全国紙の機能はその特殊性を住民に知らしめることではない。権力監視を相対的な目で行うのが全国紙の役割だ。ある話題が特定地域のみホットに議論されているとしよう。他は無関心であり、それは、権力にとって監視が緩まっていることだから、都合がいい。こうした事態を告発することが全国紙の役目である。

 実は、新聞に関しては非常に厳しい調査結果がある。それはフクシマをめぐる報道である。11年11月26日、新聞通信調査会は11年8~9月に実施した「第4回メディアに関する全国世論調査」の結果を公表している。

 それによると、フクシマに関連する新聞報道について、「評価できる」「どちらかといえば評価できる」を合わせた割合は以下の通りである。「電力事情やエネルギー政策」が34.6%、「政府・行政の震災への取り組み」は36.1%、「放射能の拡散状況」38.9%、「原発事故の状況」48.2%である。それ以外の3・11に関する項目の「被災地の状況」の75.8%や「被災者の安否情報」の63.2%等と比べて、明らかに低い。

 世論は、フクシマ関連に関して新聞が社会のために報道していないと不信感を抱いている。それは本来の役割である権力の監視を果たしていないという評価だ。原発政策は政官財学報の癒着を伴いつつ進んできたのであり、フクシマはその悲劇的帰結である。新聞がこの件で権力監視を怠ったことにも責任がある。自己批判をこめて社会のために姿勢を改めねばならぬ。ところが、この期に及んでもなお変わらない。世論は新聞に幻滅している。

 世論調査を総合して考えると、メディアに対する評価のポイントは社会に向いているか否かである。自らの存在意義を社会に認め、その利益のために活動するメディアを世論は評価する。他方、存立根拠を社会に見出していないメディアは何が求められているのか見当もつかないので、ずれた行動をとり、世論を失望させる。つねに社会の利益を考えていなければ、いざという時にも何をなすべきかを見つけられない。世論は彼らに厳しい目を向ける。

 新聞は、公共の利益に反しない限り、党派性を示すことができる。地方紙は地元に根差している。何のための党派性なのかを分かっている。彼らには社会の顔が見えている。

 けれども、全国紙や民放は部数や視聴率など数字に敏感であるが、社会の顔が見えていない。彼らはいつもの取材相手である永田町や霞が関などの顔色を窺っているから、そちらの方に姿勢が近くなっていく。社会のために権力を監視する本来の使命がおろそかになり、政府の方を向いて仕事をしてしまう。

 NHKは、戦前、自前の取材記者を持っていない。新聞から発表済みの記事を読んだり、軍部をはじめ政府からの情報を垂れ流したりしている。報道機関の本来の役割を果たしていない。戦後、その反省から取材記者を持ち、現場主義をとっていく。経営陣はともかく、公共放送として社会に根を下ろした活動が現場で浸透する。災害時の報道がよいのはそのためだ。

 興味深いことに、NHKを除き、3・11の際に信頼の低いメディアほど安倍晋三政権に近い。フジテレビや日本テレビ、全国紙などがそうである。いざという時に失望させられるメディアが今や威勢がいい。しかも、3・11をめぐる評価を反省したと言い難い。2012年に脱原発を訴える民衆行動に全国紙や民放は無視するか、冷ややかに触れただけだ。

 反省しないのは自分たちの存立基盤が社会だと依然として認知できていないからだ。立ち位置が誤っていたと認めない限り、反省しない。だから、向上もしない。しかし、権力を監視しないメディアは用なしである。政府自らが広報すればすむのだから、存在する意味がない。

 信頼の高かったNHKに、安倍政権が人事介入して経営委員会を変更した理由は明らかである。社会ではなく、政府に従属させるためだ。今や評価の低かったメディアと同一歩調をとっている。しかっし、NHKは受信料収入が経営の基盤だ。社会の方を向いていないから、いざという時に役立たないメディアに社会は毛根を支払う意義がない。

 安保法制に対する反対運動のうねりにも同様の姿勢である。低評価メディアがこぞって政府を支持し、民衆の声を無視している。一方で、地方紙やブロック紙など地元密着型のメディアは政権の方針に異を唱えている。3・11の際に幻滅させられたメディアと見直したものがきれいに分かれて対応している。

 沖縄の基地問題でも低評価メディアは政府礼賛、民衆無視の態度をとる。反対運動に対して、政府は公民権運動の際の暴力を思い起こさせることまでしている。ところが、低評価メディアはそれを諭すことさえ言わない。

 3・11は多くの人命を奪い、住民避難を余儀なくし、家や財産を奪い、コミュニティを揺るがした未曽有鵜の大災害だ。なのに、その際に、みっともなく、醜く、役に立たず、無責任に振る舞ったメディアが今もそのままでいる。これほどの犠牲や被害から自己批判を真摯にしない。傍若無人な政権と一緒になってドヤ顔をしている。

 近代において社会が委任して政府は統治を行っている。政府が社会の利益のために活動しているかを監視するのがメディアの役割である。一口で言うと、社会の中のメディアだ。これを実践しないメディアは社会から去らねばならない。
〈了〉
参照文献
黒田清編、『未来のジャーナリストたちへ』、マガジンハウス、1994年

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