19. 児童文学に灯りを求めてやってくる人々
コペンハーゲンにある児童書専門店で働いている。0歳児向けの厚紙絵本から16歳ぐらいまでが対象のYA(ヤングアダルト)まで、児童書というカテゴリーを幅広く扱っているお店。50年以上前からこの街の中心地にあり、人々は「ここならきっと、自分の探している本があるはず」と信頼と期待を寄せてやってくる、そんな店だ。
「昔は自分の子どもたちに本を買いに来ていたけれど、今度は孫が生まれたからまた来ましたよ」
そう言って嬉しそうにプレゼント用の本を購入する人もいる。2世代、3世代で来店する人もおり、誕生日、クリスマス、洗礼式のプレゼントなど、さまざまなお祝いの機会に本を贈ろうと人々は来店する。
この児童書専門店で働き始めててまる2年が経った。この国の決して安くはない子どもの本を、図書館で借りるのではなくわざわざ買いに来るのはどんな理由なんだろう。はじめの頃はそう思っていた。
店頭に立ち、「なにかご入用ですか」と声をかけると、たいていそこから「そうね、実は…」と会話が始まる。
お姉ちゃんになったから
特別な理由なくただ新しい絵本を求めて来店する人もいるが、ここへやってくる人の多くは、自分だけの理由がある。
たとえばそれは、新しいいのちが誕生したとき。
「姪っ子がお姉ちゃんになったんです。妹が生まれてね。お姉ちゃんになる っていうテーマの絵本はありますか。姪にプレゼントしたくて」
そう言ってやってくる人がいる。"姪っ子" が娘や息子だったり、お孫さんだったり、あるいはお友だちのお子さんなんてこともある。赤ちゃんが生まれると人々はその新しいいのちに心がいっぱいになるけれど、その数年前に生まれた別の小さないのちにも心を寄せ、その子のために絵本贈ろうとする人がいる。そんな心遣いが嬉しい。
もう会えない人への想い
誕生だけではなく、喪失と向き合うきっかけを求めて来店する人もいる。
「あの、人が……亡くなったときに読める絵本はありますか」
ある日そう尋ねた女性に、同僚とわたしは祖父母を亡くした子どもが主人公の絵本を手渡した。女性は数冊の絵本をぱらぱらとめくりながら、しばらくしてこう言った。
「夫が…、亡くなったんです。突然。ついこのあいだまで元気だったんだけど。それで…、あの、子どもたちと、どう向き合ったら良いのかわからなくて」
同僚がはっとして、ある絵本を取り出す。大好きだった人を亡くした女の子が悲しみや喪失を感じないようにと、自分の心をガラスのボトルに入れてしまう物語だ。
ページを一枚ずつめくりながら、物語について少し話してみる。最後まで見終わると女性は、
「あぁ、まさに今、こんな感じなんです。わたしも子どもたちも悲しくて、でもその気持ちをお互い言葉にできないまま、毎日が過ぎていってしまって…」
と言って「この本をお願いします」と本を差し出した。支払いを済ませると大切そうに絵本を抱え、ありがとうと言って店を後にした。
家族の様々なあり方を言葉にしたい
デンマークには37種類の家族のかたちがあると言われている。37種類というのは統計局が発表しているものだ。世界で最初に同性パートナーシップ制度が導入されたデンマーク。現代ではパパ2人、ママ2人でお子さんを連れて来店する人もいれば、「パパはいなくて、もともとシングルで育ててるんです」と、そんな家庭が描かれたお話を求めてくる人もいる。
公共図書館は多様な家族のかたちを描いた絵本をよく特集しているし、わたしの働くお店にも、もちろんさまざまな家族の姿を描いた本がある。豊富なイラストで多様な家族のあり方を説明している本もあれば、パパが2人、あるいはママが2人、ひとり親家庭、主人公の子どもがドナーチャイルド、といった設定で語られる物語もある。(リンク ↓は公共図書館の「児童文学における多様な家族」特集)
ドレスが着たくて
「息子が『ぼくはドレスが着たい』って言ったのを夫がだめだって厳しく言って、今朝ちょっともめてしまって」
そう言ってやってきたある女性。「アナと雪の女王」のブーム以来、アナ雪が大好きな男の子や、きれいなドレスを着た息子さんを連れて来店する人もいる。
この女性はデンマーク人(白人)で、パートナーの男性は肌の色が濃いのだと言う。そう聞いてもピンとこなかったわたしと同僚の様子を見て、女性は、パートナーの男性はただでさえ息子が差別されることを心配していているから、息子が女の子のような服装をすれば、余計に揶揄われるのではと恐れているのだと話した。
