普通って何だっけ?

"Eddie följer med till jobbet" af Tess Natanaelsson, illustrationer af Sarah Vegna, IDUS förlag 2016 「エディ、お仕事についていく」テス・ナタネルソン作、サラ・ヴェグナ絵 絵本 スウェーデン

日本では少し前に、子どもを職場に連れていくことの是非についてツイッターなどで議論があったけれど、私の知る限り、北欧では子どもを職場に連れて行くことはよくあることだ。もちろん、子どもたちは保育園、幼稚園や学校など、毎日行くところがあるのは前提だが、それでも、様々な事情により親が子どもを職場に連れて行かざるを得ない場合がある。私たち夫婦もそうやってきたし、お互いの職場でもそういう場面をよく見てきた。ということは、そういったシチュエーションを前提にした絵本があるのも当然というわけだ。

今日、エディはパパのお仕事についていくことになった。でもエディは全然楽しみではない。お仕事についていくのはつまらない。退屈だし、パパはお仕事の紙ばかり眺めて一緒に遊んでくれない。でもパパが積木を持ってきてくれたので、それで高い塔を作ったり、バーンとこわしてみたり、そしてパパのお仕事を少し手伝ったり。そうしているうちに、パパがそろそろ帰ろうかと言い出したのだけど、エディはまだ遊びの途中で帰れない(典型的ですね)。最後に2人は一緒に積木で楽しく遊ぶ。

この絵本でまずおもしろい、と思ったのは、全てがエディの視点で描かれているところ。特にパパが真剣に読んでいるものは、白い紙に"BLA BLA BLA BLA BLA"(なんとかかんとか、の意味)と書いてあるだけ。パパにとってはどれほど重要な仕事の資料でも、子どもには所詮「なんとかかんとか」でしかない!そりゃそうだ。そんな紙を重要そうにずっと眺めているパパ。なぜそんなに真剣なのか、全然伝わってこない感じが良い。そしてその横で、椅子に座ってぐるぐる回ったり、寝ころんだり、でんぐり返りをしてみたり、はたまた積木を部屋中にばらまいてみたり。とにかく自分のペースで過ごすエディ。来たくて一緒に来たわけじゃないのだけれど、そうこうしているうちに、なんとなく面白い遊びにはまっていく。そんな様子が子どもの視点で描かれている。職場に子どもを連れて行く、というのはその表現からして大人の視点で語られることが多いけれど、連れていかれる側の子どもの気持ちや、その時の様子が子どもの視点から描かれているのは読む側の大人にとってはとても新鮮だし、本を読んでもらう子どもにも共感できるのではないかなと思う。逆に親の方は、その日どうしてもしなくてはならない仕事を最速のスピードで片付けて、一分でも早く子どものために早く帰ろうと必死になる。エディの父親のそんな様子も読み手に共感を与えているのだけれど、それが子どものペースに合っているかというと意外とそうでもなかったりする。

もうひとつ、この本がすごいなと思ったのは、パパのイラスト。スウェーデンの絵本と考えて、エディのパパがどんな人か想像できますか?答えはこちら。

少し長い髪の男の子の後ろに座っている、ピンクの服をきている人がエディのパパ。肌の色が浅黒く、長髪を後ろで束ねています。エディとは肌の色も少し違う。見た目が親子で違うこと、多様な人種がいること、服装や髪形が多様であることをさりげなく描いているところが驚きでもあり、また自分の中のステレオタイプが試されているなと感じる部分でもあります。色々な「普通」にチャレンジしてくるこの作品。とても短い絵本だけれど、読み手をうならせる絵本でもあります。


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