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サイババ体験談⑦


その頃、空港ロビーではまたちょっとした騒ぎが起こっていたと後で聞きました。

聞いたところによると、同じツアーの参加者の別の女性が錯乱して騒いだあと、空港のトイレに閉じこもったところを力づくで引っ張りだされたりしていたそうです。

私も「おかしくなった人」だったので、飛行機の機内ではその彼女とまとめて近くに座らされました。

飛行機の中では通路に挟まれた中央の席の、4つ並んだ左端に座らされました。
私の右には世話する係りの人が、その右には空港のトイレから連れ出された錯乱した女性が、そしてその隣の右端の席には世話係がもう一人座りました。

このように、わたしを含めたおかしくなった人たちと2人の世話係が交互に並んで横一列に座りました。

錯乱した女性はずっと何かをつぶやいていたり、時には大きな声を上げたりしていました。


私が席に着くと、少し離れた席に座っていた母はどこからか毛布をたくさん集めてきて、座った私の膝の上にたたんだままで10枚以上もうずたかく積み上げました。
暖かくしてやろうと思ったのかもしれません。

私は席について、さあ、この状態をどうしたものか、と、目をつぶって考えていました。

飛行機は日本に向かって飛び立ちましたが、わたしのその状態は日本でもとの生活に戻れるようなものではなかったからです。
そして、私のその開ききった状態から通常の個人として機能する状態へと自然に戻る様子はまったくありませんでした。

私は日本帰国後にすでに予定を入れてあった寿司屋のアルバイトのことなどをなんとなく思いました。
こんな状態じゃあ、アルバイトは、出来ないなあ、、、と。

そして、どうにもならないと知りながらもどうすべきかとずっと考えていました。

じきに機内食が配られました。
肉体は限界を超えていて、のどはすごく渇いていたはずでしたが、機内食を見てもその食事を飲み食いするという行為の外に私はいたため、私は無意味にそれを眺めることしか出来ませんでした。

食べるとか飲むとかいう発想が全く湧きませんでした。
私はそれらの行為と全く無関係でした。


気がつくと、呼吸もしていないようでした。

それに気づいた私は、呼吸をしないとまずいだろう、と思ったので、意識的に吸ったり吐いたりして、体内に空気を出し入れしてみました。
しかし「今後どうすべきか」という考えに気をとられると、また、呼吸は止まっていました。

多分、そういう時は呼吸は必要ないんだろうと思います。
あるいは、今思うと、止まっているかのように遅い呼吸になっていたのかもしれません。


飛行機に乗り込んで、目の前の食事と自分との関連性も見出せず、呼吸も止まったようになっていた私は、さらに自分の状態を確かめてみようとしました。

空港で、思った瞬間に手から花のにおいがしてきたことから、思考が瞬時に現実化する状態にあるみたいだとは薄々気づいていたので、何か見ようと思えば何でも見れるんだろうと思い、いくつか試してみました。

とはいっても、特に見たいものややりたいこともなかったのですが、自分の状態を確認するために、何か見てみようとあえて考え出した感じでした。

漠然と、ミクロの世界、と思うと、それが一体何なのかはよくわかりませんでしたが、目の前の機内の暗がりの中に、機内の風景と2重映しのように、顕微鏡で植物の細胞を見たときのような画像が浮かび上がり、極微の世界における営みが動く画像として目の前に繰り広げられました。

さらに小さな世界を思えばズームアップできたでしょうし、具体的に、見る対象をもっと限定して思えばそれに従ったものが現れたはずだと思いますが、そのときの自分はとくに見たいものもしたいこともなかったので、それ以上は突き詰めず、単に「ミクロの世界」という思考によって現れたその画像を見てもう満足しました。

次に、ミクロとくればマクロだろう、と思い、もっと引いた映像を見ようと思いました。

すると、白い雲がかかった青くかがやく地球が暗黒の宇宙空間に浮かんで目の前に現れました。


全ては、見ようと思うその思いが形作られるやいなや一秒も間をあけずに現れるので、思考の出現とそれによるそれらの映像の出現はほとんど同時でした。

しかしこの時は奇妙なことに、その地球は見ている間に溶けたチーズのようにやわらかくなり、左右に伸びて2つの地球に分裂しました。

それと同時に巨大な網のようなもので、人々がふるいにかけられている映像が浮かびました。
網の目を通って下にばらばらと落ちていく人たちは2つに分かれたうちの右の地球に住むことになり、網の目から落ちずに留まった人々は左の地球に住むことになるようでした。

私は、自分の友人知人たちはこれらの人々の中でどこにいるのだろう、と、その映像の中に探してみました。私の知人たちのうち、1人だけ、網から落ちてしまったのが見えました。
その人以外は網の上に残り、左の地球の住人になるようでした。

私は、次は未来の世界も見てみよう、と思いました。

これもまた漠然と「未来」と思っただけで、どのくらい未来かなどの詳細は限定しませんでした。

私が「未来」と思うと、飛行機の座席に座りながらも別の私が座っている私の中から歩き出して、時空のトンネルのような暗い通路を通り抜けました。

その通路を通り抜けている時は、壁が床になったり、一瞬前に天井だったところを次の瞬間には歩いていたりと、上下左右が定まっていませんでした。

しかしとにかくその通路をもう一人の私は歩いて通り抜け、通路を抜けた先に出ました。

そこには光にあふれた明るい光景が広がっていました。


「未来」と思ったとき、私はかすかに、高層の建物が林立する未来都市をイメージしていたのですが、時空の通路を抜けて私がたどりついた未来で目にしたものは、意外にも、やわらかな起伏のある、みずみずしい緑の草の広がる草原でした。

草原の中には木立のあるところもありました。
素朴な石造りの、壁はなく、柱だけで天井が支えられている、戸外の空気が自由に出入りできる風通しのいい建物が点在していました。  

人々は昔のギリシャ神話に出てくる神々のような、白い、ゆったりとした布の服を一枚身にまとい、おだやかにくつろいでいました。

暑くもなく、寒くもなく、心地よい光に満ちたこの世界には、電化製品や高層ビルのような無機質な人工物は見当たらず、そのあまりにもシンプルで自然な光景は、少なくとも私には予想外でした。


このように、機内の座席に座って機内の情景を肉眼で見ている私が存在するのと同時に、無数の別の私が座っている私から現れ出て、それぞれに行きたい場所に行って、それぞれが個別に体験を得ていました。

そしてそれらの分身とその体験の数々はすべて機内に座っている私に帰属していて、私から出て行き、私に戻ってきていました。


すごい状態だな、と、座席に座った本体の私は半ばあきれてその自分の状態を客観視していました。

座席に座っていると同時にいくつもの私がいろんなところに行って、いろんな体験をしていました。
すべてを同時に感じられ、同時に見ることができました。

でも、私は単にそこに座っていたのです。

ずっと何年も後で、「時間も空間も超えている」というフレーズはよく聞くけど、具体的にはあれはそれだったんだな、と思いました。

そんな風に、そのときの超越的な意識状態というものはどんなものなのか、というのを、しばらくの間、自分でいろいろ試みて調べてみていました。


しかし何しろ、何を見ようとしてもやろうとしても瞬間的に実現するのでほとんど時間もかからず、何をどう試みるかというのはあっという間にネタ切れになりました。

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