ジェンダー、セクシュアリティ、人種、差別。重いテーマだ。
でも子どもは、大人が思っているような視点で物事をとらえているのだろうか。〈ただ素敵な格好をしたい〉、そう思っているだけかもしれない。もしそうなら、そんな気持ちをそっと後押しできないだろうか。
同僚は『ジュリアンはマーメイド』を女性に差し出した。マーメイドが大好きな少年ジュリアンが、おしゃれなマーメイド姿の女性たちに見とれて、おばあちゃんに「ぼく、マーメイドなんだ」と打ちあける。おばあちゃんがジュリアンを素敵なパレードへと連れ出してくれる物語だ。
わたしももう一冊、デンマークの絵本を手渡した。子どもたちが仮装するデンマークの伝統行事〈ファステラウン〉で、ある男の子が美しい孔雀になる物語を。
女性は、息子が自分のことだと感じられるかもと『ジュリアンはマーメイド』を購入していった。
デンマーク語が話せるようになるために
子どもの本を求めてやってくる人の中には、外国で暮らしているが一時帰国でデンマークに戻ってくるもいる。アメリカ、イギリス、フランス、遠くはオーストラリアなどで生活している人々が、夏のバケーションやクリスマスなどで帰省した折、店に立ち寄る。親のどちらかがデンマーク語を母語としており、子どもとデンマーク語で本を読みたい、デンマーク語を学んでほしいという思いがあるのだろう。
そんな人たちには、できるだけデンマーク作家の作品を手渡すようにしている。デンマーク語で書かれた作品からは、この土地の空気感、社会、文化がにじみ出ているから。言葉だけでなく、作品からもデンマークを感じ取ってもらえる気がするから。
新しくデンマークへ引越してきたという人もやってくる。それもさまざまな事情から。ロシアのウクライナ侵攻によりそれまで暮らしていた土地を離れ、デンマークへ引越してきた人たちが、子どもたちに読みたいと何冊も本を買っていった。
デンマーク語を話すパパさんが、これから始まる新しい生活で、デンマークの子どもたちが読んでいる本を自分の子どもたちに伝えたいと言っていたのが印象的だった。
昔の記憶を求めて
「もう随分昔の本なんだけど」そう言って古い絵本や児童書のタイトルを挙げる人がいる。残念ながらその本はもう何年も前に絶版になっていますと伝えると、「わかってはいたんだけど、この店ならもしかしてあるかもと思って」。少しがっかりした表情を見せながら、かれらはそう言って微笑む。
古くても絶版にならず、長く読み継がれている本もある。そんな作品を嬉しそうに買っていく人たちは、子どもの頃の、あるいは自分が子どもに読み聞かせた頃の温かな記憶を求めているのかもしれない。
「息子に買うんです」
ある女性が一冊の絵本を差し出した。
「18歳の息子に…。このところずっと塞ぎ込んでいて辛そうで…。幼い頃一緒に読んだ本をまた読み直したら、小さかった頃の楽しい気持ちをまた思い出してくれるかなと思って」
孫に素敵な動物図鑑を買ってあげたくて!と嬉しそうにやってきた別の女性は、プレゼント包装をしているわたしと横にいた同僚に突然話し始める。
「私、72歳なんだけど、若い頃はさ、将来はもっと暮らしやすくなって、仕事も機械化されて楽になるだろうって、そう言ってたんだけどねぇ。今はストレスで休職したり、心の病になる人が多い時代で。なぜそうなったの?と思ってしまう。
息子には、楽しい子ども時代を過ごせるようにって、精一杯子育てしたわよ。唯一ここだけは譲れないと思って教えたのはレイシズムはダメってこと。それ以外は自由に育てました。今は歴史学の博士になったの。子どももいてね。でも心の病で休んでいて。楽しいことなんか何もないよって息子は言うの…」
人々は、子どもの本に不思議なちからが宿っていると感じるのだろうか。対話の機会を求めて、さまざまな出来事と向き合うために、あるいは昔の思い出と出合い直すために。心に明かりを灯してくれるそんな子どもの本を求めて、今日も人々は児童書専門店にやってくる。
写真はここから拝借しました(実際のお店の写真ではありません)。
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