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結果的にめっちゃいいひと

私の父は、4年前の9月に亡くなった。4年も経つなんて信じられない気持ちがする。父の生前、父母はなんだかんだと小さく喧嘩しながらも仲良く暮らしていたし、周囲には「たいへん仲の良い夫婦」という評価を得ていた。

しかも晩年1年半ほどは、母は自宅介護となった父を介護士さんや理学療法士さん、お医者さんと共に支えきり、家がどこよりも好きだった父は本当に穏やかになり、今までよりもさらに夫婦仲良く過ごしていたようだった。だから父が亡くなった後の母はこちらが本当に心配するぐらい落ち込んだし、無気力に陥りもしていて、ううむ、これはいつか復活してくるのだろうか・・・・と内心やきもきしていた。

最近ようやく母は喪に服する期間から少しずつ抜け出して、友達と会う時間や、シルバーとして働く日々を満喫しだしている。とりあえず一安心である。

さて、父の話をしたい。

父と私は、見た目も中身も似ているように思う。概ね大して父らしい束縛や父権の表示もされないまま伸び伸び育ててもらったが、それでも似ていることがとても嫌で、「ああはなるまい」と思いながら生きてきた。どういうところが似たくないかというと、我儘で気分屋で自己中心的な部分だ。幼少、思春期、大人になってからも「ああはなるまい」と肝に銘じていた。

ところがである。

私は着実に父に似てきている気がする。避けようもないことなのだろうか。どうせ似るなら、良いところを少しでも取り入れたいものだ。不思議なもので父が亡くなって4年経ち、父の良い部分がくっきりと浮かび上がってきた。母もそうなのだが、父の生前は文句ばかり言っていたのに、いまや父は「めっちゃいいひと」なのである。

父はその世代には珍しく、意外に男尊女卑ということをしなかった。年齢による蔑視もしない人であった。なんなら母の方が口が悪かったし、汚いことを冗談で話していてもどことなく品は保っていた記憶がある。常に好奇心が旺盛で、自分に興味のある分野に関しては勉強熱心だったし、自分より年若な人にも衒いなく教えを乞うていた。人と集まるのが大好きで、場を盛り上げるのも得意な人だった。読書・将棋・旅行が趣味で、大変博識だったが、それでも他人の意見や体験を常に楽しそうに聞いていた。

くしくも、父の命日は、私の子の誕生日だった。
忘れようにも一生忘れられない日になったのであるが、子はこのことを大変特別なこととして捉えているようである。父のようにはなりたくないと思って生きてきた私は今、子に「父のように生きて行って欲しい」と思っている。

今日食べたもの:
昨日の残りの鶏肉と大根の炊いたん、食パン


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